お好み焼き

12月に入り師走を迎え寒くなると、食べたくなるのが鍋やお好み焼きである。お好み焼きと聞くと言葉のニュアンスが高級そうであるが何のことはない、うどん粉を水で溶き鉄板で焼けば、とりあえずお好み焼きの原型は出来る。子供の頃このお好み焼き、我が家ではドンドン焼きとよんでいた。これはむかし屋台のオヤジが車を引いて、ドンドンと太鼓を合図に街にやって来た事が語源だと父親が教えてくれた。それがいつの間にか具を好みで入れて作るようになって、多少上品になりお好み焼きと称されるようになったらしい。たぶん大阪など関西からの食文化の影響もあるのかも?当時わが家のドンドン焼きは中に入れる具は肉などなく、あまった食材を入れてご飯の代用品にしていた。なにしろ冷蔵庫がなかったので食材はすぐに使いきる。!

「あっち!」注意されたことも忘れ、口びるをやけどする!お好み焼きの金属のヘラを熱い鉄板の上に置いたまま、口に運んだのがまずかった。関東では通常お好み焼きはそれぞれの席の鉄板で自分達で作るが、神戸のその店ではカウンター方式で目の前の大きな鉄板で、店の人が手早く焼いてくれる。メニューもお好みの焼きのほかステーキや貝、野菜などもオーダーすることができた。作業は全部店員がするので楽だが、この店では原則箸は使わず小さなステンレスのヘラでスプーンのようにすくって食べる。(関西ではこのようなスタイルの店が主流らしい)最初はなれないので、「ヘラを鉄板の上に置くな」の注意に酔いが回ると無造作にヘラを鉄板の上に置いたのだ。

以前浅草寺近くのお好み焼き屋には男同士で時々行った。連れの知り合いのおばさんが一人でやっていたこの店は、モンジャ焼きも看板メニューだった。モンジャ焼きはむかし文字焼きといい、子供達に文字を教えるために水の多いデロデロの小麦粉を鉄板に流し、文字を書かせたのがそのルーツだという。しかしいずれにしても男同士で行くお好み焼屋は誰かが焼き奉行になるので、ゆっくりと酒を飲んだり話す暇もないのが欠点だ。でも共通の話題など無い人とは、作るのに忙しくて適当に話が切れるのでよいかも・・・。最近高校時代の友人の貸し店舗のお好み焼屋に行くことがあった。シルバー男7,8人で繰り出すが誰も基本焼き奉行になりたくない。そこで日頃まめに料理などをこなす男の隣が優先席になる!

世の中どんどん便利になると、お好み焼きやモンジャを焼くことはまだしもリンゴや柿の皮をむく、あげくの果てにピザを切るのもめんどくさい。先日「何とかゼリヤ」という高級イタリア料理店に入り、運ばれてきたピザをどちらがカットするのか眺めているうちに冷めた。(勝田陶人舎・冨岡伸一)

 

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