茶飲み話・小学校

「今日3時から友達と遊ぶんだあ」と言い残し小学二年生の孫娘が昼前、工房から帰っていった。しかし親である娘婿によると、最近の子供達の遊びはパソコンの前に陣取り、オンラインで数人の友達と雑談して過ごす聞く。そしてそれが終わると、次はゲームに移行し指を俊敏に動かして、その攻略法などを思案する。まさにスマホやパソコンにアクセスし続けるデジタルネイティブ(生まれた時からゲイム機やスマホで遊ぶ世代)なのである。

でもここで一つ大きな問題がある。それは現在日本の学校で教えている授業内容が過去のアナログ時代の発想で、こんなこと教えてもこれからの子供達の将来には、あまり役立たないのではないか?思うものが多い。極端に言えば文科省、教科書、学校の先生、などを含めて多くが旧式で、新たなデジタル社会に対応できるかが疑問なのだ。現在変化を望まず既得権を温存する日本は、革新的な発明や技術が生まれにくい土壌になっている。

「なんで学校なんか行かなくちゃいけねんだ」ともし子供からの問いがあったら、今の時代親はその返答には困るだろう。元来学校という制度は明治維新後に出来た制度で、まだ150年ほどの歴史しかない。それまでの子供達は農業の手伝いをしたり、野山を駆けずり回って乱雑に過ごしていた。それが産業革命により工場で均一な労働力が多く必要になると、各地に学校が建てられ子供達は一箇所に集められ同質な人材として教育された。

しかしこれからは工場や店舗まで自動化されると、均質の労働力など必要なくなる。単純なことはAIロボットに任せればよい。すると学校でも子供達を集めて、同じ訓練をさせる必然性も希薄となる。最近ではテレワークの浸透でオフィス需要も減っているが、学校だって同じ理由で必要でなくなる日も近い。その時学校の役割は友達と遊ぶ場所に代わりる。授業は廃止で各自がネット経由で自由に好きな課題に向き合うことになる

「将棋の藤井聡太君はすごいよね」あの若さで将棋界のナンバーワンである。彼はすでに未来を先取りしている。「私には学校など意味がない!」と言い切り大学にも進学しない。そして練習には対戦相手にコンピューターを選び、打ち負かす訓練をする。誰にもできる業ではないが、彼の考えは全てのジャンルで、これからの生き方の参考になると思う。中途半端な学歴より個性の深堀の方が重要ですよと。(ロボットのお手前も悪くないかも。勝田陶人舎・冨岡伸一)

 

 

 

 

 

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