初鰹

「目に青葉山ホトトギス初鰹」これは江戸時代の俳人・山口素堂の俳句で正確には「目には青葉・・・」だそうで季語が三つも入っている、この俳句はかなりイレギュラーであるという。黒潮に乗り関東南岸を素早く通過するカツオの群れは、捕獲が難しく江戸時代は大変高価であったそうだ。江戸っ子は勝魚(かつうお)と縁起を担ぎ「妻子を質に入れても喰え」と非常に珍重したそうである。しかしこの初鰹を私はあまり好きではない。カツオの臭みと、油の無いさっぱりした味覚には魅力を感じない。昔の人は肉など食べなかったので脂分を嫌っていたらしい。当時はマグロも赤身が人気で油濃いトロは味が卑しいとされていたという。しかし現代人の我々は味覚が違う。

カツオも秋風の吹く頃、餌の豊富な北の海から丸々太って産卵のために南の海に戻る、下り鰹は旨い!トロの様なピンク色の身と、ネットリと油がのったその食感と味は、トロ好きにはたまらない。いぜん初鰹一匹を市場から買ってきて自分でさばいたことがある。カツオは大きいので捌くのが難しい。良く切れる出刃包丁でうまく捌かないと身がグチャグチャになり残念な結果に終わる。三枚におろしたら、刺身にする前に腹の部分にいるアニサキスという寄生虫の確認が大切だ!鯖、鰹、イカなどにはアニサキスと呼ばれる2センチ位の白い小さな線虫が寄生する。潜る力が非常に強いので人間の胃壁なども突き破る!イカは光にかざすとアニサキスの確認ができるが、丸まっていると分からないこともある。でも冷凍ものは死んでいるで大丈夫らしい。

[先日、何もなかった?」一緒に酒を飲んだ友達から数日後に連絡が入った。「大変だったんだよ」彼は続けた「あの日家に帰ると腹が痛くて七転八倒、急いで医者に行いったが先生に、何か青魚の刺身食べたでしょう?」と聞かれたという。「シメサバを食べた」と告げると。「原因はそれだな」と言い、薬を処方され飲んだらじきに回復したといっていた。そういえばあのシメサバ、酢の浸かりが浅く生のような状態であった。一言注意してあげればよかった。「良く噛んだ方がいいよと!」私はアニサキスのいそうな刺身は良く噛んで食べる・・・。これ刺身好きの常識!噛んでかみ殺せば別に飲み込んでも問題ない。料理人も良く見ているがたまには見逃すこともある。

鰹の刺身は生が良いのか?ワラを燃やし火で炙り皮に焦げ目をつけるか、二択であるが私は後者を選ぶ。(千葉県八千代市勝田台、勝田陶人舎)

乾物

最近、乾物屋という名の店がほとんど無くなった。しかし市川駅近くの千葉街道沿いには「湯浅」という名の乾物屋が今も健在で残っている。ところがこの店一軒の店でありながら真ん中に仕切りがあり、実際には二つの店に分割されている。相続で二等分した結果このような形態になったらしい。乾物屋の多くがその後スーパーマーケットやコンビニに変わってしまったが、我々の子供時代には乾物屋がまだあちこちにあった。乾物とはまさしく乾燥させた食材を売る店で、冷凍設備の無い時代、食品の多くは腐敗を防ぐため天日で干したり乾燥させて保存した。たとえば切り干し大根、干しワカメ、干し昆布、凍り豆腐、干し芋、スルメ、椎茸、鰺や秋刀魚の干物、鰯の丸干し等々本当にたくさんある。このような干物を専門に商う店を乾物屋と呼んでいた。

私は乾物が好きだ!特に魚類は太陽にさらし乾燥させると生臭みが消え、イノシンサンも増し旨みが成分が増幅する。特にサンマやアジは開きが旨い!しかし最近スーパーなどで買うヒラキの干物は天日で干さず、ただ乾燥させただけの干物も多い。でもなんとなく香りと味が違う。たまに房総や伊豆のお土産でもらうアジの干物は、むかし食べた干物の香りがする物もある。やはり干物は浜の潮風にさらした天日干しに限るようだ。油の載った干物はグリルの上火でじっくり焼くとうまい。まだグリルの無い時代、七輪の上に網を載せて焼くと落ちた油で魚が黒焦げになり、よく見ていないと大変なことになった。

