マヨネーズ

マヨラーという言葉を最近よく耳にする様になった。この言葉はご存知のように、何の料理にもマヨネーズをかけて食べる人のことを言うらしい。コンビニの軽食にはサンドイッチを初め、海苔巻きやオニギリにまでマヨネーズが入っていて、よく見て買わないとどれも同じ味になる。昔の感覚では「オニギリにマヨネーズはないでしょう」と思うがこれが結構売れてるようで、マヨニーズの入ってないオニギリの方が種類が少なかった。日本人はいつ頃から、マヨネーズをこのように愛するようになったのか?少なくても我々が子供の頃は、ケッチャップはあったがマヨネーズは余り見かけなかった。私の記憶では60年代の東京オリンピック前後にご飯と味噌汁の朝食からパン食に移行し、ハムやソーセージと生野菜のサラダを合わせるようになってからだと思う。

「冨岡君もうすぐお昼だから、一緒に飯食っていきなよ!」大学を卒業して、一時勤めていた原油輸送会社のタンカーの船長が、積荷の重量検査で船に乗り込んだ私に声をかけてくれた。「ありがとうございます!」と礼を言い小さなタンカーの狭い船室に移動して、何人かの船員と車座に座り世間話などをしながら、小さな厨房で機関長の男性が手早く作る昼食を待っていた。すると出てきましたよ凄い野生的な男の料理が!皿にトマトと粗く切った生野菜、そしてその横には茹で上げただけのスパゲッティーの大盛りがのる。ミートソースの代わりなのか「たっぷりのマヨネーズをかけて食え」という。そして船長が私の皿にわざわざ大量のマヨネーズをかけてくれた。フリーランチなのでありがたく頂いたが、味はご想像におまかせする。でもこれぞ半世紀前の究極のマヨラー料理だった!

マヨネーズはフランスの肉料理用のソースの一種が基だというが、日本では大正14年にキューピーが発売したキューピーマヨネーズが元祖だそうだ。当時は原料のタマゴが高く、はじめは高価で生産量も微量であったらしい。しかし戦後暫くすると徐々にタマゴが安くなり、価格が下がり消費が増えていく。すると需要増を見込んで、1968年に味の素が全卵タイプのマヨネーズで新規参入する。これで競争がいっきに激化し、お互いより旨いもを作るためしのぎを削った。それに容器のチューブも、どんどん便利で使いやすいものに変わっている。でもこのマヨネーズ欧米ではほとんど料理に使っているのを見たことがない。

マヨネーズは日本で独自に進化し、味や用途も別物になった。今後日本の味として世界中に広まる日がくるかも?

(千葉県八千代市勝田台、勝田陶人舎・冨岡伸一)

山椒

工房のお隣さんの庭に何年か前まで山椒の木が一本植わっていたが、ある時突然枯れた。原因は分からないが、山椒の木はなぜか突然枯れることが多いらしい。しかしその木から山椒の実が庭に落ち、小さな実生の木として工房のあちこちで新たに芽を吹いている。山椒はミカンと同じ柑橘類なので、植えてから実を結ぶまで年数がかかる。青虫に食べられることも多く、ほとんどが実をつける前に枯れる。ところでスパイスとしての山椒と、日本人との関わりは非常に古く縄文時代の貝塚からも、山椒の実が貝殻と一緒に出土するという。古来より縄文人も土器に貝や魚などを入れ煮炊きし、薬味に山椒を使用していたのであろううか?

「山椒は小粒でぴりりと辛い」とは体が小さくても才能や力量にあふれ、侮れないと言う意味である。この諺どおり山椒の実は少量でも脂肪分の多い料理に入れると、そのスパイスとしての本来の役割と共に、薬効として新陳代謝を高める働きがある。病気に対する免疫力アップや胃もたれ、冷え性の改善などいろいろな効果が期待できるという。私も山椒の粉を焼き鳥や牛肉料理にも振りかけて使うが、唐辛子より辛味も上品で香りも良く料理の質を高める。「それは驚き、桃の木、山椒の木だねー!」などと驚いたときに昔はよく使ったが、最近ではこの言葉も余り聞かなくなった。この言葉は地口といい語呂あわせで特に深い意味は無いと言う!「それは驚き、桃の木、山椒の木。ブリキ、タヌキにガンモドキ」などと、かってにあとに続けることができるという・・・。

