カニ弁当

先月スマホをソフトバンクからドコモへ変えた。5年ほど使っていたのでアイコンの反応が悪くなり、仕方なくの機種変更だった。新しいスマホの操作にもやっとなれた矢先、「ドコモの2億円当たるキャンペーンに、貴方が当選いたしました!」というドコモのマークが入った本物らしく見えるメールが、昨日突然送られてきた。「えー、そんなバカな?」と一瞬思考停止!普段冷静な私も「でも実際にもし2億円当たったらどうしよう?」などと欲深な考えが頭をよぎる。「そんなわけない」と我に返り早速近くの代理店に電話すると詐欺なのでメールを削除するか、無視してくださいということだった。でも削除しても5分おきに連絡の催促メールが夜中まで送られてきて困った。

確かにスマホやパソコンでのインターネットのやり取りは便利で楽しい。でもこの手の詐欺まがいの事が時々発生する。電話によるオレオレ詐欺からネット上での詐欺へと拡大している・・・。今の時代は凄い!コミニュケーションツールの充実で、自分がいつ何処にいても瞬時に誰とでも連絡が取れる。この便利さは一度経験したらもう手放なすことなど出来ない。私の子供の頃は自宅に電話がなかったので、緊急時には「電報でーす!」と制服を着た局員が玄関の戸を叩く、すると受け取った誰もが緊張感をもって開封したものだ。だいたい内容は「ハハキトク、スグカエレ!」や「サクラ、チル!」など電報の連絡には怖いことが書かれていることが多かった。私も人生でたった一度だけ電報を受け取ったことがある。大学の合格通知でサクラサクであった。

電報の料金は一文字幾らなので、文章は最小限簡単に書く。そのため詳細は分からない。郷里からの危篤電報を受け取ったときなど、当時は新幹線はおろか電車も都会以外あまり普及してないので、遠く離れた地方へは不安な気持ちを抱え、蒸気機関車で1日、2日揺られて帰っていた。「親の死に目に会えない!」この言葉、昔は親不孝の代名詞としてよく使われた。でも今では人は自宅で亡くなることは突然死以外に稀になった。殆どが病院や老人ホームなどで亡くなるので、死ぬ瞬間に立ち会うことは難しい。一本の電話連絡が入り「ああそうですか!」とうなずくだけ。医学の進歩により寝付いてから亡くなるまでの時間が長い。良いのか悪いのか、送るほうも送られるほうももういい加減にしてとなる。

先日テレビで北海道のカニ弁当を作るところを放映していた。まだ汽車や電車の窓が開閉できたむかし、ホームに電車が止まると駅弁売りがやって来る。大声で売り子を呼び、金を差し出し駅弁を買ったこともある。

(千葉県八千代市勝田台、勝田陶人舎・冨岡伸一)

 

シュウマイ

シュウマイは焼き餃子よりも中国から日本に伝えられたのが早かった。明治時代にはすでに売られていたという。私が子供のころ近所の肉屋ではコロッケなどと共にシュウマイも販売されていた。ところがこの肉屋のシュウマイはコロッケと同じで肉が少なく、ほとんどがウドン粉の塊でモチモチしていて、あまり旨いとう記憶はなかった。しかしあるとき父親が熱海の旅行帰りに、横浜でシュウマイを買って帰った事がある。このシュウマイは見た目は小粒だが肉が多く、身が締まっていて嚙み応えもあり絶品だった。そしてこれが横浜崎陽軒のシュウマイとの最初の出会いであり、以来私は今でも崎陽軒のシュウマイのファンであり続ける。

現在では崎陽軒のシュウマイ(シウマイと書く)はデパートや駅ビルの食品売り場などで簡単に手に入る。ビールのつまみには、このシウマイが合うので時々は食べている。そして崎陽軒のシウマイで味と共に変わらないのが、あの磁器で作られた醤油入れだ!「しょうちゃん」と名付けられた小さな醤油入れは可愛いので子供の頃には捨てずに取っておいて、お習字の水差しなどに利用した。でも昔のしょうちゃんは磁器の材質も素朴で厚く重みがあって今のとは微妙に違う。そして栓にも本物のコルクが使われていた。しかし今のしょうちゃんは白く綺麗な磁器で軽い。栓もコルクからゴム製に変わった。でもシウマイ一筋で、ほとんどその形態を変えずにいる企業ポリシーは凄いことだと思う。

