ベッコウ飴
そう言えば最近ベッコウ飴を見る機会がほとんどない。むかし縁日の屋台ではよくこのベッコウ飴が、テーブルの上の段に直立して並び売られていた。自宅近くの八幡神社秋祭りの夜に、友達と一緒に出かけるとカーバイトの燃える光に照らされ、様々な形のベッコウ飴がキラキラと琥珀色に輝いていた。当時屋台を照らす明かりには発電機がまだないので、電球でなくカーバイト(カーバイト石に水を加え、発生したアセチレンガスを燃焼させたランプ)が使われていた。シューというかすかな吹き出し音と、油のようなあの独特の香りは、鮮明に私の脳裏に焼きついていて、今もしあの懐かしい香りを臭いを嗅いだら、戦後昭和の記憶がいっきにあふれ出てくると思う。
「私一人で外に出たくない!」もう40年以上も前の話。まだ小さかった娘が不安そうに告げた。なんでも幼稚園の友だちの何人かが「口裂け女」の噂を聞いたらしい。道の向こうからやって来るスカーフで顔を隠した女性に遭遇すると、いきなり女は布をはずすし「わたしって綺麗」と迫ってくる。なんと耳まで裂けたその唇には真っ赤な口紅が塗られ、恐ろしく怖い顔だという。でも「口裂け女はベッコウ飴が大好き」口が裂けているので、平らで横に広いベッコウ飴を舐めるには好都合!だから口裂け女に遭遇したらベッコウ飴を差し出し、舐めている間に逃げるとよいそうだと不安げに言った。確かにベッコウ飴はおちょぼ口には舐めにくい・・・。でもこのような怖い噂話はいつの時代でも、子供達の間で話題になることがある。
私が子どものころ恐怖心を抱いたのは「人魂・ヒトダマ」との遭遇である。ヒトダマとは夜に飛ぶ青い火の玉で、死者の魂とされていた。人が亡くなった家やお墓の近くでヒトダマを見たという情報が多くあり、夜一人で寺の墓地などには怖くて殆んど近づけなかった。すると夏休みになると年長の子供に誘われるのが「肝試し・キモダメシ」である。真っ暗な近所の寺の墓地を、一人ずつ歩いて一周して度胸を試す。「俺はヒトダマを見たことがる。あれは小雨降る夜だった。墓地の横の通りを通ると、青白い光が幽かに輝き俺のほうに近づいてきた」など出発する前に年長者がもっともらしく語る。すると子供達の恐怖心はにわかに煽られ、だれも最初に行きたがらない。お化けなどはいないと思っていた私も、父親やすぐ上の姉も、ヒトダマは見たことがあると聞いていたので、しり込みするばかりであった。
今の時代で恐ろしいのはウィルスという化け物との遭遇である。眼に見えないので、怖くてマスクなしでは気軽に外にも出られない。
(勝田陶人舎・冨岡伸一)