茶飲み話・日常
目を閉じて、じっと自身が生きてきた軌跡を思い返してみると、日本が先の大戦に破れ混沌と貧困の中で日々生活していた過去を思い出す。私が幼児期の頃の我が国民は毎日の糧を稼ぐために全ての人々が奔走していた。今いろいろ騒ぎになっている米は配給制で、各戸に支給された米穀通帳なしに米を自由に購入することは出来なかった。この米穀通帳には月単位で家族が購入できる米の量が記載され、厳重に管理されていた。
「貧乏人は麦を喰え」とは1950年に当時の大蔵大臣池田勇人が国会答弁で述べた言葉だが、当時でもこれは野党議員の批判の対象になっていた。私は団塊世代なので当時はまだ3歳であったが、この頃の窮状はかすかに記憶に残っている。しもた屋で小さな丸い卓袱台を囲み、家族6人が正座して一汁一菜の夕食を頂いていた。でもなぜか悲壮感はなく笑顔の中で淡々と日々を過ごしていたように記憶している。
しかしその頃をボトムに日本は繁栄の道を進んでいく。そして1990年に頂点に達したバブル経済はそのご崩壊へと向かうことになる。そして30年間続いた景気低迷とデフレのあと日本経済は見事に復活と言いたいところだが、実際には景気低迷は続きなおかつインフレが襲ってくる。そして少子高齢化により現役世代の急激な減少は年金世代の負担増を誘発する。これからは今までのように国に期待は出来ない。国も財政逼迫で無い袖は振れないのだ。
こうなると我々年金世代に出来ることはふたつ、老後貧困に負けない強いメンタルを鍛えるか、ゴールドなどの実物資産でインフレに備えるかだ。私は5年前から預貯金の実物資産への転換を提唱してきたがこれらの資産もすでに高騰し、そろそろ手遅れなので貧困時代の楽しい過ごし方などを考えた方が良いかも?金など使わなくても心豊かに生活する方法は色々あると思う。
でも高齢者の貧困はまだ仕方ないとしても、これからは若い世代にも貧困はやって来る。不正規雇用の蔓延、ロボットやAIによる雇用喪失、物価上昇と賃金低迷、など貧困の芽はいたるところに存在する。政府やマスコミはできるだけ真実を隠す報道しかしないが、今の我が国の現状は静かに経済成長以前の時代に回帰しているのです。(繁栄、衰退、繁栄、衰退、そして現在は明らかに衰退期に向かっている。しょせん経済などこれらを繰り返す循環論でしかない。勝田陶人舎・冨岡伸一)