これも直ぐ上の姉に子供のころ聞いた話だが。姉が市川市の第三中学校に通ってた時の昼食時、いつもユニークな弁当を持ってくる隣の鈴木君を横目で見ると、「あれ、まあ、今日の弁当はまたまた凄い」何だと思いますか?なんとそれは四角い弁当箱のご飯の上に、アジのヒラキが一匹丸ごとベッチャリと乗っている、只それだけだったとか。鈴木君はそのアジを箸で取り出し、横腹からガブリと噛り付く、「ワイルドだどー!」姉は心の中で笑い転げたという。「へー、アジ一匹丸ごとですか。鰻重でなくアジ重も世の中にはあるんですね」よい勉強になりました。当時は子供も多く弁当などに気遣う親もまだあまりいなかった。

写真、片口風のお皿に切干大根の煮物をのせてみたらどうだろう。(千葉県八千代市勝田台、勝田陶人舎)

イチゴ

「イチゴにも旬はある」イチゴはいま殆どがハウス栽培され一年中店頭に並んでいるが、私の子供のころは全てが露地栽培でイチゴは5、6月頃の一瞬の果物であった。実は市川は当時、梨と並んでイチゴの主産地でもあったのだ。家の近所の畑でもイチゴがあちこちで栽培されていて、人のいないのを見計らい垣根の下から畑にもぐりこみ、赤く実ったイチゴを何個かツマミ食いしたこともある。イチゴ畑は実をつけ始めるとイチゴの植わる両サイドに稲ワラが敷かれ、イチゴの実が直接土に触れるのを防いでいた。そして出荷シーズンになるとイチゴは20個程が小さな木箱に綺麗に並らべられ、正面に市川イチゴと書かれたラベルが貼られて、市内の八百屋でたくさん販売されていた。

その頃のイチゴは今のイチゴより少し柔らかく酸っぱい!そこでガラスのカップにとり潰して砂糖とミルクをかけるか、甘い練乳をかけて食べた。練乳は小さな缶詰に入っていて、缶きりで穴を開け上から垂らす。赤いイチゴと白い練乳のコントラストは見た目もよく、非常においしかった。「あれ、なぜだろう?ふと気が付くと最近五月になっても市川のイチゴを見かけなくなる」このころ急速に始まった宅地開発による畑の消滅と、温暖な気候などを利用して早めに出荷される、静岡の石垣イチゴなどが出回ってきたことが原因だった。そして徐々にイチゴのハウス栽培が全国的に広まると、イチゴは一年中栽培されるようになり、旬が希薄になっていった。今では私も好きなイチゴのショートケーキなどは年中食べられる。

「あんらー!」イチゴをスプーンで潰そうとした瞬間、器から勢いよく飛びだした。「すいません」とあやまったがテーブルにミルクが飛び散る。この頃こんな経験は誰でも一度や二度はあったと思う。下の丸いスプーンではイチゴは滑って潰しにくかった。そこでしばらくすると誰が考えたのか、下が平らで凸凹した滑りにくい、イチゴ専用のスプーンが登場してくる。我が家でもさっそく購入し長く使っていたが最近見かけない。今のイチゴは甘いので何もかけずにケーキ用のホークでそのまま頂く。そこでほとんど使用しないので処分したようだ。アマオウなどのイチゴは大きく一口では食べられず、数口で食べることもある。

イチゴを潰して砂糖や練乳を加えたらその美しい形もだいなしだ。でもたまにはイチゴに練乳をかけて食べてみたい。(千葉県八千代市勝田台、勝田陶人舎)

アイスクリーム

戦後まだテレビが家庭に無い時代、庶民の娯楽は主に映画であった。当時の映画館はどこも古くトイレの臭いがし、換気も悪かった。映画館はいつも人で溢れていて通常三本立てなので時間も長い!空席がなく立ち見の時は3時間も見ていると足が痛くなり、黒いカーテンで囲われた館内はいつも酸欠で頭痛もした。それでも皆さん映画に夢中で我慢をして見ていた。子供向けの映画もあって、小学生になると友達と誘い合い映画館に行った。このころ子供に人気のあった映画は、なんていっても鞍馬天狗や月光仮面のように、主役が頭巾を被った映画である。学校でも先生が近くの映画館に小学生のクラス全員を引率して、課外授業として映画鑑賞にも連れて行った。