シュウマイといえばこのほか印象に残っているのは、もう半世紀ほど前になるが大阪難波の高島屋近くの大衆食堂で食べたシュウマイである。当時勤め始めた頃の私は先輩に連れられて、大阪の百貨店婦人靴売り場の市場調査に行ったことがあった。昼時になったので何か旨いランチをということで、案内されたのがその店である。人気店らしく列を作り10分程度待って席に着き、運ばれてきたのが「オー!えらく美しいシュウマイだ」そのシュウマイ色に驚く!皮が黄色、しかも中の具はピンク、この色のコントラストが素晴らしい。推測するとシュウマイ皮が薄焼きタマゴ、ピンクの中身は小エビの粗切りを煉ったものだ。噛むとエビの食感が伝わり、海老シュウマイが初めて旨いと思った。

実は当時この店ことは東京の本社でも噂になっていて、市場調査という名目でわざわざ先輩に連れられ出向いたのだ。高度成長の頃で儲かっていた会社の経費管理も甘く、すべてにゆとりがあったと回顧する。

(千葉県八千代市勝田台、勝田陶人舎・冨岡伸一)

 

 

 

喫煙

「すいません、火を貸してくれませんか?」若い頃タバコを吸いながら街を歩いていると、よく声をかけられた。この場合はくわえているタバコを差し出し手渡せば作業は簡単に終わる。しかしタバコを吸わずに歩いていても声をかけられることがある。するとポケットを探り、マッチやライターを取り出しくわえたタバコに火をつけてあげることになる。風の強い日などはマッチだと直ぐに火が吹き消される。そこで相手の口元に手で風除けを作り、何度かこの作業を繰る返す。めんどくさいのでマッチを持参していても「タバコは吸いません」と断ったりすることが度々だった。「喫煙ぐらい少し我慢しろよ!」と思うのだが、昔は本当にタバコを吸い続けるチェーンスモーカーという人がいたのだ。

子供の頃の巻タバコは今のタバコのようにフィルターが付いてない。両切りタバコなので吸おうと思えば根元まで吸える。すると近所のおじさんが指でチビたタバコを持つと熱いので、携帯していたツマ楊枝を短くなったタバコに挿して吸う。けち臭いその姿を目にした時には、思わず笑みがこぼれた・・・。戦後暫くはタバコを買えない人も沢山いて、モク拾いという行為を頻繁に眼にしていた。道に落ちているまだ吸えそうなタバコを拾って吸ったり、拾い集めた吸殻を新たな紙に巻き直し吸ったりもする。中にはそれを一本何円かで売る人もいたと聞いていた。私の父親は健康に良くないとタバコは余り根元まで吸うことはなかった。まだ長めのタバコを道に捨てると、すれちがった男が捨てたタバコを奪い取るように拾って去っていったこともあった。

私は喫煙の期間は20代位の前半から30台後半の十数年しかない。ヘビースモーカーではなかったので禁煙は直ぐに実行できたが、難しいのがバーなどの飲み屋で席だった。ある程度アルコールが入ると気持ちが緩む。隣で喫煙しているとついつい「一本もらっていい?」とタバコをせがむ。すると白い手が前からスゥーと伸びてライターの火が素早く差し出される。「ありがとう!」と軽く会釈。そして大きくいっぷくを吸い込むと一週間ぶりの喫煙のせいか、なんとなく眩暈が!「この感覚がいいんだよね」と呟きリラックス。こんなことの繰り返しで、本当の意味での禁煙には一年程要することになった。

なんと言っても酒とタバコの相性は確かに抜群だと思う。わが家には酒よりもグイノミならいくらでもある。(千葉県八千代市勝田台、勝田陶人舎・冨岡伸一)

カツ重

私の住む千葉県市川市には誰が名付けたのか、通称北京通りという駅に向かう一方通行の狭い道がある。通勤時間帯には並行するバス通りを避けての迂回路となっているため、多くの自転車に乗った人たちで混雑する。特に京成電車と交差する踏み切りはボトルネックとなっていて、先を急ぐ銀輪の群れで非常に危険な状態がもう何十年も続いていた。テレビでも危険な踏み切りとして度々取材されていたので、ご存知の方もいると思う。この道の中ごろにはわが母校八幡小学校もある。そのため踏切の拡幅には行政も積極的に取り組んできたが、地権者の理解が得られずに延び延びになっていた。しかし最近用地の買収が完了し、やっと来月には拡幅工事が終了する。

