茶飲み話・虎の子

「資本主義とは何か?]いきなりこう書けば、拒否感情をいだくご婦人方は多いと思う。なのでごく簡単に解説してみたい。よく今の日本は資本主義社会であるといわれるが、でもほとんどの一般人は資本主義社会で生活している実感などない。日本の現状は資本主義社会というより、預金主義社会というべき状態なのだである。

日本人は本当に銀行預金が好きだ。現在は銀行預金をしても金利などほとんどつかない。なのに自宅のタンス預金も不安なので、「虎の子」を銀行に預けている。三菱や三井住友などのメガバンクに預金せず、これらの銀行の株を直接買えば現状では年率4、5パーセントの配当金をゲットできる。でも株式は値下がりや倒産が心配だとほとんどの人はこれをしない。実際には財務内容の良好なこれらの銀行より、日本国のほうがよほど財政状況が悪く、円安による通貨円の目減りや破産の確立は高い。

われわれ日本の庶民は、もっと資本主義社会で生活しているという自覚をもつべきだ。ある程度の虎の子を銀行に預けてもそれはただ現金である。資本とはその金を投資運用し、利益を得る「種銭」となって初めて資本と呼ばれる。ただ銀行に眠るだけ金は資本ではない。残念なことに資本主義社会とは金を積極的に運用し、「利益を得て金持ちになる人達や経営者」を優遇するための社会のことだ。

「新しい資本主義で一億総株主構想!」ついに出ましたよ。経済オンチだと馬鹿にしていた岸田首相が、国民に向け新しい政策を打ち出した。「1000兆円単位の預貯金をたたき起こし、市場を活性化する。国民の投資意欲を盛り上げ、家庭内貯金を積極的に投資にまわすだって!」国もやっと重い腰をあげ、国民に資本主義社会で生きている自覚を促がすようである。

そこで今後の対応を考えてみると、今は日本株は米株に比べてかなり割安だ。しかし投資家はこの情報を聞いてすでに日本株を買い始めている。安倍前首相が安部のミックス構想を打ち上げたら、数年で日経平均は3倍になった。岸田さんの減税を伴なう新しい政策でも、株価は値上がりする可能性がある?(虎穴にいらずんば虎児を得ず。老若男女金が欲しければ投資しかないらしい・・・。勝田陶人舎・冨岡伸一)

 

 

 

茶飲み話・雪谷の白バラ

「雪が谷の白バラ」というエピソードを若い頃、父親から聞いたことがある。それは昭和初期、千代田区神田に住んでいた父親が、週末の住まいとして購入した目黒区雪が谷の別邸に滞在していたときの話だ。その家は坂道の途中にあり、低いほうは土塁が築かれ土手になってたという。そしてその上には写生のためにと、真っ白いバラが植えられていた。

ある時、道に出てみると校帽に黒い学生服を着た二人の青年が土手に這い上り、バラを数本手で折り取っている。それを見た父親は「トゲが痛いだろう?」と下から突然の声賭けをする。ヤバイ!二人はギョッとして、逃げようと身構えた。すると父親は笑顔で「チョッと待ってな」と宅に戻り携えた花バサミを手渡す。「好きなだけ切りなさい」と・・・。

「たったそれだけでよいの」。二人は5,6本のバラを切り取ると土手から飛び降り、恥ずかしそうに一礼してと坂道を下っていったという。去っていく二人の後姿を見送ると、入隊の時期が迫るのか?不安がよぎったという。満州事変などでそろそろ日本がきな臭い時代に突入していった頃である。雪ガ谷の白バラ、彼らの愛の告白のお役に立てたら幸いなのだが。当時は多くの学生達が恋愛も成就せず、人目につかない一輪のバラのように戦火に散った。

バラといえばなんといっても最初に頭に浮かぶのが文豪ゲーテである。彼ほどバラを愛し、そしてバラが似合う男も少いと思う。私の青春時代のある時、小説家志望であった先輩が「ゲーテはバラのトゲが原因で亡くなったんだよ」。彼の説明によるとゲーテは恋人へのプレゼントにとバラを素手でおり、指に刺さったトゲから破傷風菌が進入し死亡したという。

「カッコイイ、死に方ですね。さすがゲーテ!男の死に方としては最高だ」。私は反応し二人で盛り上がった思い出がある。でもこの話あくまでも作り話で真実ではないらしい。バラの花がいつから愛の告白と同意語になたったかは知らないが、気がつくと最近のバラの花束にはほとんどトゲがない。(写真・父親の雪ガ谷バラ・デッサン。帯などの刺繍の下絵に使った。勝田陶人舎・冨岡伸一)

 

 

 

茶飲み話・無常感

「ゆく川の流れは絶えずして、しかも本の水にあらず。よどみ浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びてひさしく留まることなし・・・」。「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり、沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらわす。驕れる者も久しからず、ただ春の夜の夢の如し・・・」。これは方丈記と平家物語の誰もが知る序文であるが、確かにどこか似てる気がする。

最近SNSで作者不詳と伝えられる平家物語。実は鴨長明作ではないのか?という説をとなえる人がいたが、私もその可能性ありと考えるひとりである。鎌倉時代のほとんどおなじ時期に書かれ、序文や文章の書き方も類似性が多く琵琶の名手でもある。このような天才が同時期に二人いたとも思えず。同一人物であると考えるほうが自然である。

この二作の名著に共通する文章の意図は人の命のはかなさを記す。一般的に人は晩年を迎えると無常感が日々増してくるようだ。私も鏡に映した自身の白髪を眺めると、他人事と思っていた終焉の時が、もうそこまで迫っているという実感にたじろぐこともある。でも終りの無い「芝居」もないので静かに目を閉じ、時の流れに身を委ねるしかない。

