雪見障子

昨日から降り続いた雪も未明には止んだが、今朝雨戸を開け庭を見ると10センチ程の積雪があった。子供の頃は雪が降ると大はしゃぎして、積雪の中を転げまわって冷たさを肌で感じたこともあるが、歳を取るにつれてありがたくない存在に変わっていった。むかし小学校の教科書に掲載されていた、雪国の子供達の暮らしぶりの写真を見たことがあった。カマクラの中にミカンや菓子などを持ち寄り、コタツを囲んでカルタなどをしている様子などを見ると、真に雪国の子供達が羨ましく感じたものだ。そのためかカマクラをいつか作ってみたいという強い願望もあって、雪が降ると沢山積もるよう願いながらガラスごしに外を眺めていた。

ところで最近建てる家は様式住宅なので、雪見障子を作ることはまずないと思う。昔の家は寒い冬の季節、部屋にいながらにして外の様子などを伺うために、障子の一部分にガラスをはめ込んでその部分を障子と二重にし、上下にスライドさせると、必要に応じてブラインドやカーテンのように、目隠しできる障子があった。雪の降る光景を眺められたので雪見障子の名が付けられた。コタツに入って花札カルタをすると、桜の花とサカズキで花見で一杯と、お月様とサカズキで月見で一杯という役がある。しかし雪見で一杯という役がないのが残念だ。私はチラチラ舞う雪を見ながら一杯飲むのがすきである。雪見障子はそのためにあると思う。

私は雪深い裏日本や東北で暮らしたことが無い。そのため日々の生活の中で雪下ろしや除雪の困難を体験していない。千葉県のように降雪も稀だから良い。実際に毎日降り続く雪を見ていて、風流心の一つも湧いてくるのか疑問である。そのため雪国家屋で雪見障子が存在するか否かを私は知らない。多分ないのではないかと思う。毎日のように降り続いたら、雪を楽しみに眺めて一杯飲むという発想はなど湧いてこないのではないか。逆に視界を遮断して降雪を忘れたくなるはずだ。もし雪国の家に、この機能の障子があっても雪見障子とは名づけないかもしれない。冬の間は閉ざしておき「雪隠し」と名付けるかも?

写真は昨日の積雪を自宅の雪見障子を通して撮影したもの。全開と半開に上下にスライドさせてみた。雪国育ちの皆さんいもかがですか?(千葉県八千代市勝田台、勝田陶人舎)

鯛焼き

先日、京成船橋駅の階段を駅前通り側に降りると、道路の向かいに新しく開店した鯛焼き屋が目に入った。よく見ると看板には天然鯛焼きの文字がある。十人ほどの客が並んでいて店頭を塞ぎ見にくいが、人の間から中を覗くと、「ああ、やっぱりっそうか天然だ!」一個づつ焼いている。ご存知ない方も多いと思うので説明すると、鯛焼きにも天然と養殖物がある。天然物は焼き型が一つで、一個一個返しながらていねいに焼く。養殖物は焼き型が上下に三個並んでいて、同時に三つ焼けるので早い。でも鯛焼き好きの間ではこの焼き型は邪道とされ嫌う。同じ材料を使っても微妙に味の差が出るというのだ。実際には手間をかけるかどうかで、労力を惜しまないことが重要である。

でも天然鯛焼きを焼いている店は今では意外と少ない。私も街で鯛焼き屋を見つけると必ずチェックするが、ほとんどの店が養殖鯛焼きだ。また天然鯛焼きは店それぞれにタイの模様のデザインが微妙に異なる。尾が真直ぐだったり、下に垂れていたりする。焼き型もその店のオーダーで作るので、店独自のオリジナルだという。以前全国を旅して、天然物を探し歩いている人のことを聞いた事がある。その人はさらに天然鯛焼きの魚拓までわざわざ作り、200以上集めたという。「鯛焼きの魚拓ねえ、こういう発想が新たな文化を生むのではないか」私はこの人に話を耳にしたとき、そのこだわりの面白さに感心したが、そこまで鯛焼きが好きじゃないので、真似することはしない。

でも最近の鯛焼きには中身にアンコだけでなくいろいろ変わった食材が入っている。カスタードクリーム、チーズ、チョコレートはまだ良いとして、マヨネーズやケッチャップの和え物などが入ると如何なものかとも思う。でも私は鯛焼きよりも今川焼きとよばれた、太鼓焼きになじみがある。子供の頃は鯛焼きを殆んど目にしなかったので、たぶん太鼓焼きにの方が歴史が長いのではないか?たかが鯛焼き、されど鯛焼きである。日常に散在している平凡な物に着目し、自分なりに能書きたれるのも、老後の暇つぶしには金のかからない良い趣味だと思う。

写真ですが私の指先にあるのは、父が集めていた助六の昔のおもちゃのミニチュア。紐がついていて幼児が引きずって歩いた。(千葉県八千代市勝田台、勝田陶人舎)

 

 

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