茶飲み話・茶の湯御政道
茶の湯御政道とは戦国時代織田信長により、茶の湯が政治の道具に使われた事象を言う。平安時代に中国から我が国に伝ったお茶は最初の頃は頭痛薬として使われたり、まだ茶道などの形式もないので、ただ喫茶を楽しむだけの存在であった。そして抹茶自体も今のような緑色でなく、ほうじ茶のような茶色の粉末であったという。中国ではお茶はウーロン茶のように乾燥発酵させるので色は当然茶色である。
その後お茶の木が日本で栽培されるようになると、日本では緑の若芽をつまみ乾燥させるので、緑色のままでグリーンティーとして親しまれた。それから時が経過すると、お茶が好きであった織田信長が現れ喫茶を政治の道具にできないか?一計を案じることになる。もし茶道具に高額をつけ家臣に褒美として与えれば、金子を節約できると考えたのだ。それまで合戦で手柄を立てた武将には、領地や金子を与えることが常であった。
賢い信長はそのころ堺で茶道を確立しつつあった千利休を向かい入れ、茶道の普及と朝鮮で作られたタダの飯茶碗に、茶道具として用いることにより高額な値段をつけること発案した。そして戦で活躍した武将達に金子の代わりに、茶道具を与えたのだ。最初戸惑っていた武将も徐々に金子よりも茶道具を喜んで受け取るようになる。そして茶会自体の開催も禁止にし、信長が認可を与えた者だけの特権にかわった。秀吉も褒賞として領地や金子の代わりに茶会の開催権を得た時は、非常に喜んでいたとの記述がある。
私が考えるに、茶道具の高騰は日本における最初のバブル現象だと思っている。小さな茶入れなどの価値が何千石にも化けたのだ。これを見ていた南蛮人が「あんな古びた茶碗、銅銭一枚でもいらない!」といったとか。まさに冷静に考えればその通りだと言えなくもない。でもそのころオランダでも珍しいチューリップの球根に法外な値段が付いたチューリップバブルの歴史がある。
今でも昔中国でつくられた世界で3個しかない曜変天目茶碗には300億円もの高額が付く。たしかに美しいと思うし貴重であるが300億とはねえ!もし私が大谷君のように金持ちであったとしてもこの金額では買いたくもない。豚に真珠、猫に小判、貧乏人に曜変天目である。物の価値はブームになると熱狂し、とんでもない値段になる事がある。(米国の財政が破綻しゴールドがバブルになれば老後資金の心配も消えるのだが。勝田陶人舎・冨岡伸一)