短い人生いかに生きるかは人それぞれである。しかし最近の若い人を見ていると、きのどくに感じる。偏差値教育と経済的安定を重視するあまり、一番重要な「生きがい」というものを犠牲にする。「君達は青春を自由に楽しめばよいのだ」などと、今どきの学校の先生は決して言わない。私が学んだ市川高校には当時、岡垣という名のユニークな英語の先生がいて、授業の前に必ず哲学の話をした。彼はドイツ人実存哲学者ニーチェ「この人を見よ」が好きで生徒達にも読むことを勧めた。

「俺は学校に来るのに同じ道は通らない。日々ルートを少し換える。変わり映えしない日常生活など生きる意味が無い」。「自意識の磨耗は自己の喪失に通ずる」などと生徒達に説いた。私は今の日本の若者は哲学不在だと思っている。学校で不必要な知識を多く詰め込んでも、生きる指針にはならない・・・。(有意義な人生の送り方を考えさせるのが真の教育だと思う。勝田陶人舎・冨岡伸一)

 

 

茶飲み話・人生

「時の流れは早い」。気がつけば後期高齢者という嫌なレッテルを貼られる年になってしまった。今までの人生を振り返ってみると、私ほど好きなことだけをして、自由に人生を享受した人間も少ないと思う。私は子供の頃から束縛されるのが大嫌い。そのため学校や会社勤めなど、自身を拘束する組織といかに係わらないで過ごすかを考えてきた。

人生など「ある秘密」を知れば誰でも思い通りに生きられると思う。でもこの秘密殆んどの人が実行しない。その秘密とは、「人生思えば必ず叶う!」自分がこうしたいと強く望めば必ず天に届く。私は自分の願望を描くと、それを具体的に脳裏に写し、実現できるまで執着した。人生は一度きり、自分は楽しむために生まれてきたという思いが強かった。

「高学歴の人は気のどくな面もある」。なぜなら一流大学を卒業し一流会社に勤めると、その仕事が不向きでもなかなか辞められない。「辞めたい」と口に出せばせっかく努力して入社したのにと、親やまわりからの反対にあう。そこでしかたなく一生組織に縛られてストレスをため、人生を棒に振る。高学歴は大企業や役所にいてこそ威力を発揮するのだ。

私はお金のために自分の貴重な時間を売ることを嫌った。それはお金と時間のどちらが大切といえば、もちろん時間のほうが大切と思っていたからだ。時間はお金に代わるが、お金は時間に代わらない。いくら金持ちでも死ぬ間際に、全財産であと一年売ってくれと望んでも無理な話である。だから私は自分の人生時間は自身のために多く使いたいと願い、時間の切り売りは最小限にとどめた。

私のこの考えは年少の頃から芽生えていたので、たぶん父親の影響によるところが大きい。私の父親も社会的通念を嫌う、根っからの自由人で軍国主義や天皇制などに否定的なリベラリストであった。浅草育ちの父親は若いときからジャズやアメリカ映画が大好きで、ハリウッドに行く目標をたて渡航の準備までしたが、それは夢に終わったと聞いた。(定年などない私は現在も、好きなことをやり続け人生を楽しんでいる・・・。勝田陶人舎・冨岡伸一)

 

 

 

 

茶飲み話・夫婦

「夫を変える」。妻たちの闘い!という記事が先日読売新聞掲載されていた。人生100年時代、夫婦で過ごす時間は長くなっている。妻を見下し、世話をしてもらうのが当たり前だと思っている夫と、どう向き合って行けばいいのだろう?ということだ。今の若い夫婦は別にして昭和育ちのわれわれの世代にとっては、この問題かなり深刻のようだ。

なにしろわれわれの世代は男は外で働き一家を経済的に支え、女は家庭で子育てと家事の担当、という伝統的なルールに縛られてきた。通常この慣習は子育てが完了すれば役目を終えるが、一般的には夫の定年退職まではなんとなく引きずっていく。しかし夫が定年を迎え一日中在宅するようになると、妻の不満がいっきにふきだしてくるのだ。

「もういいかげんにしてよ、妻の定年はないの!」との突然の詰問に夫は狼狽するか、怒るかのどちらかである。男の気持ちからすれば「俺は今まで一生懸命働いてきた。これからは少しノンビリさせろ」だが、妻とてこれを期に家事労働からの解放を切望しているのだ。そこでお互い膝を突き合わせ、冷静に直談判をすればよいのだが、従順な女性はトラブルを避けこれをしないで不満がたまる。

私は妻に対する所有格はもうとっくに捨てている。「私の妻」「俺の女房」などという言葉や発想は今はない。夫婦など、もともと赤の他人どうしの共同生活である。こちらに自由があれば、同様に相手も自由を求める。われわれ世代の悪いところは母親と妻を混同し、女性に対して甘えの感情を抱くことである。家事や雑用はは何でもしてくれてあたりまえと。

私たち夫婦は出会いの時から、当時はやっていた「サルトルとボーボワール」のお互い自立したリレーションが理想と話し合っていた。しかし結婚したとたんこの理想は崩れ、自身も従来型の威張る夫に代わった。でもそのご妻の「自立と人権を認めろ」のさいさんの抗議に私自身もまたサルトルに戻っていった。そして今は自分に出来ることは何でもこなし、適度な距離感を保って生活している。(新聞記事では夫への要求は手紙に書くと良いらしい。勝田陶人舎・冨岡伸一)

 

 

 

© 2025 冨岡陶芸工房 勝田陶人舎