抹茶碗の詩・鯉

 

私の父は晩年80代の時に静かに絵筆をとって花鳥風月などの日本画を描いていた。私もすでにその歳に近づいているのでゆっくりとロクロを回し続けている。写真は父の遺作と私が50代の時の絵皿である。晩年こそ時間を有効に使いたいものである。

抹茶碗の詩・時間

 

80代を人生の消化試合にしないためにいかにあるべきか?若い頃にあれだけ渇望した自由な時間を実際に手に入れると、有難味が薄れる時もある。

抹茶碗の詩・無心

 

ロクロに乗る粘土と向き合い無心に手を動かす。世俗のしがらみから離れ、心に浮かぶ造詣を形にしていく。物欲から離れ、瞑想の中で遊ぶ。来世には思いで以外すべてを置いていく。

抹茶碗の詩・自問自答

 

最近自分は何のために抹茶碗を作るのか?自問自答することが多くなった。茶碗作りに興味を抱き、日々飽きもせず作り続けているわけだが、それには私なりの理由がある。抹茶碗は本来お茶をいただく一つの道具にすぎないのだが、抹茶碗には古来より単なる機能をそなえた道具以上の何かがある。先人たちは抹茶碗の中に神秘的な大自然や夜空に広がる星々などを写してきた。

 

抹茶碗の詩・未練

 

いくつになっても、もっと豊かになりたいという思いはある。しかし多くを所有すれば旅立ちの日の未練は増す。

© 2026 冨岡陶芸工房 勝田陶人舎