
抹茶碗の詩・創作
人生に何か意味があるのかを青春時代からずっと考えてきた。ここまで生きてきての結論は人生とは思考の中に存在するのではなく、日々の行動の中に見い出すものだと思う。手を動かし無心に作陶することは明日を生きる希望に繋がる。
夕暮

抹茶碗の詩・夕暮
半世紀以上前にトーマス・マン原作の「ベニス死す」という映画を見た。老紳士の作曲家が美少年に恋する物語だ。しかし時の移ろいは速い。そのころ青年だった私も、今は老紳士の心境で見つめる。色づき始めた庭木が紅色に染まる夕暮。
行

抹茶碗の詩・行
私の茶碗製作に今はさしたる目的はない、さりとて退屈しのぎで作っているわけでもない。日々三度の食事に特別意味がないように、ただ黙々と手を動かし続ける。仕事が糧を稼ぐ作業から離れたとき仏教でいう「行」になっていく。
西方

抹茶碗の詩・西方
仏教では極楽は日の沈む西方にあるという。先に旅立つ友人も増えてきたが、順番を待つ間は瞑想の中に揺れていたい。好きな事をして時と戯れていれば、そのうち幕は引かれる。
課題

抹茶碗の詩・課題
これから哲学の時代がまたやって来る。AIロボットが普及し、人々が労働から解放されると人生の意味を失う人々が多くでる。「人はいかに生きるべきか?」でも一足先に時間をもて遊ぶ年金族には、この課題がすでに存在するのだが。