「それは驚き、桃の木、山椒の木。ヒノキにスギノキ、花粉の木」だよな私なら。毎年春になると多くの人が花粉に悩まされる。戦前に杉の木がたくさん植えられた日本の山々は、そのご杉は木材として利用されずにほったらかしになった。(お山の杉の子の歌を歌って、戦前に皆で一生懸命お国のためにと植えた杉の子は、70年経過して大きくなったら全くの疫病神)当時の人々が後世のためにと、汗水たらし頑張った自分達の行為が、その子孫には迷惑千万である。もし彼らが聞いたら「これは驚き、桃の木、山椒の木だね」いま日本の林業は衰退し崩壊寸前になっている。熱帯雨林の伐採をともなう洋材の輸入などをやめて、日本の杉材を伐採しパルプとしての使用を高めれば、花粉症に悩む人も減ると思う。

少し変わった写真の植木鉢を作り、実生の山椒の苗を移植してみた。(千葉県八千代市勝田台、勝田陶人舎・冨岡伸一)

 

缶詰

私の少年時代はもっと頻繁に缶詰を食べていたような気がする。冷凍設備の普及してない当時、缶詰は食料の保存には最適であった。魚、野菜、肉、果物など様々な物を缶詰に加工していた。しかし特に変わったものでは漫画「ポパイ」のホウレン草の缶詰だと思う。「ポパイ!助けてー!」。「あー、大変オリーブの声だ!またブルートに捕まり、キスされそう」と助けに向かうポパイだが、最初はブルートにフルボッコされる。視聴者の子供達は「何やってんだポパイ、早くホウレン草の缶詰を喰えよ」と思った瞬間「チャ、チャ、ラチャ、チャアーン!」ポパイが何処に隠し持っていたのか分からぬが、ホウレン草の缶詰を食べる。すると急に強くなりブルートを叩きのめす。いつもストーリーは同じだが、このポパイのアニメはよく見ていた。

「俺も、ホウレン草の缶詰食って強くなりたい!」こんなこと漠然と考えていた男子は、私だけではないと思う。しかしそのころ新しくオープンしたスーパーの缶詰売り場を探しても、ホウレン草の缶詰など全く見当たらなかった。でもアメリカには実際にホウレン草の缶詰が存在したのだろうか?私もそうだったがだいたいの子どもはホウレン草が大嫌いだ。するとこのポパイ漫画はホウレン草が嫌いで食べない子供たちに、ホウレン草を食べさせるためのキャンペーン漫画として製作されたのではないか?と冗談で調べてみたら、どうも本当にアメリカベジタリアン協会という組織が菜食主義を広めるために、この漫画をつくったという記事を見つけた。

日本では最近になって「缶詰バー」が新しくオープンしているという。安価なので仕事帰りにちょっと立ち寄るには便利だ。全国からツマミになりそうな様々な缶詰を集めていて、たこ焼き、だし巻き卵などかなりレアな缶詰もあるらしい。腐らない酒と缶詰で商売出来ればこんな簡単なことは無い。注文があって客を待たせることも、食材が不良在庫になる心配も無く、食器を洗う手間も無い、良い事のナイナイ尽くしだ。そういえばむかし酒屋の店頭での立ち飲みで、腹のすいたヨッパライが缶詰を開けてツマミに食べていた。缶詰バーの原点はあれだなきっと!でも缶詰だといって馬鹿にすること無かれだ。鮭の骨缶など、普通の状態では食べられない旨い缶詰もある。

鮭の骨缶にはこの片口の器に盛るのはどうだろうか?

(千葉県八千代市勝田台、勝田陶人舎・冨岡伸一)

サボテン

「あれ何だー、そのその変なカッコウは?」銀行に勤め始めたばかりの次女の姉が、私が中学生のある夏の夕方。妙な真っ黒い風船人形を上腕に付け自慢げに帰宅した。その姿がユニークだったので笑っていると、「あんたバカね知らないの?今これ流行り始めているのよ」姉は肩からはずしそれを私の肩にからませた。よく見ると真っ黒い人形は口から空気を入れ膨らませると、腕につかまるようにできている。そしてその大きな丸い目は見る角度でウインクした。「これダッコちゃんっていうのよ」と姉がいった。でもそれから1,2週間するとテレビのニュースでも紹介され始めて、あっという間に大流行となる。若い女性はこのダッコちゃんとよばれた風船人形を肩につけ夏の街中を闊歩した。

こうなるともう生産が追いつかない。何処のおもちゃ屋も品切れで、パンデミック(感染爆発)状態、若い女性から子どもまでダッコちゃんを捜して奔走した。われわれが子どものころは、このパンデミック現象が時々起きた。なにか新しいものに人々が飢えていた時代で、フラフープ(やり過ぎると腸ねん転になる)から始まり、ホッピング(胃下垂になる)、切手集め(小遣いの使いすぎ)いろいろな批判をかわし、次々と大流行現象が世の中を席巻した。そのたびに教育者や一部医療関係者から、分けのわからない批判が出てじきに下火になっていった。そして私が興味を持っていちじ夢中になったのが、中学時代に流行ったサボテン集めだ!

