スキー

「ええ、ここから滑り降りるの?」高所恐怖症の私は思わず足がすくみフリーズ。「早くおいでよ!」と促す姉の姿がゲレンデから突然消えた。これから進む先30メートルほどが崖のようになっていて下が全く見えないのだ。「たった1日のスキー講習で、リフトに乗ってこんな上まで来るんじゃなかった」と後悔しても後の祭り。思案したあげく、裏太郎という名の急勾配のゲレンデ滑降をあきらめ、サイドにあるなだらかな林間コースで下まで滑り降りることにした。颯爽と滑る私の頬に小雪があたり気持ちいーい。途中何度か転んだが、どうにかふもとまで到着。ところが楽しかったと笑顔で姉に近づくと「度胸無いね。あんた男だろ!チョッカレばいいのよ」と厳しいお言葉がかえってきた。

もう60年近く前の中学生のころ戦後も終わり、そろそろ日本が高度成長期に入ると空前のスキーブームがやって来る。流行に敏感だった姉達は設立間もない地元のスキークラブに入会し、そのクラブの定宿だった長野県菅平スキー場にたびたびバスで出かけていった。「あんたも一緒に来るかい!」の誘いに乗らない手は無い。聞けばそこで知り合ったボーイフレンドからの自家用車での誘いがあるから、一緒に連れて行くとのこと。当時はまだ男女交際など厳しいので、父親もカップルでの宿泊スキーなど許す分けない。そこで私が監視役のコブとなった。当時市川から菅平スキー場までの車での移動は大変だ。なにしろ今のように高速道路があるわけでない。碓氷峠を越えていく関越の一般道路を8時間以上かけて行った。

ところが今はどうか?高速道路が整備され短時間で行けるのに、スキーなどに熱中する日本の若者はあまりいない。冬場スキーの話題すらでない。スキー場の人気も飛行機で気軽に行けるようになったトマムなど北海道のスキー場へと移る。そこでも日本人でなくオーストラリアや中国など外国人スキーヤーで賑わう。先日も北海道のスキー場で山岳スキーを楽しむ外国人が雪崩に巻き込まれ何人か亡くなった。日本人が興味を示さない北海道の宿泊施設や原野が、今密かに中国資本などに買い占められている。そしてアイヌ新法などの施行により、これまで静かに暮らしていたアイヌの人々も先住権を主張し、土地や漁業権などの権利回復を求め始めた。侵略者である和人から我らの土地をとりかえすと・・・。

かれらの主張が正当なのかどうかは私には分からない。しかし沖縄や北海道など民族ナショナリズムあおり、日本を分断しようとする一部マスコミや、中国の陰謀に操られるリベラリスト市民団体もいることは確かだ。

(勝田陶人舎・冨岡伸一)

 

 

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