茶飲み話・無常感

「ゆく川の流れは絶えずして、しかも本の水にあらず。よどみ浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びてひさしく留まることなし・・・」。「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり、沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらわす。驕れる者も久しからず、ただ春の夜の夢の如し・・・」。これは方丈記と平家物語の誰もが知る序文であるが、確かにどこか似てる気がする。

最近SNSで作者不詳と伝えられる平家物語。実は鴨長明作ではないのか?という説をとなえる人がいたが、私もその可能性ありと考えるひとりである。鎌倉時代のほとんどおなじ時期に書かれ、序文や文章の書き方も類似性が多く琵琶の名手でもある。このような天才が同時期に二人いたとも思えず。同一人物であると考えるほうが自然である。

この二作の名著に共通する文章の意図は人の命のはかなさを記す。一般的に人は晩年を迎えると無常感が日々増してくるようだ。私も鏡に映した自身の白髪を眺めると、他人事と思っていた終焉の時が、もうそこまで迫っているという実感にたじろぐこともある。でも終りの無い「芝居」もないので静かに目を閉じ、時の流れに身を委ねるしかない。

短い人生いかに生きるかは人それぞれである。しかし最近の若い人を見ていると、きのどくに感じる。偏差値教育と経済的安定を重視するあまり、一番重要な「生きがい」というものを犠牲にする。「君達は青春を自由に楽しめばよいのだ」などと、今どきの学校の先生は決して言わない。私が学んだ市川高校には当時、岡垣という名のユニークな英語の先生がいて、授業の前に必ず哲学の話をした。彼はドイツ人実存哲学者ニーチェ「この人を見よ」が好きで生徒達にも読むことを勧めた。

「俺は学校に来るのに同じ道は通らない。日々ルートを少し換える。変わり映えしない日常生活など生きる意味が無い」。「自意識の磨耗は自己の喪失に通ずる」などと生徒達に説いた。私は今の日本の若者は哲学不在だと思っている。学校で不必要な知識を多く詰め込んでも、生きる指針にはならない・・・。(有意義な人生の送り方を考えさせるのが真の教育だと思う。勝田陶人舎・冨岡伸一)

 

 

茶飲み話・人生

「時の流れは早い」。気がつけば後期高齢者という嫌なレッテルを貼られる年になってしまった。今までの人生を振り返ってみると、私ほど好きなことだけをして、自由に人生を享受した人間も少ないと思う。私は子供の頃から束縛されるのが大嫌い。そのため学校や会社勤めなど、自身を拘束する組織といかに係わらないで過ごすかを考えてきた。

人生など「ある秘密」を知れば誰でも思い通りに生きられると思う。でもこの秘密殆んどの人が実行しない。その秘密とは、「人生思えば必ず叶う!」自分がこうしたいと強く望めば必ず天に届く。私は自分の願望を描くと、それを具体的に脳裏に写し、実現できるまで執着した。人生は一度きり、自分は楽しむために生まれてきたという思いが強かった。

「高学歴の人は気のどくな面もある」。なぜなら一流大学を卒業し一流会社に勤めると、その仕事が不向きでもなかなか辞められない。「辞めたい」と口に出せばせっかく努力して入社したのにと、親やまわりからの反対にあう。そこでしかたなく一生組織に縛られてストレスをため、人生を棒に振る。高学歴は大企業や役所にいてこそ威力を発揮するのだ。

私はお金のために自分の貴重な時間を売ることを嫌った。それはお金と時間のどちらが大切といえば、もちろん時間のほうが大切と思っていたからだ。時間はお金に代わるが、お金は時間に代わらない。いくら金持ちでも死ぬ間際に、全財産であと一年売ってくれと望んでも無理な話である。だから私は自分の人生時間は自身のために多く使いたいと願い、時間の切り売りは最小限にとどめた。

私のこの考えは年少の頃から芽生えていたので、たぶん父親の影響によるところが大きい。私の父親も社会的通念を嫌う、根っからの自由人で軍国主義や天皇制などに否定的なリベラリストであった。浅草育ちの父親は若いときからジャズやアメリカ映画が大好きで、ハリウッドに行く目標をたて渡航の準備までしたが、それは夢に終わったと聞いた。(定年などない私は現在も、好きなことをやり続け人生を楽しんでいる・・・。勝田陶人舎・冨岡伸一)

 

 

 

 

茶飲み話・夫婦

「夫を変える」。妻たちの闘い!という記事が先日読売新聞掲載されていた。人生100年時代、夫婦で過ごす時間は長くなっている。妻を見下し、世話をしてもらうのが当たり前だと思っている夫と、どう向き合って行けばいいのだろう?ということだ。今の若い夫婦は別にして昭和育ちのわれわれの世代にとっては、この問題かなり深刻のようだ。

なにしろわれわれの世代は男は外で働き一家を経済的に支え、女は家庭で子育てと家事の担当、という伝統的なルールに縛られてきた。通常この慣習は子育てが完了すれば役目を終えるが、一般的には夫の定年退職まではなんとなく引きずっていく。しかし夫が定年を迎え一日中在宅するようになると、妻の不満がいっきにふきだしてくるのだ。

「もういいかげんにしてよ、妻の定年はないの!」との突然の詰問に夫は狼狽するか、怒るかのどちらかである。男の気持ちからすれば「俺は今まで一生懸命働いてきた。これからは少しノンビリさせろ」だが、妻とてこれを期に家事労働からの解放を切望しているのだ。そこでお互い膝を突き合わせ、冷静に直談判をすればよいのだが、従順な女性はトラブルを避けこれをしないで不満がたまる。

