栃餅

毎年秋になると、工房の前の森の木立から何種類かのドングリが、バラバラと落ちてくる!たくさんのドングリが引き詰められた砂利の庭に落ちると、砂利と混じり掃除が大変だ。放っておくと翌年芽を出し一つ一つ手で丁寧に抜くことになる。枯葉だと風で飛ばして吸い込むブローという掃除機で、いとも簡単に掃除は完了する。子どもの頃「ドングリを食べるとドモリになるよ!」とよく言われたが、実際には渋くてとても食べられたものではない。これはむかしの大人たちが単に警告として子供に伝えた言葉だと思う。しかしドングリによく似た「椎の実」は栗に煮た味で食べることが出来た。それらを見分けるコツは木立の観察と、ドングリより実の形がスリムで少し色が濃かった。10月になると実のなる時季を見計らい採取に出かけた。

むかしは自然の中でオヤツ探す食物採取によく出かけた。グミ、木苺、柿やイチジクなど実がなっていれば、とりあえず手に取り何でも試食してみるた。口に入れて不味ければ吐き出せは良い。我が家は別に食い物に苦労していたわけではないが、「オヤツは卓上にあるのではなく、採取するものだ!」という縄文から続く子供の本能を継承していただけである。人類がここまで繁栄出来たのも知能だけでなく、なんでも食べる雑食性にあったという。ゴリラやチンパンジーなどの他の類人猿は、人間からすると食種がずっと限定されているため、居住地域が限られる。パンダは竹、コアラはユーカリだけというように食物を限定すると、たとえ知能が高くてもすぐ絶滅危惧種になる。カラスは何でも漁るので増える一方だ!

「そうだ!そういえば梅干の種の中の芯も食べられた」梅干の硬い種を叩き割ると中から小さなアーモンド型の白い芯が出てくる。これを食べるが味は少しニガイく、正直あまり旨くはない。でも梅干の芯を食べたことのある人は、私に言わせればかなり好奇心旺盛でサバイバル指数が高い!「生き残りますよ、このタイプの人は]縄文人はドングリも工夫して食べていたという。水にさらしたり、茹でてアクを抜けば、かなり栄養価の高い食料になるそうだが、手間が係るので試したことはまだない。同様にまた栃の実も食用になり、ドングリと同じように加工すれば栃餅の原料になる。最近地方の道の駅で栃餅を販売している映像をテレビでみたが、どんな味なのか買って食してみたいと思った。

一部の仕事以外に生活はどんどん便利で楽になる。でもサバイバル精神を失い、時代に飼い慣らされると来るべき飢餓に耐えられませんよ。

(千葉県八千代市勝田台、勝田陶人舎・冨岡伸一)

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