塩豆

冨岡家の菩提寺は本郷の向丘一丁目交差点近くにある。年に4回、ここへの墓参は欠かさないが、車で向かう途中の蔵前通りと亀戸駅前通りの交差点角には昔から続く、一軒の豆専門店が今でも店を構えている。先日ここの前を朝通ると、まだシャッターの下りる店の屋根には、もう開店を待つ先客がたむろしていた。昔はあちこちにあった豆専門店だが、需要の減った今では街中から殆んど消えたので「豆だけで客を繋ぐのは奇跡に近い!」と感じ店の前を通り過ぎた。しかしその先客達の多くがこぼれ落ちた豆を狙う「鳩」では代金はいただけない。最近の人達はピーナッツ以外の乾燥した硬い豆はあまり口にしなくなった。私の子ども頃は、オヤツに硬い豆を噛んで空いた腹を満たしたことも多かった。

鳩と豆の関係は非常に深い。昔からの諺で「鳩が豆鉄砲をくらったような顔」というのがあるが、この顔っていったいどんな表情なのかがはっきりとつかめない。驚いてビックリした顔なのか、あっけに取られてキョトントした顔なのか?鳩はスズメと共に身近な鳥なので観察する機会も多くあるが、いまいち鳩の表情は変化が無く単調でよく分からない。一方同じ鳥類でもゴミを狙い人里に定住するカラスは表情がとても豊かだ。先日もゴミを漁るカラスを見ていたら「この野郎、なんか文句があるのかよう!」という目でジロット睨まれた。そして口ばしを開き低い泣き声で威嚇までする。鳩が平和の象徴であるのは、いかなる時もその表情が変わらないからではないだろうか。すると鳩が豆鉄砲をくらったような顔とは、何があっても動じない表情であるべきだ。

「そういえば最近、あの塩豆を食べてない!」子供の頃あれほど身近にあってボリボリとよく噛んでいた塩豆がなつかしい。(塩豆はグリンピースが原料で、外側の白い皮の部分は塩に見立てた、貝殻を粉にした胡粉がまぶされているという)当時は塩豆などの小さい豆類はハカリでなく、四角い木製の一合マスで取り売られた。そのため豆のすくい方により空間が出来るので、結構ごまかされた。そこで暫くするとマスでなく、より正確に計れるバネ式の上皿ハカリに代わって行った。塩豆はビールのツマミには最適である。以前は飲み屋に入ると「カワキモノ」と言われた日持ちのする簡単なツマミには、まだ塩豆や南京豆が使われていたが、いつしかアーモンドなどのオシャレなナッツ類が主流となる。

塩豆とならび、同じグリンピースで作られた好物の甘い煮豆のウグイス豆も、最近では食べる機会がほとんどない。(勝田陶人舎・冨岡伸一)

“塩豆” への2件の返信

  1. 亀戸育ちの私には、但元いり豆本店と店先の歩き回る鳩は、懐かしい光景です。日本の伝統色「和色」では、鳥の羽色の代表として19色があり、その中で鳩の羽の一部に見られる灰みがかった薄い青紫の「鳩羽色」と、灰みの強い鈍い黄緑の「山鳩色」、雀の頭のように赤黒い茶色の「雀色」、青みや緑みがかった黒い色で、万葉集でも歌われた艶やかな黒髪に例えられるカラスの「濡れ羽色」等は、趣のある色と色名です。私の愛用する着物の地色でも採用しています。和色の「色名」は残したいもののひとつです。

    1. 確かに日本の色名は野山の自然や生き物などから名付けたものが殆んどですね。昔我が家には
      和名のついた色見本が仕事場にあったのを思い出しました。束ねられた見本帳は角が擦り切れ
      長く使われてきたことがうかがい知れました。あのような仕事道具も残しておくべきだったと
      感じる昨今です。

八木秀一 へ返信する コメントをキャンセル

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

© 2024 冨岡陶芸工房 勝田陶人舎