茶飲み話・知足
知足とは、自分の境遇に満足し、分相応で生活する事とある。これからもっと二極化が進むと少数の富裕層と多くの貧困層に別れる。すると当然サラリーの無い年金族の多くは、好むと好まざると貧困層に入っていく。自分は絶対にその層にはならないと言うだけの資産があれば問題ないが、ひとたびハイパーインフレが来れば少々の預金ではとても対応できない。そこで資産防衛と共に必要なのが貧困に対する心構えである。
日本は島国でそのうえ長い間鎖国も続いたので、基本自給自足の知恵もいろいろとある。「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」という格言もあるように戦後続いてきた繁栄しか知らない現代人は、これからは近代以前の人々の暮らしぶりなどを参考にする必要も出てくる。昔の人々は貧困を卑下するでもなく、和をもって心豊かに暮らしてきたのだ。でも実際にその時代を生きた訳でないので理想論であるが、本当に貧しくなる前に心構えなどを考えてみたい。
日本には清貧の思想など清く貧しく生きるための知恵が様々ある。例えば「身の丈で生きる」、「起きて半畳寝て一畳」、「一汁一菜」、「ボロは着てても心は錦」「武士が食わねど高楊枝」など貧しさに負けない知恵は様々だ。これからどのような時代がやって来るのか分からないが、私の実感では人口が減り続ける日本の未来が今よりも明るいなどとも思えない。常にどん底を想定して生きていれば、自分の現状に対する感謝の念もわく。
「弊衣破帽」とは戦前旧制高校の学生が好んだ貧乏ルックである。傷んだ学生服に破れた帽子を被り、下駄を鳴らして歩く姿にあこがれた時代もあった。ところが戦後我々の高校時代はアメリカからやって来た、洒落たアイビールックが流行り校則を無視し、バンのボタンダウンのワイシャツにチャコールグレーのズボンをはいて学校に行った。当時繁栄を誇ったアメリカの生活スタイルが青春時代の憧れであった。
でもイタリアの語学学校で会ったアメリカ人のポールはコロンボ刑事のような古びたベージュのコートを身にまとい通学していた。特に感心したのが教科書を安売りスーパー・スタンダの名が印刷された買い物袋に入れ、ぶら下げて通った。そして彼はそれを卑下するでもなく誰とでも陽気に挨拶など交わしていた。「カッコイイ、これぞ究極の貧乏ルック!」(若い頃はボロは着てても心は錦も良いが、年を重ねるとねえ。老後貧困にならぬよう心がけよう。勝田陶人舎・冨岡伸一)
格差社会
茶飲み話・格差社会
いま世界的な現象として進んでいるのが格差社会の到来である。金持ちはより資産を積み上げ、貧乏人は加速度的にその貧困度合いを増している。日本の場合、その原因の一つにあるのが企業の利益配分である。特に大手の上場企業が企業努力により得た利益を、適切に従業員に還元できないシステムになってきているのだ。バブル崩壊で日本人が所有する株式が急落し売却した後、それを拾い集めたのが海外の投資家である。
その時以来、日本の上場企業の株主の多くが外国人に変わった。すると彼れらは「会社は株主の物である」と主張し、本来従業員に配分されるべき利益を、株主に支払うように要求した。そして株式の配当金の増額や、株主に有利な自社株買いに利益を回すように圧力をかけた。すると企業の経営者は彼らの主張を受け入れ、サラリーに回すべき資金を株主に支払うようになったのだ。日本人の給料が上がらなくなった主な原因はこの利益分配にある。
そして現在、給料が大きく上がらない状況に追い打ちをかけるように進んでいるのが、諸物価値上がりを伴う急激なインフレの進展である。「ええ、また値上げか!」半年前に1400円に値上げしばかりの千円床屋が、昨日行くと券売機の価格表示が1500円に変わっていた。このように最近の物価高には驚くばかりである。いよいよ私が数年前より警告していたインフレの進行による貧困は、これからが本番になる。
