茶飲み話・トウモロコシⅡ

「やっぱり、一抹の不安が脳裏をよぎる」。なにって、先日のフンガトンガ火山噴火ですよ!あれからネットでいろいろ検索すると、火山ガスの噴出量はやはり膨大で今年から数年にかけて、太陽光遮断による気温低下が起こる可能性があるらしい。するとこれからやって来るのは冷害による食料不足である。わが国はご存知のように食料自給率は40パーセントを切っていて、海外からの食料量輸入が滞ればその影響はかなり大きい。

もう30年前になるか?前回のフィリッピン・ピナツボ大噴火のときは、東北地方で冷害が起こりタイから米を緊急輸入したことがあった。しかしタイ米は日本人の味覚には不人気であまり消費されずに、残りは家畜の飼料などに消えた。「せっかくわが国の高級米を、困っている日本に送ったのに豚の餌か」と当時タイ人の善意を逆なでした。

「現在世界では、すでに食料不足に直面している」原因は中国による穀物の買占めである。多くの人口を抱える中国では、農地の宅地開発などにより食料自給率が年々低下する。そのためもし中国が台湾侵略などにより戦争が起きると、台湾に加担するアメリカやオーストラリアからの食料供給が止まる。そこで中国は有事にそなえて膨大な量の穀物備蓄を始めているのだ。最近の小麦やトウモロコシの急激な値上がりはこの影響もある。

以前にも書いたが、我が家には一本のトウモロコシの話が伝わる。それは私が生まれた終戦直後、母親から聞かされたまだ幼かった頃の話だ。敗戦により当時は多くの日本人が飢えに苦しんでいた。その惨状は都会ほど激しく、日々の食料確保は困難を極めた。そのため各家庭では庭や空き地に芋やトウモロコシを植えて、糧のたしにしていたのだ。我が家でも道路側面に数本のトウモロコシを植えたが収穫予定の前日、隣人にもがれて貴重な一本のトウモロコシが消えた。残念そうにその様子を語った時の母の顔・・・。

いまその頃の飢餓を知る日本人も毎年減少している。飽食の時代と呼ばれる現代「金を出せば食い物など何でも手に入る」と人々は考えている。しかしそれは違う。もし大飢饉が来て食糧不足になったら、自国民をさしおいて食料売ってくれる国はない。日本も自給率をもっと上げるべきだが、農業国でもあるアメリカが猛反対する。なぜなら自国の農業従事者が穀物が売れずに困るからだ。(国防も食料も、アメリカに委ねれば安泰なのか?勝田陶人舎・冨岡伸一)

 

 

 

茶飲み話・インフレ

最近アメリカではコロナ禍にも係わらず、物価の上昇が止まらない。すでに年率7パーセントも消費者物価が上がっているので、特に家賃の高いニューヨークのような大都市での生活は苦労が伴なうようだ。でも同時に賃金も上昇するので、現役世代で就労していれば差ほど影響はないのかもしれない。

一方わが国ではすでに30年もデフレが続き、物価は上がらないが給料アップもない状態が継続中だ。年金生活者にとっては真に居心地が良いが、そろそろ終焉の時期が近づいている。来るべきインフレにどう備えるかは各々異なるが、インフレーションとは一言で言えば「お金の価値が下がっていく」ことである。逆に上がるのは諸物価、不動産、貴金属、株、ビットコイン、美術品や骨董などだ。

「お前、インフレーションとデフレーションの違いが分かるか?」それは私が小学6年生の時であった。一緒に私立中学を受験するために自宅に来て勉強していた桑原君というクラスメートが、突然妙なことを語り始めた。困惑している私に「お前には分かるわけないよな」とばかりに、得意げにインフレとデフレの差異を説明する。日頃学校では授業などいっさい聞かず、先生を無視し続けたこの友は実は天才であったのだ。

彼の行動が面白い。たぶん今は考えられないが、毎日背負ってくるペッタンコのランドセルの中身は空っぽ。教科書やノートのたぐいはなく、セルロイド製の筆箱がカバンの中で遊び、歩くとカラカラと音を立てた。でも中学受験の算数は当時レベルが低く、植木算や鶴亀算程度だったために因数分解など数学を得意としていた彼には、小学校の授業など退屈でしかなかったのである。

