スイカ

我々が小学生の高学年の頃、通っていた八幡小学校では夏休みになると毎年臨海学校が企画された。基本的には希望者のみであるが、皆で千葉県内房の海水浴場に二泊三日で水泳訓練に行く。プールと違って海水の海は浮力があり泳ぎやすい。2,3時間も練習すると大体だれでも泳げるようになった。滞在先は鋸山の南側の保田海岸の旅館であるが、当時この内房沿岸には多く小学生が東京などから学校ごとに訪れていた。今と違って鉄道の便が悪い。千葉から先は蒸気機関車で、冷房もなく列車の窓は開け放たれている。トイレもそのまま線路に垂れ流しで、停車してる時は基本トイレは使わない。列車が走り出し窓からあまり顔を出すと、トイレの水が直接かかりあわてて顔を引っ込めた。

当時臨海学校はどこの小学校でも企画され、子供たちは夏を楽しみにしていた。今と違って家族旅行などは余り行かず、学校が主体になりその役目を担っていたのだ。戦前の富国強兵思想のなごりがあってか、ある程度泳げるようになると危険を承知で、少し沖にも連れて行いかれた・・・。少子化で今はどの家庭も子どもが少ない。もし事故でもあると責任問題などが発生し大変なことになる。それから徐々に学校など公は時代の推移と共に、なるべくリスクを避けるようになる。そしていつしか臨海学校も全く行われず、忘れられた行事となっていった。この臨海学校で私は怖い思いをした経験がある。高い波が何度か続けてきた後に、急に強い引き波に押し戻されあっという間に沖に流された。なんとか岸にたどり着いたがもうヘトヘトだった。

「もっと右、右・・・。ちょっと左・・・。そこだー!」と目隠しをされた子に皆で掛け声をかける。水泳の実習のあと必ずあるのがそのころ流行っていた海岸でのスイカ割りである。スイカを10メートル位先に置き、目隠しされた状態で2,3かいその場で回されて、棒を持ってスイカを割りに前進する。皆で当事者に場所を教えるのだが、わざと違う方向などを指示する子もいて、なかなかスイカに当たらない、順番に何回か行ってやっと当たるとスイカは木っ端微塵。それでも割れた欠けらを皆で分けあった。このころのスイカは今のスイカより大きく、値段も安いので食べる頻度もずっと多かったような気がする。

前歯が抜けて生え変わる頃、スイカを食べる時には便利だった。抜けた歯の間からスイカの種を飛ばした。(千葉県八千代市勝田台、勝田陶人舎・冨岡伸一)

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