茶飲み話・箱男

「冷蔵庫の入っていた大きな段ボール箱をスッポリと頭からかぶり、都市を漂流する箱男」時々小さく開けられた覗き窓から外界を窺う。社会から完全に孤立し蓑虫のようにダンボールに身を潜める。私が好きだった半世紀も前に書かれた安倍公房の小説「箱男」からの抜粋である。当時読書に大半の時間を費やしていた私は自分が社会に適用できず、箱男のように社会に馴染めないのでは、と考えた時期もあった。そして会社勤めを始めるとやはり違和感を感じ、じきにフリーランスの靴デザイナーに転進していった。

ところがこれが結果的によかった。暫くすると日本はバブル期に入りブランドの婦人靴も飛ぶように売れる。そこで5,6社の仕事を掛け持ちし「坊主丸儲け!」会社に所属してないので全額が自分の懐に入った。「でも夢は長くは続かない」バブルも崩壊すると徐々に靴の生産などは後進国にシフトし、アパレル産業と共に沈んでいく。

最近一人キャンプというのが流行っているらしい。なんでも車で山野に出かけ、単独でキャンプを楽しむというのだ。またわざわざ自宅のベランダに一人用のテントを張り、その中にこもるのも流行だと聞く。そのためホームセンターではこれらの需要に対応し、様々なグッズも購入できるようである。確かにわずらわしい世間や感染から隔絶し、のんびりと孤独を憩うのも悪くない。でもこの狭い空間が気に入り、出たくないと思えばホームレス箱男の心理となんら変わらない。

狭い箱といえばなんといっても、私が尊敬する千利休の「待庵」に極まる。たった2畳の狭い茶室に一人二人の客人を招き入れ茶を振舞う。あの天下人になった豊臣秀吉までも、同様に狭い茶室に閉じ込めたので、彼は大そう立腹しそのご切腹を命じられる一因にもなった。千利休はなぜ極小茶室を最上の空間として好んだのか、彼の心理の奥底は分からないが、確かに蓑虫生活なら浮世のわずらわしさとは無縁であるともいえる。

「起きて半畳、寝て一畳、天下取っても二合半」人間生きていくには一畳の空間で充分!たとえ天下を治めても二合半の飯以上喰えない。現代でも環境保護のためにも「足るを知る」という心構えも貴重だが、清貧を理想に人々が生活すれば日本国の発展も望めない。でも科学技術の進歩は本当に人々を幸福にするのか?一抹の不安もよぎる。(写真は「湯冷まし」これに熱湯を注ぎ温度を少し下げてから茶をたててます。勝田陶人舎・冨岡伸一)

 

茶飲み話・割烹着

私が子供の頃、我が家の隣家の空き地には周辺の家で使用する共同井戸があった。そこでは洗濯や食器洗いなどをする主婦達が集い、井戸端会議の場ともなっていたのだ。まだ食糧難ころで、米の配給など食べ物のことなどが主婦達の主な話題であったと思う。「貧乏人は麦を食え」これは1950年に時の大蔵大臣池田勇人の発言だとされるが、いまこんなこと正直に上から目線で発言したらとんでもないことになる。

「米穀通帳をご存知ですか?」当時米を買うと通帳に記載され、金があっても一家族で決められた量しか購入することが出来なかった。なので食べ盛りの子供が多い家庭は三度の食事にも苦労した。そのころの主婦達の定番衣装は、カスリのモンペに白の割烹着。これで近所の八百屋や魚屋などに、手編みの買い物籠をぶら下げ食材などを買いに出かけた。最近ではビニール袋が有料になると、事前にシッピングバックを持参するようだが、エコを理由にこんなものケチって実際に効果があるのか?はなはだ疑問でもある。

井戸端会議といえば、今は一番先に思い浮かぶのがLINEである。親戚縁者や同窓生などでグループを組み、現況を伝え合う。住んでいる場所は選ばないので非常に便利だと思うが、グループの人数が多いと頻繁に着信音がなるので面倒でもある。しかし常にお互い情報共有できるので、チャットの相手が身近にいなくてもすむ。「俺はラインなどしない」とかたくなに拒否していると、寂しい老後を送ることになるかも。