映画での主役、鞍馬天狗の嵐寛寿郎はとても人気があった。映画が始まり鞍馬天狗が登場すつと[待ってました!」と大向こうから声がかかる。すると場内一斉に割れんばかり拍手だ。鞍馬天狗は剣の名手で強い。バタバタと悪い侍を切っていく、それを見ているのが気持ちがいい。でも鞍馬天狗にはなぜか杉作という名の少年がいつも一緒で、杉作が切られないか心配になる。「早く逃げろ杉作!」ハラハラどきどき、子供受けする演出になっていた・・・。映画を見て家に帰るとさっそく鞍馬天狗の真似して遊ぶ。刀の代わりに竹の棒と風呂敷で頭巾を被り、鞍馬天狗と新撰組に別れて近所の子供達とチャンバラごっこだ。しかし竹の棒を振り回し危ないので徐々に禁止になる。

しばらくして今度は月光仮面の映画に人気が出た。このころの映画館は面白かった。映画が始まり「どーこの・だれかは知らないけれど・・・。」と月光仮面の曲が流れると、我々も声を張り上げ一緒になって歌って盛り上がる。白覆面に真っ白い衣装を着て、バイクに乗った月光仮面が現れると「がんばれー」の声で応援する。映画の中に完全に入り込んでいた。また休憩時間には当時「えー・アイス、えー・アイス」と混んでいる館内に響くアイスクリーム売りの声。一個30円で高かったが、映画に行く時は親にアイスクリーム代もねだる。映画と共にこれを買って食べるのがとても楽しみであった。アイスクリームは木製の四角い小さなキョウギに入っていて、板のスプーンが付いている。これでチビチビ食べるが量が少ないのであっという間になくなった!

写真の器でアイスクリームをお洒落に食べる(千葉県八千代市勝田台、勝田陶人舎)

サクランボ

「バタバタ、バタ!」突然、頭上から5,6羽の小鳥が飛び立った。あれ、驚いて見上げると、「そうか・・・お目当てはこいつか」近所の家の生垣の上から伸びた桜の木の枝には、沢山のサクランボがなっている。道路には人に踏まれた種が散らばり、実も路面にこびりついて掃除も面倒そうだ。家主がほっとかないで収穫すればよいのにと思って、垂れ下がった枝に手を伸ばした。「実は小さいが、確かに赤く熟して旨そうだ」実の一つを摘んで慎重に口に入れる。なるほど・・・。これでは家主も収穫してまで食べないだろなと実感。多少の苦味以外にあまり味がない。落ちた実を避けながらその場を通り過ぎ見返すと、もう小鳥が舞い戻って盛んに実をついばんでいた。

イタリアでは毎年この時期になるとたくさんのサクランボが果物屋の店頭に並んだ。色は真紅で大粒のいわゆるアメリカンチェリーだった。その当時まだ日本にはアメリカンチェリーが輸入されていなかったので、40年前始めてその実を見た時は深い赤の色に驚いたが、珍しいのと安価なので何回か買って食べた。実は日本のサクランボよりも甘く美味しい気がした。その後アメリカンチェリーの輸入が日本でも解禁になり輸入されると、一時人気が出てサクランボ農家も影響を心配していた。でも日本のサクランボとは見た目も味も別物で、最近ではアメリカンチェリーの輸入もあまり話題になっていない。

しかし日本のサクランボは、なぜあんなに高いのだろうか?手間が架かるのか、栽培が難しいのか、ただ単に生産量が少ないことが原因なのかは知らないが、数年前自宅にチラシの郵送が来た山形のサクランボ農家に、佐藤錦の直送の依頼をしてみた。でも送られてきたサクランボは小さな箱にきちんと並び4千円もした。一粒70円か?ゆっくりと味わって食べた。それから一昨年、町内の自治会で「山梨観光とサクランボ食べ放題」というバス旅行が企画されたので参加してみる。市川からバスに揺られ3時間ほどで、山梨県勝沼近くのサクランボ農園に到着する。園内に入ると「わおー、なんて美しい色の実だ!」佐藤錦のほか数種類のサクランボか真っ赤に実っている。食欲が刺激され制限時間内に手当たり次第にとって食べ、サクランボで初めて満腹になる貴重な経験をした。

サクランボにはこのブルーの器でどうでしょう?色の対比が面白いかも?(千葉県八千代市勝田台、勝田陶人舎)

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