工房の前の森には所々に桑の木が自生している。植えたものでは無さそうなので、鳥などによって種が運ばれてきたのだと推測する。桑の葉は形が面白いので時々摘んでは、皿などに転写し図柄として利用することもある。この桑の葉を好んで食べるのは、あの美しい絹糸を吐き出すカイコである。北関東では戦後もしばらくは、このカイコを使った養蚕がさかんで殆んどの農家は兼業で、自宅の屋根裏でカイコをかっていた。そのため養蚕農家では深夜寝静まり静かになると、沢山のカイコが桑の葉をモリモリ食べる音が不気味に聞こえてくるという。それでも養蚕は当時貴重な現金収入!オカイコサンと敬い、この蛾の幼虫と同居し大切に育てていたのだ。しかしアメリカでナイロンなどの化学繊維が発明されると養蚕は急激に廃れていった。

父親まで三代続く日本刺繍の家系に育った私は、幼児の頃より絹で織られた着物や帯に囲まれて育ったので、絹織物には愛着がある。当時自宅にはまだ糸に撚られる前の生糸の束もたくさんあり、父親はそれを染色し必要な太さに撚り上げて、反物に針を刺していた。そして私も家業の4代目継承者だ、3歳の頃よりすでに針を持ち運針の手習いを始めていた・・・。「あなた上手だね!」ふだん殆んど先生に褒められたことのない私が、小学校の家庭科の授業では一度だけ褒められたことがあった。それは雑巾を運針で縫う作業で、並み居る女子児童を差し置いて速さと綺麗さでブッチギリで一番!このときの家庭科の通信簿に5が付いたので良く記憶している。そりゃそうだ、こちとりゃ3歳から針を持ち、あんたらとは年期が違うと・・・。

ところが同じ蛾の幼虫でもツマジロクサヨトウという蛾の幼虫は、わけが違うらしい。カイコは桑の葉しか食べないが、この幼虫はなんの葉でも食べる。そしてその食欲と繁殖力が凄まじく、成虫になって飛んでドンドン移動していく。いま中国ではコロナウイルスの後、サバクトビバッタの襲来に危機感をつのらさているが、実際にはこの蛾の幼虫の被害も各所で出始めている。農薬散布にも耐性を持ち大量にまかないと駆除できないという。それでなくても中国産の野菜などは今でも農薬の心配がつきまとう。今年は異常気象でアフリカの砂漠地帯で雨がたくさん降った。その結果またまたサバクトビバッタの第二派が大量発生し、風に乗り東に移動して最終的には中国をめざすらしい。

もし中国が害虫被害で食糧難になったら大変だ!各国の食料を買いあさり争いになることも。いよいよ神の審判が下る!とモノミノトウのパンフレットがポストに・・・。(写真・桑の葉のはし置き、勝田陶人舎・冨岡伸一)

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