現代人の井戸端会議はどんどん進化する。でもズームなど映像をともなったリモート会議はすでにあるので、次は仮想空間でお互い出合えるような研究も行なわれている。顔にはゴーグルをかけ、手には特殊なグローブをつけると、対象物の触覚まで感じることが出来るようになるらしい。脳に残る記憶などを呼び出し、死んだ親とも世間話できるという夢物語すらある。

「どうだ、元気にやっているか」。突然、だいぶ前に死んだはずの父親の声にビックリ!どうも俺は三途の川を越えたらい。そろそろお迎えが来ても不思議ではない歳だが、先ほどまでは確か元気であったはず・・・。我々凡人が何も知らないうちに、科学技術は危険な領域まで加速度的に変化していく。

(八年前に楽しみながら作った自宅の坪庭。パズルのように石を配置するのが面白かった。勝田陶人舎・冨岡伸一)

 

茶飲み話・学習塾

私が学生時代の1960年代の後半、日本でも多くの若者が社会主義や共産主義を標榜していた。特にその頃、文化大革命を中国で推し進めていた毛沢東主席は人気があり、一部の若者達は毛沢東の著書「毛沢東語録」に心酔していた。日本でも共産主義国の実現を!などと叫び過激なデモ行為をしていたのだ。しかし当時の毛沢東・中国は貧しく、三度の食事にも事欠く有様だった。そのご鄧小平の時代となり国を開くと、年々豊かになり今日の繁栄を築いた。

「ついに始まったか?習近平が中国を毛沢東時代に戻すと言い出したぞ!」アリババ、テンセント、ティクトックなどインターネットを利用した中国のネットビジネスが、規制され縮小に向かっている。先日は学習塾が廃止され、営利目的での塾の経営はできなくなった。盛んであった英語教育も小学校の授業がなくなり、その代わり習近平思想や体育、国語の時間を増やすと言う。

先日テレビを見ていたら、ひと気のない空港で中国便だけに長い列が出来ていた。取材スタッフは「日本はコロナ感染でこれからひどい状況になるから、脱出するのだろう」とコメントをしていたが、私は違うと思う。いま中国では海外在住の自国民に帰国をうながしている。そして帰国したら最後、新たなビザの発給は縮小されるので、もう日本に戻れないこともありそうだ。

スマホでのネット利用や海外渡航は中国の人々に、民主主義思想を植え付けていった。この現象は共産党否定に繋がり、自身の安全を憂慮する習近平は海外との情報を遮断し、再び毛沢東時代に回帰する路線を選んだらしい。でもこの選択はよろしくない。国力が弱り、数年先には経済の中国脅威論が薄まることになる。せっかく海外の技術をパクリ、世界ナンバー2に大躍進したのに、ご苦労様です。

これから中国の若者はユトリ教育が推進されるらしい。すると過度の受験競争も終わり、競争に負けた寝転び族も起き上がる。中国が急速な経済発展を目指さなければ、二酸化炭素の排出量も減り、毛沢東時代のように環境維持にも貢献できる。「習近平さんありがとう」。あなたの暴挙のおかげで、わが国は逆に経済発展できる可能性もでてきた。

(中国人が観光地に溢れ、デパートで爆買いする過去もあった。これから時代は一寸先は闇!今朝は漆黒の茶碗でいっぷく。写真の楽茶碗は30年前に3万円で購入したものです。勝田陶人舎・冨岡伸一)

 

 

茶飲み話・アルバム

「確か昔のアルバムがタンスの奥にあったはず」と思い探してみた。自分が子供の頃の写真は全てがまだ白黒で、カメラやフィルムも貴重なので写真をとる機会もずっと少なかった。当時は学校で遠足に行くと写真屋さんも同行し、必ず記念の集合写真を撮る。今では考えられないがフラッシュとしてバリュームを焚くので、バッという音とその閃光に驚いて、目を閉じる子供もいる。そこで必ず数枚の写真を撮るが、それでもクラス50人もいると誰かが目を閉じて映った。

それから時代も下り所帯を持ち、子育ての頃になると一眼レフカメラの普及と共に写真好きの親達が増える。そして行事の度にあまりに多くの写真を撮ったので、厚いたくさんのアルバムが溜まった。今ではどこの家庭でもアルバムは収納場所に困り、押入れの奥で静かに眠っていると思う。またそのころ流行した簡単な商売の一つが、服のクリーニングとフィルム現像の代理店である。「便利だから、次回から隣に頼むか」夕方仕事から帰ると、隣のテーラーさんの店先にも富士フィルムDPEの旗が風にたなびいていた。

