お茶漬け

焼鮭、焼き鱈子、あるいは佃煮で、お茶漬けほど日本人の日常に欠かせない簡単な食事もないであろう。そんな誰にでも親しまれているお茶漬けだが、私は永谷園のお茶漬けの素が昔から好きだ。我が家には常備薬のようにいつも在庫があり、時たま封を開けては食べている。

しかしこの一袋の量が非常に中途半端、ごはん一膳に全部かけると塩辛い。、半分では味が薄い。いつも少し残る。残ったものを輪ゴムで縛り次回にとっておくのだが「足りないので、また新しく封を切る」このようにいつも完結しない。

ところで永谷園といえば大相撲懸賞のバナー。いつも先頭に掲げられ、あれを見るとお茶漬けを思い出す。でもなぜ永谷園がいつも先頭なのか?だぶん年数の長い順なのだろう。

ところで大相撲は日馬富士の問題で大揺れだが、その根底には、民俗派と国際派の軋轢があるようで難しい。

私は貴乃花親方の主張する相撲は国技、神事にのっとり日本人の精神文化を継承し、その伝統を変質させることなく後世に伝える。この考え方を支持する。

しかし、それでは今の若者や外国人が入門せず「相撲はすたれるよ」の協会派の声も分かる。

貴乃花は「ラスト侍」時代に乗れないで美しく滅びる。日本人の精神・伝統文化と共に。でも孤軍奮闘、最後まで貫き通してほしい。

この問題、皆さんのお考えはいかがですか?

“お茶漬け” への2件の返信

  1. 今回のタイトル「お茶漬け」小皿に添えるは漬物など香の物からはじまり、茶碗のご飯にのせる鰻蒲焼き・白焼きなど、想像するだけで・・・さらに、かける汁も煎茶やほうじ茶にとどまらず、色々なだし汁そして白湯や水といったように、食し方は多種多様です。汁を使った「お粥」や「雑炊」のご飯料理の姉妹たちも揃っています。いつ・何処で・ひとりで・あるいは誰かと一緒に、料理とともに器の色や形状や手にした触感は想像すると楽しくなりす。              手の込んだ和食もいいが、しかし、日に三度の食事。シンプルにお新香を添えた「お茶漬け」が、お米好き日本人の「面目躍如たる日本食」とも言えましょう。
                                  さて、相撲問題についてです。日本精神、伝統文化に異論を挟む余地はありませんが、テレビに映っている相撲はスポーツで見世物(興業)的側面から、かつての年2場所・1場所10日の年20日開催が、6場所・15日の90日開催、さらに年4回春・夏・秋・冬地方巡業70~80日で約160日の8倍以上。「お相撲さんはとてもしんどいお仕事」です。                 貴乃花の真剣勝負(がちんこ相撲)に対して勝ち星の貸し借り、売り買い(注射相撲)です。相撲を見る方は真剣勝負を望み、相撲取りは体を壊し廃業はしたくない。  真剣勝負が求められるオリンピックやサッカーワールドカップは4年に一度、スポーツの世界大会は多くが1年に1度です。ボクシング世界戦タイトルマッチは年に多くて2回が決まりのようです。          そう考えると、60回の真剣勝負を求めることは相撲取りには厳しすぎるようにも思す。伝統文化を守るためにも。外国人力士は問題外として今、相撲を見る我々の見方を含め相撲環境の整備が必要な時だと思います。   

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