柿の葉

勝田台の工房へ通う京成電車の八幡駅には、自宅から徒歩10分。メイン通りを往けば一本の直線通りであるが、車の通行量も多く味気ない。わざわざ細い住宅地を通っていく。家々の塀からのぞく梢などを眺めていると、季節を感じていいものだ。

駅に近い一軒の家の柿木は毎年みごとに紅葉する。真っ赤な実をつけた柿木からは、美しい落ち葉が道路に散乱。人気の無いその家は掃除する人もいないらしく、いつもそのまま放置されている。

昨年その何枚かを持ち帰り、粘土に葉を押し付けて葉脈の型をとってみた。柿天目や黄伊羅保の釉薬をかけて焼成、柿の葉皿を作ってみました。写真の三枚の柿の葉のうち一枚が本物。

皆さんはどれが本物か、もちろん分かりますよね。

日本酒

戦後、経済成長とともに洋酒に押されてきた日本酒も近年、少しずつ復活しつつあるようである。

燗酒として呑まれてきた日本酒は、かっておもに伏見や灘の大手蔵元で作られてきた酒が主流であった。しかし冷酒として飲まれるようになると、お米と水の良い越の寒梅、八海山などの新潟のお酒が好まれるようになってくる。米と水の良い新潟のお酒は冷で呑んでも甘さや舌に残る粘っこさが無く、全体にあっさりしている。特に上善如水はその名のとうりさらっとして呑みやすく、一時私もこのお酒を愛飲していた。

しかし日本人の嗜好の変化が広く認識されてくると、大手蔵元の白鶴、黄桜、日本盛りなどでも、これらのテイストに対応したお酒が作られるようになってきている。また海外で日本酒が呑まれ始めると、ワイン感覚で楽しめるお酒が好まれ、ワイングラスで日本酒を楽しむ機会も多くなってきたようだ。

数年前には海外で名を上げたダツサイなど、山口の小さな蔵元のお酒も話題になり幻のお酒と呼ばれていたことがある。でも最近、工場増築により生産量が急にふえた。今ではどこの居酒屋などでも簡単に呑むことが出来るようになり、そのありがたみもだいぶ薄れてきたと思う。

このように変化してきた日本酒だが、たまには原点に帰り畳に熱燗も良いのではないだろうか。

 

モノトーン

宮本武蔵の枯れ木モズ、蕪村の雪中カラスなど水墨画のタッチで表現された鳥の絵の名画は大好きだ。いつか自分でも真似でも良いから、こんな風に鳥を描いてみたいとずっと思ってきた。白と黒の二色の表現は無限で、絵とは別に我々の想像力を刺激し、個々人の感性の世界へと誘う。

それには勢いのある筆の動きが全てだ。ゆっくり書いていたのでは鳥の動きが表現出来ない。何も考えずいっきに線を描きたい。ところが紙の上に描くにとは、かなりかってが違う。釉薬をかけた上からだと、すぐに水分が吸収されて筆が走らない。特に細い線だとなおさらだ。

いろいろ試行錯誤の結果このプレートが完成。

 

里山<2>

山すそに沿った道を左におれると、太い孟宗竹の生い茂る森の中にポッカリト廃屋がたっている。人の住んでいる気配もなく、半ば朽ちかけているこの廃屋を、私は雀のお宿と命名している。

木漏れ日に映し出されるこの廃屋を、ただ佇んでじっと眺めていると、まるで信州信濃の山奥まで尋ね来たような錯覚に陥る。

そして曲がりくねった道を進むと、農家の集落が現れる。昔ながらの萱葺き屋根を金属の板でスッポリ包み込んだ古屋。長屋門を構えた家など、どれも広い敷地にドッシリトたっている。表札を見ると松戸さん、蜂谷さんが多い。たぶん皆さんこの地に長く住み、互いに姻戚関係なのだろう。

村落の中央を左に折れると、円福寺という寺がある。この境内に聳え立つ銀杏の大木は実に見事である。四方に張り出した枝ぶりバランスが良く、樹齢何百年か定かではないが、たぶん5、6百年はたつのではないか。

境内の左手の階段を上ると、小さな観音堂がある。訪れる人もあまりいないようで、落ち葉の積もった庭にひっそりたたずむ。

さらに右手の階段を上るとそこには墓地だ。どれも黒御影石の大きな墓標の立つりっぱな墓だ。墓の前の祭壇には常に花がたむけられ、地元の人々の先祖の霊を慰める意識の強さが感じられる。

前方に眼を向けると、梅林が広がる。春先にはいつも花の香りを楽しめるが、梅ノ木の寿命は短く、盛りを過ぎていて精彩が無い。

前の道を直進すると、勝田台病院見えてきて、工房に戻る道へと続く。

以上、私の20分の散歩、四季おりおりに楽しめる。ぜひ一度訪れてみてください。

日常を忘れられますよ。

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