ドブロク

「ここはいったい何処なんだ・・・?」人の良さそうな数人の村人に取り囲まれてしまった。そして戸惑う私に口々にしゃべりかけてくる。「へえ、日本人なの、どこから来たの、東京?」。「ここは長野の山奥なのか」でも家並みは日本的だが、なんとなく風景が違う。立ち止まり躊躇していると、「冨岡さん、こっち、こっち!」という古(コー)さんの手招き。振り返り向かいの家へゆっくり歩くと、村人もゾロゾロと「そんなに日本人が珍しいのか」それにしても皆が流暢に日本語で答えて、日本人と大差ない。聞けばこの部落、日常会話は日本語だという。特に年配者はその傾向が強いらしい。終戦後日本人がこの部落を訪れたのは初めてで、日本人と話すのは久しぶりだという。

もう38年ほど前になるが、当時私は靴生産の依頼で台湾の台中によく通っていた。言葉が分からないので、いつも高砂族出身の古さんという人に通訳を頼んでいた。そんなあるとき彼から明日、実家に帰るので一緒に来ないかという誘いをうける。翌日は祝日なので快諾し、その朝タクシーで彼の故郷へむかった。台中から山間部の東の方角に登って行くと、景勝地として有名な日月潭という美しい湖に突き当たる。この湖畔を右手に見ながら通り過ぎ、曲がりくねった狭い山道をなおも進むと、突然視界が開け小さな部落が現れた。「へー、こんなとこ台湾にもあるのか、まるで日本の山奥の部落だ」民家の連なる広場で止まると、古さんに続きタクシーを降りる。

日本家屋のような古さんの自宅に入ると家族が歓待してくれた。特に彼の父親は日本人として従軍経験があり「俺は南方で米軍と戦った、日本には今だに戦友も沢山いるぞ」と笑顔で話す。そして奥の部屋に通されて驚いた、なんと床は畳で座卓が置かれている。嬉しくなり座卓の前にすわり窓越しに庭など眺めて待っていると、「こんな所までよく来たなあ、さあこれでも飲むか」彼の父親が大事そうに抱えてきたのが、甕に入ったドブロクである。それをドンブリに大胆に注いでくれたので、恐る恐るひとくち飲んでみた。お米の粒がまだそのまま残っているので薄い粥をすすっているようだが、甘酸っぱくて旨い。これが昔、日本の農家でも作っていた本物のどぶろくか?日本では酒税法で禁止されているが、台湾では山中の高砂族だけに許されている特権だと語っていた。

そして杯を重ねその後どうなったかは、ご想像におまかせする。

(千葉県八千代市勝田台、勝田陶人舎)