海苔弁当

「ぷーんと香りが漂う!」授業も4時間目になると腹が減る。私がまだ小学校にかよっていた当時、寒い冬には教室の暖房は鉄の鋳物のダルマストーブが使われていた。今では全く見ないダルマストーブとは、その名のとうり丸い形をした石炭やコークスをくべる旧式のストーブだ。子供が近寄ると危険なので回りには金網の張られたフェンスが置かれていた。そしてこのフェンスにはお弁当を温める棚がついていて、希望者は弁当をそこに乗せ暖めることができた。しかし昼が近づくと温まった弁当から臭いが漂ってくる。私の嫌いだったタクワンや魚の臭いもして、なんとく弁当の中身が想像できた。でも腹も減ってきて正午のベルが待ちどうしく、気も散って授業などは聞いていなかった。

そして当時弁当の定番はやはり海苔弁だ!弁当のご飯の上に醤油をつけた海苔がベッタリと乗っかる。でもこの海苔弁には欠点がある。逆さまになると蓋のほうに海苔が付いてしまい剥がすのに往生した。そのために二段に飯をつめ真ん中に海苔を挟むなど、いろいろ各自が工夫をしていた。いずれにしても今の子の綺麗で可愛いキャラ弁当などはない。ご飯の上に鮭の切り身や鰺の干物がベッタリと載ってたり、美的センスのないユニークな弁当も多かった。私も小学生の低学年の頃は、ドカベン型の小さな金色のアルマイトの弁当箱であったが、高学年にもなると新しい弁当箱も登場する。ブック弁当という名の弁当箱は本のように幅広で薄め!おかずとご飯の間に仕切りもあってカッコイイので、あっという間にクラスに広まった。

われわれが小学校卒業間際になると急激に世の中が変わり始める。都内に遅れて八幡小でもやっと完全給食となり、お弁当を持参せずによくなった。このとき初めてのメニューをなんとなく憶えている。確か?丸いパンが2個、鯨肉の竜田揚げ、炒めた野菜、みかん一個に、八千代牛乳一本。「へー、脱脂粉乳でなく、給食に牛乳一本つくのか!」これには驚いた。テレビや電気冷蔵庫、洗濯機なども各家庭に普及し始め、日本もだんだん豊かになってきらしい。これでやっとあの脱脂粉乳から開放されるのか?どの顔も笑顔だった。そして校庭の隅にはプールの工事も始まり横目で見ながら帰宅するも、完成は卒業の翌年であった。

たまにテレビなどで今の小学校の給食をみると豪華なので驚く!今日本の給食は栄養バランスなどもよく考えられており、海外でも非常に注目されているという。(千葉県八千代市勝田台、勝田陶人舎・冨岡伸一)

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