しかしその後一緒に進んだ中学で、突然の訃報が耳にはいる。「桑原君が病気で亡くなった」という。たしかに彼の顔色は男の子にしては、色白で透き通るほどであった・・・。なんとんく経済学に興味を持ち、今だにインフレやデフレの金融論を語るのが好きな私の原点は、桑原君の当時としては大人びた語りに由来すると思う。これから始まるわが国のインフレは、スタッグフレーション・不景気の物価高・というやっかいな現象かもしれない。(森の中でお茶をいただく夢を見た。勝田陶人舎・冨岡伸一)

茶飲み話・火山噴火

先週朝起きてスマホを見ると、津波警報のアラームがヒットした。驚いてテレビをつけると太平洋沿岸全地域にウオ―ニングが表示されている。「こりゃあ、えらいこっちゃ」と画面に釘付けになって詳細に注視すると、南半球のオーストラリア右側の島国、トンガで大規模火山爆発が起こったという。あんなに遠方の火山爆発でも、日本に津波が到来するとは驚きである。それも原因は地震でなく噴火とはねえ。

津波といえば、昔小学校の社会科の教科書で習った「稲むらの火」を思い出す。江戸時代の末期、安政元年に発生した安政南海地震によって発生した大津波のお話。ある時高台に住む庄屋の五兵衛さんが海を臨むと、海岸の水が普段より大きく引いて津波の到来を察知する。そこですぐさま刈り取ったばかりの稲ワラに火をつけ半所を鳴らし火事を演出!すると消火のために多くの村人が駆け上がってきた。そのあとすぐに津波が襲来し、村人達の命が助かったという美談。

ところがこのお話は当時の日本人によって書かれたものではなく、イギリス人作家でその後日本人妻と結婚し帰化した「小泉八雲」ラフカディオ・ハーンの記述だという。教科書では確か東北の三陸沿岸での庄屋の五兵衛さんが自宅を燃やしたと記憶していたが、小泉八雲がこの話を伝え聞いて脚色し、感動的なドラマにしたてあげたらしい。なにしろ私も60年以上も前の記憶なので定かではない。

「天明の大飢饉が再来か?」話を元に戻すと、この時私の脳裏をよぎったのは、火山の大爆発により噴き上げられた火山ガスで太陽光が遮られ、気温低下による凶作である。江戸時代中期天明8年に起こった飢饉は浅間山とアイスランド火山のダブル噴火が原因だとされ、東北地方では食糧不足で人肉まで喰らったという記録もある。

過去をたどると歴史的大飢謹の原因の多くは、火山ガス噴出によるところが大きい。そこで今回の千年に一度という大規模噴火でも、飢饉が起こるのではと「スーパーに米買い出しに行くぞ!」と勇んだが、海底火山なので火山ガス噴出も少ないようで止めた。いま関東地方では富士山噴火による降灰が心配されるが、過去を遡ると本当に恐ろしいのは富士山よりも浅間山の噴火である。(先のことは全くわからない。お茶などいただき、日々のんきに暮らせれば良いのですがね。勝田陶人舎・冨岡伸一)

茶飲み話・天然ガス

「今年の冬の北半球は、例年よりも寒いようだ」赤道直下の南米ペルー沖では昨年ラニーニャ現象が起きていて、統計によればこの地域での海水温が下がるとその年は厳冬になるという。現在世界中で二酸化炭素排出規制により、石炭火力発電などの化石燃料使用による発電が規制されている。そのため太陽光など自然エネルギー使用に舵を取った中国では、石炭火力発電を縮小したので、電力不足により停電が頻発しているようだ。

毎年冬になると、寒冷地北京など中国主要都市では石炭暖房による大気汚染が深刻になる。しかし今年は冬季オリンピックが北京で開催される予定である。そこで面子にこだわる習近平さんが、北京にすみきった青空を取り戻せと指示を出す。すると石炭より環境負荷の少ない天然ガスに需要が集中し、買占めによる価格高騰を招いている。

