梅干飴

日本橋には江戸時代から続く栄太郎本舗という菓子屋があり、ここの赤と黄色に透き通る三角の梅干飴は以前人気があった。京橋育ちの母親はこの梅干飴を子供のころから好きであったらしく、戦後暫くしてこの飴が市場に再び出始めると、小さな缶入りの梅干飴をバックの中に時々入れていた。上品な見た目のこの飴は普通の飴よりも高級なイメージがあって、私はそれを一個ねだる。甘いその飴は実際には梅のエキスなどを使わず、形が梅干に似ているので梅干飴と名付けたらしい。江戸時代に販売されたというこの飴は、最初は棒状であったが後に飴を裁断して徐々に現在の形に変化したと記述されている・・・。昭和も30年代中頃以降には様々な甘い菓子が市場に出回ってくる。するとこの梅干飴の存在も記憶から遠のいていった。

「あんた、なに舐めてるの、1個よこしなよ!」とふざけて姉に後を追われる。でもこの飴はいくら舐めてもなかなか小さくならない。むかし鉄砲玉という梅の実くらいの大きさでザラメでコーティングされた、真ん丸の飴が1個5円で駄菓子屋で売られていたことがある。これを口に含むと大きいので飴の置き所に困る。どちらかのホッペに寄せると、頬っぺたがコブのように膨らみ飴をなめていることが直ぐにバレル。結局は2個買った鉄砲玉の1個は姉の口にも入ることになった。でも私は固いこの飴よりも縁日で売られていたアンズ飴を好んだ。干しアンズ半分が柔らかい水飴で包まれて、飴の甘さとアンズの酸っぱさのバランスがほど良かった。

毎年梅雨時には対面の家の塀から丸く可愛らしい青梅の実がたくさん覗く、しかし今年は枝を切り落としたせいか殆んど実が付いてない。(今年は梅の実が不作であるという情報もある)子供の頃この梅の実を見ると、採って食べたい衝動にかられた。「青梅はぜったいに食べるな!」親から釘を刺されていたので食べることは無かったが、今ネットで検索すると種の中の核を食べなければ実をかじっても、すぐに病むことは無いらしい。でも黄色く熟した梅の実はアンズによく似ていて食欲をさそう。イタリアではアンズの実が、この時期になると八百屋の店頭にたくさん並ぶ光景を目にする。私は甘酸っぱいこの実が好きなのでよく皮ごとかじった。でも東北の産地では分からないが、関東では生のアンズの実はあまりお目にかからない。

果物が好きで木に赤や黄色の実がなっていると、試しに口に含んだ。甘ければ食べられる。苦ければ吐き出せばよい。そうやって人類は生き延びてきた。

(勝田陶人舎・冨岡伸一)

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

© 2024 冨岡陶芸工房 勝田陶人舎