そして時を同じくして、画期的なカメラが登場する。その名も「使い捨てカメラ」英語でクイックスナップ。なんとフィルムとカメラが一体になっており、カメラを忘れても旅先で購入すれば、簡単に写真が撮れる優れものだ。これはたちまち大流行し、世界的にも普及していった。歩きながらソニーのウォークマンで音楽を聴き、富士フィルムの使い捨てカメラで写真をパチリ!日本が一番輝いていた時代であった。

そのご21世紀に入り携帯電話が劇的に普及していくと、いつしかカメラは携帯電話に内蔵される。すると写真撮影のデジタル化によりフィルムは不要となる。そして4Gのスマホが登場すると、デジタルカメラすら使わなくなった。映像は全てデーター化しスマホの中に納まる。その結果それまでの企業は退き、アップルに席巻された。

「これからは誰でも簡単に本を出版できますよ」という良報が先日飛び込んできた。出版社などに原稿を持ち込み本にするには、それなりの時間とコストがかかる。しかしタブレットで読むキンドル版で本をネットに上げれば、殆んどコストが掛らずダイレクトに世界中の読者に届く。これならすべての人に作家のチャンスが巡ってくる。でもこれにより、また多くの職業が消えていく。出版社、印刷会社、製本所、流通会社、本屋など・・・。

(デジタル社会における陶芸とは?一杯飲みながら考えてみよう。勝田陶人舎・冨岡伸一)

 

 

 

茶飲み話・枯れススキ

「貧しさに負けたー。いえ世間に負けたー。この街も追われた、いっそ綺麗に死のうか・・・」。この歌いだしで始まる1974年に大ヒットした「昭和枯れススキ」という男女のデュエット曲。この曲ほど人生の貧困、迫害、徒労など不幸連鎖を歌い上げた曲もあまりないと思う。日本が年々豊かになる高度成長期の真っ只中に、なぜこんなシミッタレ曲が大ヒットし140万枚のレコード売り上げになったのか?理解に苦しむが、日本人はどこか貧乏をロマンとして、美化する心情があるらしい。

実は私もこの曲と同様に、ススキという地味な野草が好きだ。そこで自宅や工房の庭にはススキをプランタで植え、日々風にそよぐ姿を眺めては季節の移ろいを感じ、喫茶の友としている。特に銀色の穂が芽吹く十五夜の頃のススキは、この野草が美しく輝きを放つ一時であると思う。そして晩秋を迎えると全てのエネルギーが燃え尽き、枯れススキとなる。確かにススキは、はかない「人の世」を映す鏡であるとも言えそうだ。

最近の日本は何か元気がない。経済成長もずっと停滞し、賃金も殆んど上がらない状態が続く。このままだと繁栄から取り残されて、枯れススキのような没落国家へと移行する。今日のようにグローバル化が進み国境が除かれ、世界が一律にフラット化されると、先進国と後進国の賃金格差は縮小に向かう。豊かな時代に貧乏を想像するのは「ロマン」だが、貧困生活での糧の心配は、単なる「怒り」でしかない。

「デジタルにのらずー、いえペイパルが使えずー。年金も下ろせない。いっそ餓え死にしようか・・・」。極端だがこれは、高齢者でも日々あらたなテクノロジーを学習しないでいると、デジタルに迫害される「令和枯れススキ」。もうどせ身体も枯れススキなのだから、すなおに過去の時代と共に流されれば好いのに!との声も聞こえるが、死ぬまで努力し続けることに人生の意味があるとも思う。

最近発表された統計によると、30年前に世界3位だった日本人の賃金は20位に下落し、韓国の21位と並んだ。でもここからさらに下落していく傾向にある。すると若い人は今とは逆に、賃金が上がるアジア諸国の会社の仕事を請け負うこともありえる。ススキが枯れていくのをただ傍観していると、若者達もヤバイことになる。

(オリンピックは終了だが、コロナ感染は勢いを増す・・・。植木鉢を自ら製作しススキを植えるとこんな感じに。勝田陶人舎・冨岡伸一)

 

 

 

 

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