「夏だというのに、ジョイントされたパイプからは、バラバラと凍結した氷の破片が落ちてくる」それを避けながら当時新入社員であった私は、船の甲板で作業を見守った。東京電力の根岸工場には新しい丸い天然ガス専用のダンクがいくつか並んでいる。そこに特殊な構造のLNG船からパイプラインでガスを送るのだ。このタンカーの建造には莫大なコストが掛った。そこで船の借り賃は年契約なのでアラスカ、東京間を何往復できるかを競って作業の時間短縮に励んだ。

燃料の天然ガスといえば、私は過去に苦い思い出がある。大学を卒業したあと一年遅れで就職した会社が、原油や燃料の輸送業務を行なっていた。油田から原油を汲み上げると、天然ガスも同時に噴出する。しかしその頃は気体である天然ガスは体積が大きく輸送できないので、むだに現地で燃焼されていた。これを体積600分の1に圧縮し、ガスを液体にしてマイナス160度の低温で運ぶ、当時としては画期的な計画が始まる。

「何で持ち場をはなれたんだ!」先輩にこっぴどく怒鳴り飛ばされた。何回かこの業務を担当するうちについ魔が差した。仲良くなった外国人船員の「一緒に飯喰いに行こう」の誘いに乗ってしまい、一時間くらいならと持ち場を離れた大失態・・・。もしこの件がなかったら退職せずに、サラリーマン生活を続けていたかも?と思うと人生何が幸いするか分からない。(緊迫するウクライナとロシアが戦争になると、天然ガス価格は高騰する。勝田陶人舎・冨岡伸一)

 

 

 

茶飲み話・レインボウ

「どうにかならないですかね。十把一絡げに高齢者というレッテル」まだまだ元気なのに高齢者と呼ばれると、とたんに体からエネルギーが抜けていく。今年のテーマの一つである「人生百年時代」とはある意味でありがたいが、一律に高齢者という呼び名で束ね、元気な人たちまで隅に押しやるのは社会にとっても損失である。「実り世代」とかもっと良い呼び名で、長く社会参加を促がせば医療費など財政の負担も少なくてすむ。

「病は気から」。年など忘れ生きがいを持って生活すれば、老化の進捗もゆっくりと進む。それには自らも年を意識せずに行動することが大切だと思うが、高齢者と呼ばれるとその心もしぼむ。行政自らが65歳で高齢者、75歳で後期高齢者と規定すれば、百歳まで35年間も高齢者としての立場で、生活しなければならないのだ。今後高齢者という名称は80歳過ぎでよいのでは・・・。

いっぽう政治家はもっと若い人のほうがよい。それは長らくその地位に安住すると既得権しがみつき、変革の妨げになるからだ。日本の行く末など若い人達が決めればよい。政治家は70歳定年制を導入すべきである。古い価値観の温存で日本は世界から取り残されていく。わが千葉県も最近団塊世代の無能な森田健作から、若い熊谷知事に代わりだいぶイメージが変わった。

べつに維新の支持者ではないが、大阪を中心とした維新の政治家は相対的に若年齢なので溌剌として見える。高齢化社会が進んでいるわが国で、多くの高年齢者達が投票所に足しげく通い、「おらが先生」の老害議員選出では、ますます若者の意見は政治に反映されない。今すぐにでもスマホ投票などを導入し、若い人の政治参加を呼びかけるとよい。とにかく現状では高齢者優位の年齢間格差が広がるばかりだ。

「うーん、難しいね!なかなか良い言葉が見つからない」。普通に使われているシルバー世代も地味なので、その上のプラチナ、ゴールド、あるいはビンテージではどうか?自分的には現役世代と80歳以上の高齢者を繋ぐ「ブリッジ世代」や「虹世代」あるいは「実り世代」も悪くないかな?いづれにしてもあらゆるハンデキャップが人権侵害なら、まだ元気なのに高齢者というネガティブなレッテルも差別ではないのか。(後期高齢者でなく、レインボウ・ジェネレーションとか呼ばれれば気分も晴れる。勝田陶人舎・冨岡伸一)

 

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