もともとこの通りは文豪永井荷風が、菅野の自宅から八幡駅に通う道として親しまれていたので、地元では優雅に荷風通りと呼ばれていたのだ。それがいつの日か30年程前に改革開放の始まった頃の、中国北京の自転車で混雑した通勤風景にそっくりということで、北京通りという愛称に変わってしまった。でも今の北京ではもう自転車でなく自動車による混雑になったので、この呼び名も時代遅れとなっている。かの地では現在は排気ガスによる健康被害の方が深刻だ。そして春になるとまた西風に乗って黄砂やPM2.5なども飛んでくる。人口の多い大国の風下のリスク要因は色々あり、もし沿岸部に原発などが多く建設されると、事故のとき被害は自国より日本の方が大きくなる可能性が高い。

「アゲン、カツ丼!」先日テニスの全豪オープンで優勝した大阪ナオミさんの勝利インタビューでの「いま日本食で何が一番食べたい?」の問いかけに、答えた言葉がこれだった。カツ丼と言えば永井荷風もこの北京通りの踏み切りの脇にある、割烹料理屋(大黒屋)のカツ丼(実際にはカツ重か)をこよなく愛した。近くに住んでいた彼は晩年は毎日のようにこの店でカツ丼を食べていたという。確かにカツ丼は旨い!数ある丼飯の中でも三本の指に入るのは確実だ。私もカツ丼は好きで月一程度の頻度では食べている。でも同じカツ丼でも丼から、重箱に器が変わると値段も高くなり見た目も高級になる。料理と器のバランスは確かに重要だ。丼は持っても食べることもあるので、ご飯をかきこむ。でも重箱だとゆっくりと味わっていただくことになる!

土曜日の雪で、立花仕立ての鉢に白く雪が!

(千葉県八千代市勝田台、勝田陶人舎・冨岡伸一)

アメリカザリガニ

先日ラジオを聴いていたら、アメリカ・カントリーウエスタンの代表曲であるジャンバラヤという曲が流れてきた。バンジョウの刻む軽快なリズムのその曲は、あまりにも有名なので皆さんもご存知たと思う。私もこの曲は好きなので若い頃にはよく聞いていたが、曲の名のジャンバラヤという料理は今だに食べたことがない。パエリヤに似たその料理はザリガニなども入れるというが、アメリカザリガニが本当に食べられるのかどうかは疑わしい?日本ではアメリカザリガニは明治時代にウシガエル(食用カエル)の餌とするために、アメリカから持ち込まれたようで、その一部が逃げ出しあっという間に全国に拡散したという。

このアメリカザリガニは私が子供の頃、近くの池や川にたくさんいた。共食いするので一匹捕って、その身を取り出し糸に結び水中に投げ込めばいくらでも釣れる。何人かでバケツいっぱい捕ったがその処分にはいつも困る。そこで鶏を飼う近所の家に配ったりもした。しかしこのザリガニ、スウェーデンでは高級食材だという。夏になると野外でザリガニパーティをやり、茹でたザリガニの胴体をむしって尾の部分を食べる。そして次に胴体の奥に潜む味噌をチュー、チュー音を出して吸うという!食事時の擬音などマナーにうるさい欧米人も、ザリガニを食べる時は例外で吸って音を出しても良いとか!

音を出して食べるといえば、日本では落語の蕎麦の食べ方がある。たぶん昔はあのように、すすって蕎麦を食べていたのであろう。しかし今でも蕎麦屋に入ると本当に大きな音を出して、蕎麦をすする人がいる。先日蕎麦屋でザル蕎麦をたのみ待っていると、大きく蕎麦を吸う音が聞こえてくる。「勘弁してよ!もう少し静かに食べろよ、お願いだから!」心中叫ぶが、本人はいったって気にしてない。これって日本の文化でしょうと平然としている。私も食事の時の擬音は気になるので、蕎麦は静かに食べようとするがやっぱり多少音はでる。最近若い人の間でクチャクチャ食べる人をクチャラーと言うそうで、女性にも嫌われる。日本も国際的になり、外国人との会食も増える。いつまでも音を出して食べても平気なローカル文化、個人的には肯定はしたくない

時代と共に食もマナーも変わる。世界の人口が増えると海も汚れ、魚など自然食材も枯渇する。でもザリガニは食べたくない。

(千葉県八千代市勝田台、勝田陶人舎・冨岡伸一)

© 2024 冨岡陶芸工房 勝田陶人舎