小玉スイカ

真夏の炎天下むせ返る暑さで喉が渇いた。「何か飲み物ないのか?」と促がす私に「なら、畑に行くか」と友人が誘う。「えー、畑で飲み物か」と疑問に思ったがついて行くと、彼の家の門を出た眼前にはスイカ畑が広がるがっている「どれにするかな?」畑に分け入ると所々にスイカが転がっていた。今まで見たことのない大きさのスイカに「こんな小さなスイカ食べられるのか」と問いかけた。「最近は小さなスイカも作っているんだ」と彼は答えた。(このスイカとうじ新しく開発された小玉スイカといいメロン位の大きさだった)その一つを蔓からはずし開け放たれた窓から通る風もまったく感じられない暑い部屋に持ち帰ると、彼が台所から用意した包丁で半分に切る。

「へー、黄色いスイカじゃないか」初めて見るその色に驚く。さっそく六等分しパクついた。「けっこう甘いじゃん、これ!」ただ真夏の陽光をたっぷり浴びたスイカは十分に暖かい。「ホットスイカってやつか、初めて食べたよ」冗談を言いながら笑った。この高校時代の友人の自宅は市川と松戸の境目付近にある農家で、当時は交通の便も非常にわるく林と田畑に囲まれた全くの田舎。バスも一時間に一本あるかないかだった。これでは市川高校への通学も大変であろうにと思った。スイカを食べ一息つくとギターを持ち出し、そのころ流行っていたピーター、ポール&マリーのフォークソングの練習を始めた。彼はギターがとても上手く、私に出来ない難しいテクもこなしていた。

「それじゃあ、時間だからそろそろ行くか?」というと彼は軽トラックを納屋から持ち出した。私に横に乗れと促すので「お前、いつ免許取ったの?」と尋ねると「ないよ、だから今から教習所に行くんだろう」「え、車で行くのか」そうだよと平然と答える。私は横に乗り警官に見つからないか心配したが、なるたけ農道を選んで通り、国府台教習所に向かった。この間距離は2キロでおよそ5分で着いた。(当時は軽自動車の免許は16歳で収得出来た。私も自宅にスバルがあったので16歳で免許を取り、高校1年の夏にはすでに車に乗っていた)今と違ってあの頃は車も少なく交通法規はあるが、緩やかですべてが適当であった。飲酒運転違反もあったのだろうが、アルコール検査機も存在しなかったので多少の量では分からない。「ただ運転免許を取りに車で通った奴は珍しい!」

高校生の多くがタバコを吸っていたので喫煙率は3割を超えていたと思う。学校帰りに学ランを着て平気でタバコを咥え、通学路を闊歩する彼の姿を思い出す。

(千葉県八千代市勝田台、勝田陶人舎・冨岡伸一)

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