缶詰

缶詰といえば現在は全てがアルミ製なので、上部のプルトップを指で引けば誰でも簡単に開けることができる。しかし半世紀程まえまで缶詰は全てが鉄製であった。そのために缶を開けるにはいつも苦労をともない、缶切りという専用の道具が必要であったのだ。この缶切りにはいろいろユニークなものが存在していた。蓋の中央に穴を開け缶の淵に沿って切り進むもの、缶の蓋のサイドガードをテコに切り込んでいくタイプと数種類の缶切りが自宅の食器棚にも入っていた。しかしいずれの缶切りも子供や女性には扱いが難しく、私が中学生にもなると母から頼まれ、缶切りはいつしか私の仕事になっていった。当時明治屋などの果物の缶詰はとても人気があり、特に白桃の缶詰は私の大好物であった。

そして同様に当時は缶ビールも鉄製で、持ち運びには便利だが缶の匂いがするので敬遠されていた。しかしそのご軽いアルミ缶ビールが登場すると、ビンビールの需要は徐々に減っていく・・・。「こんちは米屋です。お餅もってきました!」ピンポンと呼び鈴を押し、返答があったので玄関を開け、ビニールに入ったつきたての伸し餅二枚を上がり口に置いた。金を受け取り勇んで外に出ると、一緒に餅配達をしていた店主に「伸ちゃん、商人の入り口は勝手口でしょうが!」と注意を受けた。そういえば我が家に出入る酒屋、米屋、農家直配の八百屋もみな勝手口から来ると納得する。高校時代の数年間、暮れになると先輩の米屋の餅つきバイトに駆り出され、その日はディレバリー担当になっていたのだった。

かつて我が家の勝手口を頻繁に利用していたのが、サザエさんの三河屋さんほど若くない、御用聞き斉藤酒屋の店主である。当時ビンビールは重いので通常は酒屋に配達を頼む。そのため我が家の勝手口の横にはビンビールケースがいつも置かれていた。空き瓶が溜まると不在の時でも、酒屋は勝手に中身の入ったビールケースと交換していく。ところが缶ビールの普及により、コンビニでも簡単にビールが買えるようになると、徐々に御用聞きの需要も減る。そしてある日この酒屋、突然断りもなく夜逃げ同然で店ごと消えた。「最後まで付きあってあげたのに」と年老いた母は呟いた・・・。地球の気候変動がおかしい昨今「缶詰」の存在がいやに気になるこの頃である。

子供のころ鉄の空き缶二つの中央に穴を開け、ヒモを通してポックリを作りよく遊んだ。ポコポコ音を立て歩くと缶のなかに土がつまり立ち往生、こんな遊び知る人も少なくなってきた。(勝田陶人舎・冨岡伸一)

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