鯉のアライ

小学6年生の夏休みに父親の仕事のお弟子さんで、埼玉県加須市にある田中家を訪ねたことがあった。一人で浅草から東武電車に乗り、途中幸手駅で乗り換え加須駅で下車。改札を出ると地図を頼りに10分程の道のりを歩いて、なんとか田中家に到着した。「しかしこの辺はどこまでもまっ平らで田んぼが続く、つまらない風景のだなあ」という印象を持ったが、すぐに田中家の子供達とも打ち解け、一緒に近くの小川に魚とりに行った。加須周辺は山も海もないので、半日も過ごすとすぐに飽きる。また叔父さんも「埼玉県は海が無いので魚はうまくない!」という。当時は冷凍設備の車もなく魚の輸送にも時間がかかったので、千葉と埼玉では食べ物の地域差もかなりあったようだった。

「これが鯉のアライか?」始めて見る鯉のアライは薄切りで、大きな皿のブッカキ氷の上に乗せられていた。冷たいひと切れを取り味噌ダレを付けて食べると、油がのっていて結構いける!魚嫌いだったがこの鯉のアライは正直うまいと思った。(海の遠いこの地域では鯉のアライなど川魚は、よく食べるらしい)私の住む市川の江戸川対岸には寅さんで有名な柴又の帝釈天がある。その周辺には何軒かの川魚料理屋があり、参道の左手にある一軒の川魚料理屋には何回か立ち寄ったが、ここではウナギの蒲焼のほか鯉のアライも看板メニューにしている。でも生の川魚にはジストマがいるのでは?と心配をして食べずにいた。

最近テレビを見ていると、温泉宿で岩魚や鱒などを刺身で提供している店があるが、川魚にはジストマ肝吸虫の幼虫がいることが多い!生や加熱が不十分だと川魚からジストマの幼虫が体内に進入し、小腸から肝臓に入り込み肝硬変をひきおこすという。川魚を生で食べるのはかなりのリスクが伴うと思うが、対策はしているのか不安を感じる。鮭も生だと川にすむ幼魚時代にジストマが寄生するするそうで、以前はサーモンは生で食べなかった。(最近はノルウェーやチリのサーモンは、回転寿司の看板メニューのひとつ)でもこれは養殖イケスで、薬を大量に餌に混ぜて殺菌しているということだが、薬漬けのサーモンも怖い!だいたいあんなに薄いピンクのトロサーモンなど、自然界にいるわけがない。食品も良く吟味しないと何を食わさせられるか分からない。

むかし生きたドジョウをそのまま飲み込むという人がいた。彼によるとドジョウが胃の中で暴れ胃壁を突くので老廃物がはがれ胃が清潔に保てると言っていたが、胃カメラを飲んでみるとそんな訳ないと思った。

(千葉県八千代市勝田台、勝田陶人舎・冨岡伸一)

湯豆腐

一年は本当に早いものでもうお盆の季節である。我が家の菩提寺は東京本郷の向が丘にあるので、お盆は通常新盆の7月に行う。最近東京でも盆を8月に行う家も以前より多くなってきたような気がするが、確かにこの時季お寺に行くと多くの人が墓参に訪れている。ところで新盆の歴史は以外に新しい。明治時代に開国にともない暦を国際基準に合わせるために改暦が行われ、旧暦の7月15日がそのまま新暦の同じ日に移行したので一ヶ月早まった。ところが農村部では7月は農繁期で忙しく、変更されずに旧暦のお盆が継続され、今だに8月15日を中心に行われている。でも確かにお盆は8月中旬の方がよい思う。この時期は暑くて疲れも出る頃で、ゆっくり休みたい。

「ええ!七輪ってまだ使ってるの」久しぶりに見る七輪がなつかしい。本郷の寺がある向が丘二丁目の交差点の近くに、数年前まで(五右衛門)という名の豆腐料理屋があった。ビルの谷間の三間の通路を20メートル程奥に進むとパティオが開ける。その空間には池のある小さな日本庭園と古民家風の店舗がたたずむ。近くには侘びた茶室もあり、中に入ると東京のど真ん中いることを忘れられる造作になっていた。ここで出すのは豆腐料理は味噌田楽を初め数種類のコースの料理で、最後の締めが七輪で炊く湯豆腐である。墓参の帰りや法事などでもよく行ったが、残念なことに最近取り壊されてマンションに変わった。この界隈でも老舗の料理屋が取り壊されて高いビルになる(観光資源になるのにもったいないことをする)

私が小学生の低学年の頃までは、市川にはまだガスやプロパンが普及しておらず、目覚めるとまず七輪で火を起こす。母親の言いつけで私も姉と庭で七輪の火はよく起こした。最初はマッチで新聞紙などに火をつけ、徐々に細いマキ、から墨へと、火を移していく。途中消えそうになると渋ウチハで焚口から懸命に仰ぎ風を送る。そして「おかあちゃん、火起きたよ!」と声をかけると、母親がニコニコしながら勝手口から出て来た。この七輪一つで朝味噌汁など何でも作った。当時の主婦は大変だった!近所ではまだ共同井戸の家もあり、外に水を汲みにでる。アフリカでは子供達が外に薪を拾いに出かけ、また数キロも離れた水場まで水を汲みに向かうが、この日本でつい数十年前まで火や水の調達から主婦の一日が始まったのだ。

たった6、70年でこんなに世の中が変わる。そこで食べ物を通して庶民の日常の変遷などを書き留めておきたいと思う。

(千葉県八千代市勝田台、勝田陶人舎・冨岡伸一)

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