拾い玉

コロナウイルスの感染拡大で先月非常事態宣言が発令されると、殆んどの小売店や飲食店が休業することを余儀なくされた。しかし自治体の休業要請に、なかなか応じようとしないのが一部のパチンコ屋であった。だれもがパチンコ屋は三密で濃厚接触のうえ、喫煙者も多く換気が悪いイメージをもっていて、クラスターの震源地になるのではと危惧する。ところがマスコミなどの異常なバッシングをよそに、パチンコ屋からはコロナの感染者の報告は今のところはない。パチンコ屋の店主曰く、「店内は換気が良く、客同士の会話もあまり無い。それに人々はパチンコ台に向かって横並びに座るので見た目より安全だ」しかしこれだけ世間から批判を浴びるのはパチンコはギャンブルだ。という認識があるからではないのか?

私がパチンコ屋に出入りしていたのは小学生の頃である。まだテレビもあまり普及していない当時、パチンコは大衆娯楽であった。我が家でも夕食が終わると、父親は駅前のパチンコ屋に時々出かけた。そこで私もたまには同行することになる。だが当時夏場は冷房設備も無いので、パチンコ屋の入り口は常に広く開放されている。そのため風通しは良いのだが外からは丸見えで、知人がいると確認できる状態であった。またジャラジャラ騒音は道に響き客をさそう。他にも子連れで来ている人もいて、親から玉をもらうと並んではじいた・・。。「おっ、やった、入ったぞ!」玉が無くなると店内をうろつき回り、落ちている玉を捜す。この拾い玉一個で当りがきたことがあった。しかし徐々に子供の入店は禁止になる。

そしてこの頃は、パチンコで勝利し出玉を景品交換所に運んでも、換金することはできなかった。でもタバコに代えればそれを買い取ってくれる人がいて、金になったらしい。現在のようにパチンコ屋・景品交換所・外の景品買い屋という三店方式で自由に換金出来るようになったのは、1961年に大阪で元府警察官だった水島という男がはじめたのが、全国に広まったという。それからパチンコは本格的にギャンブルに移行し、一日に数十万円も勝ち負けするようになった。今わが国ではパチンコギャンブル依存症の人はかなりの数に上るという。この緊急事態宣言の最中に、車で越境しオープンしているパチンコ屋に殺到!世間の批判をあびている。「パチンコが出来ればでコロナに感染し、死んでも本望」とギャンブラーは言い放った。

横浜に着工予定のカジノ建設が先日中止となる。このコロナ騒ぎで本拠地ラスベガスのカジノも再開が遅れ火の車!とても新規出店どころではないらしい。政治家の利権の温床カジノなど必要ないのではないか?(勝田陶人舎・冨岡伸一)

© 2024 冨岡陶芸工房 勝田陶人舎