茶飲み話・冬眠

 

「人類も冬眠できるかもしれない」という画期的な研究が進行中だそうだ。先日見たNHK「サイエンスゼロ」よると、人間も熊のように冬眠できる可能性があるそうで、もしこれができれば人類に多大な恩恵を与えそうである。例えば救急搬送時に一時的に冬眠状態を作れば、心臓が停止していても酸素不足による細胞の死滅を抑制できるらしい。

そのほか今現在では治る見込みの無い難病も、治療法が確立するまで冬眠させて医療の進歩を待ったり、長い時間のかかる宇宙旅行などに応用すれば遠くの惑星まで行くことができるようになる。むかし学生時代に見た「2001年宇宙の旅」という映画では確か人類が木星に到着するまで、カプセルの中で冬眠するシーンがあったような気がする。

冬眠すれば時間だけが経過するので必然的に未来に行くことも可能になるが、未来からは帰ってこれない。これでは浦島太郎と同じで、家族や友人のいない未来を生きるのも寂しい。いま医療をはじめサイエンスの世界は日進月歩、今さら昭和の時代がよかった!などと言っても手遅れです。

先日も製薬会社エーザイから認知症を治療する薬「レカネマブ」がアメリカで承認された。日本でも数年後に認証されるそうで、これが認知症を患う人たちにとっての救世主となる可能性がある。認知症は遺伝する確立が高いので、親が認知症で亡くなった人たちの老後の心配も少しは軽減するはずだ。

これから高齢者は未来のサイエンスに注目し、それらを積極的に生活にとりいれてこそ、健康で豊かな余生を送ることができると想う・・・。私のブログでは生活に役立ちそうな情報を、世間話程度で身近な人たちと共有し、熟年者目線で時代のトレンドを考えていきたい。(世の中これからどんどん面白くなる。勝田陶人舎・冨岡伸一)

 

茶飲み話・将棋

 

「何が悪かったか分からない」とは先日、王将戦で藤井聡太くんに敗れた羽生さんの対局後の感想である。私はこの言葉を聞いて将棋界に君臨し続けた名人羽生善治をしても理解しがたいと言わせる、この二十歳の青年の思考回路はどうなっているのか?非常に興味を感じた。彼はたぶん通常の人類でなくサイボーグ(電子機器などを埋め込んだ人造人間)かも。

でも彼は時代が生んだ寵児でもある。ことし52歳になる羽生さんの子供の頃はまだパソコンが普及しておらず、先輩などの人間と対局し腕を磨いていた。ところが藤井君はデジタルZ世代なので、生まれた時から身近なパソコンAI将棋と対局し、コンピューターに勝つ訓練を重ねていたらしい。結果人間では思いつかないようなトリッキーな戦法を編み出し、羽生さんをほんろうさせている。

そして藤井君の後輩にはAIを駆使した将棋の天才児達もいるそうで、藤井君すら安穏としていられない状況であるという。現在このような状況は将棋だけでなく全ての業種で見られ、AIを駆使できるかどうかで人の能力が判断される時代である。そのため記憶力に優れ、頭の柔らかい若者が世の中を牽引し、デジタルに乗れない熟年は社会の隅へと追いやられる。変化の乏しい時代には経験豊富な年寄りは尊敬されたが、今や旧来の知識などほとんど役立たずである。

「任天堂って、確か花札を売る会社だったよね」。私が子供の頃、正月になるとコタツに入って家族で花札で遊んが、花札はむかし賭博に使われていたので、いまいちイメージは健全ではなかった。そんな花札をあの任天堂はコツコツ販売し生業としていたのだ。ところが1970年代後半にテレビゲームに進出すると一世風靡し今日の礎を築いた。

近年デジタルゲームが進化すると、トランプ、花札、マージャン、囲碁、将棋といったアナログゲームは衰退する一方である。しかし将棋界ではデジタル棋士藤井君の出現により人気が復活した。あと5年もすると医学やサイエンスを初め、全ての分野で劇的に世の中の仕組みが変わる・・・。(有史以来もっとも激動の100年を生きているという認識が大事だと思う。勝田陶人舎・冨岡伸一)

茶飲み話・正露丸

 

私の子供の頃に飲んだ薬の中で、いちばん印象に残る薬はなんといっても、あの強烈に苦い「正露丸」である。黒くて長丸だった正露丸はわが家の常備薬ではなく、たまたま訪れた友人宅で飲んだ記憶がある。その時は別に腹痛でもなく「これ噛んでみ」とふざけ半分に手渡された。まだ昭和も30年前後なのでクスリの多くが漢方などの生薬だった。

当時わが家では風邪をひくと「改元」という顆粒で同じくほろ苦い生薬を飲む。そして厚い布団を頭からかぶり、顔を真っ赤にして汗をかく。すると熱も下がり、2,3日で全快した。しかしこの方法は子供の体力が落ち、健康によくないとかで徐々にすたれていった。すると同時に改元もクスリ箱から消え、「ルル」や「パブロン」といった大手製薬会社などの西洋薬に代わった。

「パブロン・ゴールドがいま急激に売れている!」その原因はまた始まった中国人によるクスリの買占めであるという。ゼロコロナ政策での都市封鎖をいきなり解除したお隣では、いま感染爆発がすさまじい勢いだ!そのため患者であふれる病院はまともに機能せず、多くの人々は薬局で売る薬に殺到する。結果品薄になった風邪薬は5,6倍に跳ね上がった。