「おじさん、このサボテンいくら?」見ると普通のサボテンに丸い小さい真っ赤なサボテンが接木されている。たしか緋ボタンとか呼んでいたが「一目惚れ」すっかり気に入り買う気になったが値段を聞いたがビックリ千円もする。「千円か?とてもむりだ」あきらめて家に帰り、集めた10種類位の小さなサボテンを眺めて緋ボタンを忍んでいたが、このオヤジ臭い趣味も半年経つと熱が冷めて、縁側の軒先に置かれたままになった。そのご母親が世話をしたようだが、数年経つと一部を残し消えた。のちにイタリアの市場で真っ赤なサボテンが果物として売られていたのを見たとき時、子どもの頃欲しかった赤いサボテンを思い出した。でもこの赤いサボテンは結局食べずじまえで帰国したが、赤い実には棘があり、最近見かけるサボテンのドラゴンフルーツではなかったと思う。

最近作った写真の鉢に去年、多肉植物を植えてみた。花が咲いたので掲載する!(千葉県八千代市勝田台、勝田陶人舎。冨岡伸一)

ウナギ

「おう!なんだあの魚」5センチほどの透明で細く長い魚が、海のほうから川の流れに逆らってクネクネ泳ぎ上流に向かう。「ウナギの稚魚か?」すくい取とろうと試みるが、持参した玉網では目が粗く通り抜ける。私が中学生の頃、まだほとんどが湿地だった市川の真間川河口で釣りをしていると、垂らした釣り糸の前後をウナギの稚魚が泳ぎ通った。当時真間川やその周辺の沼にはまだウナギがたくさん生息していた。東京湾岸が埋め立てられる以前で、いまの東西線原木駅の先は直ぐ遠浅の海で、周辺は高い葦が生い茂る泥沼地や蓮田だった。民家は遠く見える程度しかなく、人影などもほとんど無いかった!

よくこの周辺には釣りに来たが、飽きるとその沼地に分け入り誰が仕掛けたか分からぬ、地元ではポーポーと呼ばれていた竹の節をくり貫いた、ウナギの仕掛けを上げに行く。「どうせこんな沼、誰の所有者かも分からないし、俺達には関係ない」と勝手に判断し50センチ位の水底に沈められた、70センチ位の竹を三本に束ねた竹筒を両手の指で出口を塞ぎ水中から引き上げる。すると「入っているかも」の手の感触を感じ友だちが差し出す玉網の中に水ごとあける。「おーいたいた。いっぺんに2匹取れたぞ!」もう大はしゃぎである。当時こうして取ったウナギは、街のウナギ屋に持ち込むと一匹50円で引き取ってくれた。小遣いに困ると、たまに友だちとウナギバイトに出かけた。

今年の春先にはウナギの稚魚が全く不漁で、このままではウナギが高騰するかもというニュースが流れた。しかし非常に心配されたウナギ稚魚の捕獲も、その後一転豊漁となりウナギ好きにはひと安心である。先日テレビを見ていたら夜の暗い海辺で、懐中電灯を照らしウナギの稚魚を取る大勢の人々が放映されていた。一応役所の認可が必要だというのだが、目の細かい玉網で水面をすくうと数匹のウナギの稚魚が取れる。一匹いくらで売れるのか知らぬが、一晩で10万、20万の大金を稼ぐ人もいるとかで、今の時代も俺らがやったウナギバイトがまだ続いているのかと非常に驚いた。浜松を新幹線で通過すると浜名湖周辺にはウナギの養殖池が点在するが、ウナギの稚魚不足からほとんどの池は空で、むかしの活気のあった面影はない。

ウナギは蒲焼でなく白焼きもうまい!だがウナギ不足から閉店する店も多い。(千葉県八千代市勝田台、勝田陶人舎・冨岡伸一)

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