以前から指摘しているように、これから時代勤労者以上に経済的圧迫をうけるのが我々年金族である。いっぽう不動産やゴールド、株式などを多く所有する資本家は実物資産の値上がりで、その富がますます増大する。このようにしてリッチな一部の富裕層と多くの貧困層の格差は増々ひらいていく。だが不動産を買うには大金が必要で、株式投資は高齢者にはリスクが高い。そこでゴルード保有が最善であったが最近の値上がりで、ゴールドの新規買いも高嶺の花となった。
するともう一度見直したいのが「清貧の思想」である。日本人は古来より清く貧しくを実践して生きてきた民族である。普通人間は生活が困窮すると精神まで卑しくなる。ところが日本人は「詫び寂び」など華美でない精神文化をいろいろ生み出してきた。豊かさとは何も物質的な充足ばかりではない。一汁一菜でも精神的に豊かに暮らせば幸福感は得られると賢人はいう。(自分で焼いた茶碗に湯をそそぎゆっくりと味わ会う。天を仰ぎ人生これで良いのだと達観を気取る。でも貧乏は好きではない。勝田陶人舎・冨岡伸一)
茶の湯御政道
茶飲み話・茶の湯御政道
茶の湯御政道とは戦国時代織田信長により、茶の湯が政治の道具に使われた事象を言う。平安時代に中国から我が国に伝ったお茶は最初の頃は頭痛薬として使われたり、まだ茶道などの形式もないので、ただ喫茶を楽しむだけの存在であった。そして抹茶自体も今のような緑色でなく、ほうじ茶のような茶色の粉末であったという。中国ではお茶はウーロン茶のように乾燥発酵させるので色は当然茶色である。
その後お茶の木が日本で栽培されるようになると、日本では緑の若芽をつまみ乾燥させるので、緑色のままでグリーンティーとして親しまれた。それから時が経過すると、お茶が好きであった織田信長が現れ喫茶を政治の道具にできないか?一計を案じることになる。もし茶道具に高額をつけ家臣に褒美として与えれば、金子を節約できると考えたのだ。それまで合戦で手柄を立てた武将には、領地や金子を与えることが常であった。
賢い信長はそのころ堺で茶道を確立しつつあった千利休を向かい入れ、茶道の普及と朝鮮で作られたタダの飯茶碗に、茶道具として用いることにより高額な値段をつけること発案した。そして戦で活躍した武将達に金子の代わりに、茶道具を与えたのだ。最初戸惑っていた武将も徐々に金子よりも茶道具を喜んで受け取るようになる。そして茶会自体の開催も禁止にし、信長が認可を与えた者だけの特権にかわった。秀吉も褒賞として領地や金子の代わりに茶会の開催権を得た時は、非常に喜んでいたとの記述がある。
私が考えるに、茶道具の高騰は日本における最初のバブル現象だと思っている。小さな茶入れなどの価値が何千石にも化けたのだ。これを見ていた南蛮人が「あんな古びた茶碗、銅銭一枚でもいらない!」といったとか。まさに冷静に考えればその通りだと言えなくもない。でもそのころオランダでも珍しいチューリップの球根に法外な値段が付いたチューリップバブルの歴史がある。
今でも昔中国でつくられた世界で3個しかない曜変天目茶碗には300億円もの高額が付く。たしかに美しいと思うし貴重であるが300億とはねえ!もし私が大谷君のように金持ちであったとしてもこの金額では買いたくもない。豚に真珠、猫に小判、貧乏人に曜変天目である。物の価値はブームになると熱狂し、とんでもない値段になる事がある。(米国の財政が破綻しゴールドがバブルになれば老後資金の心配も消えるのだが。勝田陶人舎・冨岡伸一)
お米
茶飲み話・お米
最近テレビニュースなどを眺めていると、お米の値上がりの話題が多い。最近の米不足で米価が二倍以上も値上がりしている。私は買い物などしないので実感はないが、日々料理にいそしむ主婦にとっては、今のお米の急激な値上がりは他人ごとではない。近くのスーパーを数軒巡り一番安い所での購入を決めるという行動をする。そしてお米の値上がりは多くの飲食店の料金に影響するので、ワンコインでは牛丼ですら食べられない時代になった。