私は妻に対する所有格はもうとっくに捨てている。「私の妻」「俺の女房」などという言葉や発想は今はない。夫婦など、もともと赤の他人どうしの共同生活である。こちらに自由があれば、同様に相手も自由を求める。われわれ世代の悪いところは母親と妻を混同し、女性に対して甘えの感情を抱くことである。家事や雑用はは何でもしてくれてあたりまえと。

私たち夫婦は出会いの時から、当時はやっていた「サルトルとボーボワール」のお互い自立したリレーションが理想と話し合っていた。しかし結婚したとたんこの理想は崩れ、自身も従来型の威張る夫に代わった。でもそのご妻の「自立と人権を認めろ」のさいさんの抗議に私自身もまたサルトルに戻っていった。そして今は自分に出来ることは何でもこなし、適度な距離感を保って生活している。(新聞記事では夫への要求は手紙に書くと良いらしい。勝田陶人舎・冨岡伸一)

 

 

 

茶飲み話・投資

「インベスト・イン・キシダだってさ!」株式投資で得た利益に対して、現状の20パーセントの税率を5パーセント増税すると発言している岸田総理が、先週ロンドンでおかしな発言をした。なんと外国人投資家や日本人にもっと日本株に投資を!と呼びかけた。自らは株持ってないと語る総理のトンチンカンな言動にはあきれる。

ウクライナ問題などで終始するテレビ報道の中で、かき消されがちなこの手のニュースに注目する人など殆んどいない。しかし私はこれから老後の貧富差は預貯金の運用で決まると考えているので、この岸田発言は気になる。現在日本人の金融資産はおよそ2千兆円と言われるが、その半数が利子のつかない銀行預金などに滞留しているのだ。総理はこの虎の子の個人預金を、投資に呼び込もうと考えているらしい。

「政策は買い」という言葉が投資の世界では昔からあり、政府の打ち出す政策に従えば儲かるとされてきた。環境問題の解決が重要といえば、環境関連会社の株を買えばよし、電力不足が大変だといえば電力会社株を買えばよいということだ。ところがこの度は日本株全体を買えと言っている。こういう時は素直に、それぞれの業種で一番業績の良い会社の株を買えばよい。今世界的に株価が暴落しているので、タイミングとしては悪くないかも?

「給料の上がらない若者の間ではすでに株式投資のブームは始まっている!」世の中の動きに敏感な若者は、これから豊かに生きる道は株式投資しかないと肌感覚で認識しているのだ。そして現状彼らの中からは億円稼ぐ人も多く出ている。現在のように円安やインフレが進み金の価値が減価し続けると、預貯金だけに頼る庶民は知らないうちにドンドン貧困になっていく。

でも経済オンチだと金融界から馬鹿にされる岸田総理の「貯蓄から投資へ」スローガンに期待できるのか?総理が岸田さんに代わってから経済はより低迷し、日本株は下がり続け円安も進む。でも素人が株式投資などに手を出すと殆んどの人が損をする。投資してもしなくても貯金が減る世の中、金のかからない鴨長明晩年の生き方をベースにすれば、何があっても気楽なもんだ!(写真・いっぷくの茶を飲み干せば生きてる実感がわく。勝田陶人舎・冨岡伸一)

茶飲み話・飲茶

「うーん、このお茶碗なら良さそうだ」と成形したての茶碗を手のひらに乗せ、目線までかかげる。もうこのような作業を続けて10年になろうか?でも今だに納得のいく器との出会いはない。私は茶人ではないのでとりあえず茶道の視点での茶碗作りは脇に置く。あくまでも自分で使って気に入ればよいのだ。誰の要望を聞くでもなく、ひたすら自問自答を続けるから飽きずにいる。

思えば私は青春時代から俗世間からはなれ、孤高に生きることを理想としてきた変わり者である。あえて先達をあげれば方丈記の随筆家・鴨長明の晩年のすごし方あった。人里離れた場所に庵を結び、琵琶など弾き執筆と夢想の中で日々を送る。そして浮世とはなるべく接点を持たない。でも実際にそれを行なうべく環境を整えると、孤独で生きることが快適だとも思えない。

鴨長明の生きた乱世鎌倉時代初期と現在とでは、なんとなく類似点が多い。たとえば大地震や火山噴火の心配、食料・エネルギー不足による飢餓、コロナなどの疫病流行、戦での市民に対する理不尽な殺戮など枚挙にいとまがない。そして最近ではロシアの核兵器使用まで問題視され、まさに鎌倉時代の阿鼻叫喚の再現すらあるのだ。

「まっ黄色な外壁の住宅もありか?」危機と背中合わせの時代には食料備蓄して巣篭りがベストだが、民家から少し距離を置くわが工房界隈にも宅地造成の波が押し寄せてきた。新しく建つ住宅を眺めると外壁の色が黒を中心に、黄色や青の派手な色でまるで置かれた積み木のようだ。掲示された室内の間取りも、畳部屋など見当たらない。これでは茶道で伝えられる日常生活での所作も歴史の中に消える。

でも茶道が衰退しても抹茶を楽しむ心は大切にしたいものだ。近年日本人があまり抹茶を飲まなくなった主因は、堅苦しい茶道の流儀にあると思う。茶道の立ち居振る舞いは、忙しい現代人とは共振しない。「みなさん、健康のために毎日抹茶を飲みましょう」とシンプルにマッチャドリンクをすすめる。そして外国人を含め多くの人が飲茶を楽しめば、立礼よりもっと簡素な茶道生まれるかもね?(写真・手作りの立華風盆栽。勝田陶人舎・冨岡伸一)

 

 

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