抹茶碗の詩・晩年

 

人生は晩年にある。家族や仕事から解き放たれ自由な思索と行動の中で、自らを醸成する至福の時である。

抹茶碗の詩・懐石

 

むかし空腹に耐えかねた人たちが石を温めて懐に入れ、飢えをしのいだと聞く。懐石料理とは元来豪華な料理でなく、お茶席で空腹を満たす程度に供された料理である。インフレで老後貧困が忍び寄る昨今、清貧に生きる知恵を古人から学ぶべきかもしれない。

抹茶碗の詩・青春

 

青春時代は中原中也の「汚れちまった悲しみに」という詩が好きだった。特に「なすところもなく日は暮れる」というフレーズだ。人生にはさしたる意味はないのでは?と思いながらも今だに生きる意味を見つける歩みを続けている。

抹茶碗の詩(うた)

 

早いもので私がこのブログで茶飲み話を連載してから、すでに7年が経過する。最初は自身の文章力を上げるために続けたが、最近ではテキストを書くより抹茶碗制作がライフワークとなってきたため長い文章の茶飲み話を終了し、短い文章で簡潔にその時の心境を綴る「抹茶碗の詩」に代えたいと思う。抹茶碗の詩とは茶碗の中に自身の自然観や、古来から続く日本の伝統的美意識や風景描写などを茶碗に景色として写すことにある。

抹茶碗の中にポエムを感じ、目を細めて眺めれば抽象的であるが、どこか日本の原風景をイメージできる良ような茶碗を作りたいと思う。そして一つ一つの抹茶碗の詩が集まって、抹茶碗の詩集となったら楽しい。私の抹茶碗作りは物質的な茶碗である前にリリカルなポエムであるべきだと願う。(抹茶碗を削り炎と対話する叙情的茶碗作家。80代はこれでいくか!笑。勝田陶人舎・冨岡伸一)

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