そこで政府も備蓄米を放出し価格下落を狙うが、今のところ米価が下がる見込みはない。通常お米の値上がりは冷害などの凶作の翌年に起こるが、昨年は冷害だったというニュースも聞いてないので、原因はどこか別のところにあるようだ。日本の高齢化問題は深刻で農業にもおよび、年々耕作面積が減少している。なにしろ農業の就労年齢が平均70代というのでお先真っ暗である。
「日本はアメリカからもっと米を買え!」とトランプさんは我が国のお米の高関税に言及し改革を迫るが、もし唯一自給率100パーセントの米までが輸入に頼るとなると、我が国の食料自給率は30パーセントも割ることになる。平時ならともかく、もし世界的な飢饉や戦争で食糧供給が途絶えれば多くの日本人は飢えに苦しむことになる。最近貧困に苦しむ中国人の一部で木の皮の調理法が流行し、北朝鮮ではすでに食料として木の皮が売られているので、現在食材豊富で世界一飯の旨い我が国も他人事ではない。
最近人気のあるゴールドもコメ価格同様に値上がりが続くが、コメとゴールドを比べると最後には米に軍配があがる。生き物は食えなければ飢え死にするだけだ。また日本では何世代前の江戸時代では米が通貨として使用されていた。各藩の財政も1石、2石という米の石高で表示され、家臣にはお米で給料が支払われていた。武家は米で生活物資を購入したり、金貨、銀貨などの貨幣に代えた。
そのように考えると通貨としては紙幣より金貨が強く、金貨より米の方が強いという関係が成り立つ。もし米が腐らなければ食糧危機やインフレ対策としてコメの備蓄もありだ。もしコメが100年もてばトランプさんの要望に応え巨大な備蓄倉庫を作り、国民全員がが3年喰える量の米備蓄を始めたらよいのだが。(日本人の命を繋ぐコメの重要性を真に考える時がきている。最近の米不足はオニギリ食べる多くの訪日客の影響も多少あるかもね?勝田陶人舎・冨岡伸一)
金の茶室
茶飲み話・金の茶室
日々抹茶碗を作るうえで当然考えるのは千利休の侘茶の概念、「詫び寂び」である。あのイーロンマスクも詫び寂びの考えに心酔する一人で、訪日のおりには京都の寺で座禅を組み瞑想にふけるという。詫び寂びの概念は我々日本人にとっても難しく、詫びとは質素や不完全さ、寂とは時間の流れによる閑寂な古びた物を愛でる心などとある。当然私自身も利休を意識し茶碗をひねるが「詫び寂び」を完璧に理解しているわけではない。
いっぽうで豊臣秀吉はワビサビなど小難しい概念など無視をし、黄金の茶碗などに真の価値を見い出す。そして黄金の茶室などを作り、最終的にはワビサビを否定し、利休を消し去ることになる。物質的な価値を比べれば希少な黄金と、粘土から作られる陶器とではその価値は比べ物にならない。しかし当時は茶碗一個に多くの黄金が支払われた歴史がある。私が茶陶に興味を抱くのは利休と秀吉を通して物の価値とは何か?を考える題材になるからである。
「あなたは利休と秀吉のどちらがすきですか?」と聞かれれば迷わず、当然利休だと答えたいところだ。しかしもしここに利休好みの古びた黒楽茶碗と黄金の茶碗が置かれたら、迷わず黄金の茶碗を選ぶだろう。闇夜のような鈍く光る黒楽よりも、ピカピカ妖艶に光る黄金の方が良いに決まってる。でもこれを言ったら茶陶作家失格なので、言及しなかったことにする。
殆どの日本人はまだ気づいていないが、いま世界中で黄金の奪い合いが起こっています。特にこれから貧困が予想される中国人が多く買いあさっている。中国元が安くなるので、今のうちに黄金に代えておこうというと思っているのです。これにインド人も参戦しているので、黄金は高くなる一方です。それに米国も国家の債務危機でドルを黄金に代える動きも出てきました。
最近証券会社でゴールドの投信を薦める動きも活発化しています。元来株を売る証券会社がゴールドを推奨するなど、通常はありえないことです。私と一緒にワビサビを念頭に清貧に生きるのも結構ですが、貧困の上に文化は存在しないので心してください。粘土とゴールド、紙とゴールド、乱世にはどちらが選ばれるのか?(ワビサビとゴールド、この対比が面白く晩年のテーマにしています。勝田陶人舎・冨岡伸一)