そしてこれを商機と考える中国人が、日本やアジア各国で風邪薬の買占めに走る。中には在庫全部、あるいはダンボールごと買う人もいて日本でも風邪薬が品薄になる可能性もある。特に中国人に人気の大正製薬のパブロン・ゴールドは、飲むとじきに症状が和らぐので特に人気があるらしい。数年前のマスクと同様に今回もマツキヨの棚から風邪薬が消えて、定価では買えない事態など起こらなければよい。

「良薬は口に苦し」という格言が昔あった。今のクスリはまわりがコーティングされているので、クスリの味を感ずることは殆ど無い。でもクスリが苦いとなんとなく効く感じもする。コロナの出始めでは正露丸が効くのでは?という冗談めいた話も聞いた。(もうすぐ中国の春節が近づく、でもコロナ禍での来日は控えて欲しい。勝田陶人舎・冨岡伸一)

茶飲み話・年賀状

 

「あけまして、おめでとう御座います。今年もブログのフォローなどよろしくお願いします」。ところで新年といえば元旦に届く年賀状は楽しみの一つであるが、せんじつ旧友の一人から「そろそろ互いに年賀状のやりを取り終了しないか」との提案があった。実は私も同じことを考えていたので、「渡りに船」とばかりに快諾した。

わが家では年賀状は毎年下絵を私が考え、妻がそれを版画に掘ってもう40年以上続けた。でも歳を重ねるとその作業が徐々に負担になり、今年で終了することにする。定職を持つ身ではないので、師走といえどさして忙しいわけではないが、年賀状書きがなくなれば気分的にはだいぶ楽になる。しかし年賀状のやりとりは長年会ってない学生時代の友などもいるので、安否確認にはよい点もあった。

最近は「年賀状の代わりにラインで送ればよいよね」とすでに若い人からどんどん年賀状離れが進み、SNSでのやりとりに代わった。それが徐々に熟年世代と伝播し、もう数年すると年賀状という慣習も激減すると想う。かつては年賀状の枚数で交友関係の広さを競ったが、もうそれも過去の思い出となりつつある。

先日「ピンポン!」とラインメールの着信音でうたた寝からさめた。見ると親友からの動画だ。アイコンをスクロールし、現れた美しいクリスマスツリーの写真をタップする。すると私の好きな山下達郎の「クリスマス・イブ」のメロディと共に、素敵な映像とメッセージが流れる。その日はちょうどクリスマスイブだった。カードの代わりに動画とは時代の変化を痛感する。

いま世界の人口は80億人をこえる。日本は人口減少だが後進国では人口増が止まらない。そこで人類一部は宇宙に進出するか、メタバース仮想空間にこもるかの二択になる。2045年にコンピューターAIが人類の思考を超えるシンギュラリテーがくるといわれていたが、2025年に早まったという。いったい人類の未来は明るいのか?戸惑うばかりである。(今年もまた激動の一年が始まった。勝田陶人舎・冨岡伸一)

 

 

茶飲み話・80歳の壁

 

最近、昔よく通った駅近の本屋に出かけてみると入り口の脇に、老後生活をいかに過ごすかの様々な指南書がワンコーナー、ビッシリと並べられていた。そういえば工房のある八千代市勝田台団地も多くの住民が高齢者となっており、団地内を巡る循環バスに乗ると、およそ八割がシルバー世代で座席をうめる。あと10年もすると世代交代がスムーズに行なわれないと、この街は空き家だらけになる。

今年の年間ベッストセラー総合第一位は、医師の和田秀樹さんが書いた「80歳の壁」である。この内容を要約すると80歳を超えたら無理をせず、勝手気ままに好きなことをして自由に生きる事だそうだ。そのほか吉村芳弘医師の書いた「80歳の壁を超える食事術」という本も話題になっている。その副題は70歳になったらしっかり食べて、しっかり太っておきまあしょう!とある。

なにしろ80歳をむかえたら不必要なダイエットなどをせず、カロリーの高い肉なども多く食べ、小太りぎみな身体にしとくことが長寿の鍵となるらしい。でもウェストまわりがタイトで穿けなくなった多くのズボンを眺めると、もう少し痩せたいの願望がよぎる。しかしこの歳になると多少の節食では体重は減らない。そして1キロ痩せるのにも長い時間をかけることになる。

「あなたも泳いだら」。とフランス人ガールフレンドのベルナデットに促がされたことがある。それは半世紀以上もまえの、パリから北西部にあるドーバー海峡に面した遠浅の砂浜が続く海水浴場である。6月の海辺は太陽がまぶしく、目を細めて陽光をさえぎっていた。「うん、私はいいよ」とかるく首を横にふった。実はこの日、彼女の従兄弟数人がはるばる日本からやって来た私を、車で海水浴に誘ってくれたのだ。浜に着くと彼らは一斉にシャツを脱ぎ捨て、水辺までて走って行った。

今では身長170センチ、体重68キロの私も青春時代は体重53キロで痩せていた。日本では海水浴に行っても自分がやせていることにあまり意識が無かったが、フランス人男性は上半身筋骨隆々でよい体格をしている。それに圧倒され、とても裸になれない自分がいた。「こんなことならもっと身体鍛えておけばよかった」とコンプレックスを強く感じその場をにごした・・・。(本年もフォローありがとうございました。良いお年をお迎えください。勝田陶人舎・冨岡伸一)

 

 

 

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