BCG
我々が小学生の頃、新学期になると必ず行なわれるのが各種予防注射であった。特に低学年では毎月のようにチフス、日本脳炎、天然痘、ツベルクリンにBCGなどの予防注射をうたれた。当時天然痘予防の種痘は腕にメスでバッテンに4ヶ所切り込みを入れ、そこに抗体植えつける方法で行なわれていた。しかしこの傷跡は大人になっても消えることがなく、夏場女性がノースリーブになると目立つ。そこで私の父親はこれを嫌い自分の長女には、わざわざ保健所に出向き見えない腕の内側に種痘を受けさせたので、長女にはこの二の腕の傷跡がない。その後しばらくすると種痘はメスでなく傷跡が残らないハンコ注射に代わる。残念なことに団塊世代以上が年を若くごまかしても、腕まくりをすればバレバレになる。
「おまえ赤くなってるか?」保険室の前の廊下に並び、不安げにお互いのツベルクリン注射痕を見せ合う。ツベルクリンとは結核に対する生まれ持った抗体の有無を調べる注射で、抗体があると注射痕が赤くはれてくる。陰性の子供が多いのだが、2,30パーセントの割合で陽性の子がいた。「まずい、ぜんぜん赤くなってない!」注射痕をたたき赤くするも、医者の目はごまかせない。「はい、陰性です」といわれると次に待っているのがBCGという恐ろしく痛い注射!そのうえ注射跡が化膿して直るのに数ヶ月もかかる。「また今年も陰性かー」ガックリ肩を落とす。そして二度のBCG注射の後、私は陽性になりやっとこの痛い注射から開放された。その後このBCGは同じく判子注射に代わり、ツベルクリンを受けずに日本人の全員が接種するようになる。
ところがこの結核という肺病の免疫抗体をつける。BCGがコロナウイルス肺炎に対しても、ある程度の免疫効果があるらしいということが噂され始めた。中国の次に感染が始まった日本では感染拡大スピードが緩やかで、欧米とは異なる動きをしている。いま爆発的に感染が広がっているイタリアやアメリカではBCGは全く行なわれておらず、同じヨーロッパでもBCGの行なわれていた国々とは明らかに感染拡大に差があるというのだ。まだその因果関係は調査中だが、オランダやオーストラリアのコロナ医療従事者には、とりあえずBCG接種を始めたらしい。これは推測だが先日亡くなった志村ケンさんは我々団塊世代である。団塊世代は生まれつきツベルクリン陽性の場合、BCGを受けてない人もかなりいるのも事実である。
日本ではコロナ肺炎が高齢者で重篤になる確率が高いのは、免疫力の低下の他にBCGの接種の有無も関係があるのではないかとうわさされている。
(勝田陶人舎・冨岡伸一)
パスタ
パスタ
パスタには大きく分けてスパゲッティーのようなロングパスタとマカロニなどのショートパスタがあり、その種類は100を数えるという。パスタの起源は13世紀イタリアの商人マルコポーロがシルクロードを通り中国に旅したあと、イタリアに伝えたのが始まりと思っていたが、以前イタリア人に聞くと「いや、パスタはイタリアのオリジナル!」との答えだった。シシリアでは昔から食されていてその起源ははっきりしないらしい?パスタにはトマトソースが使われるがトマトは南米原産である。そのため15世紀新大陸発見によってイタリアに伝えられたので、今のパスタ料理はそれ以降に発展してきた。でもパスタと中国の麺類は非常に似ており、そのルーツは中国にあるのでは?と個人的には思っている。
そのためかイタリア人は中国に近親感をいだいているようだ。ヨーロッパの国々なかで積極的に習近平の政策、一帯一路に参加し中国との関係を密にする。特にイタリアの重要産業、バックなど皮革製品やアパレルの縫製工場は中国資本を導入、結果イタリアにはいま多くの中国人が滞在している。「メイド・イン・イタリー」といっても経営者と作り手のほとんどが中国人では、そのブランドイメージも半減する。「軒下を貸して母屋を取られる」イタリア人も単純なので彼らの狡猾さがわからない。そしてそのことが今回のコロナウィルスの大規模な拡散につながっているらしい。中国の甘い誘惑に乗り関係を深めると、いろいろトラブルも多くなる。
まだ改革開放が中国で始まる40年以上も前、ペルージアのイタリア語の語学学校には共産中国から、二人の留学生が来ていた。平らな赤ら顔、グレーの人民服を着て見るからに田舎者で苦学生という感じ!しかし教室では前席に座り一生懸命無心に授業を受けていた。同じ東洋人なので話しかけても微笑むだけでわれ関せず!誰とも交わろうとしなかった。当時中国は文化大革命が終わってしばらくたった頃で全くの鎖国状態、まだ外貨も殆んどない最貧国であった。そのため留学できる彼らは母国では相当なエリートだったに相違ない。今では中国共産党外交部のトップクラスの地位にいるかも?もっと積極的に話しかけて友達になっていれば、金儲けのコネクションができたはず・・・。ハハハ、冗談です。中国人はそんなに甘くない。
イタリアがコロナウィルスの蔓延でいま大変なことになっている。中国資本を当てにした、その代償は大きい。気をつけよう中国資本と武漢肺炎。
(勝田陶人舎・冨岡伸一)
出前
出前
ついにコロナウィルスの蔓延で東京がロックダウン封鎖されようとしている。それより先にニューヨークではすでに外出禁止令が出て、移動が著しく制限されているようだ。こうなると人々は食品などの日用品の買い物以外は自宅に篭り極力外出を控える。そしてレストランやカフェも店をクローズし、ドライブスルーやテイクアウト以外の営業は出来ない。すると店内の接客にあたるホールスタッフは突然解雇で翌日から職を失う。アメリカのサービス業の雇用形態はほとんどが日本でいうフリーター、週給制なので家賃やローンもすぐに滞る。すると喰うに困った一部の人が犯罪に手を染める。そこで今食品などと共に密かに買いだめされているのが、強盗から身を守るための銃や銃弾だという。アメリカの銃社会の現状は真に恐ろしい!
「すいません、いま作っています!」出前で頼んだラーメンが1時間過ぎてもまだ届かない。すきっ腹に耐えられず催促電話をかけると返答はいつもこれだった。忘れてましたとか、混んでいるのでとかは決して言わない・・・。われわれが子供の頃、鮨屋、鰻屋、蕎麦屋、中華料理屋などでは、通常出前で売り上げの大半を稼いでいた。とくに蕎麦とラーメンは値段が安いので、わが家でもちょくちょく出前をたのんだ。するとラーメンなどは自宅に配達される頃にはソバがのびて液を吸い柔らかくなる。親はまずいと言っていたが、私はこの伸びたラーメンけっこう好んで食べていた。しかし日本が高度成長をむかえると、人手不足になり単価の安いラーメン、ザル蕎麦などの出前は徐々に減っていく。
ところが最近のコロナウィルスのパンデミックで再び活気づいているのが、この出前サービスである。ピザのデリバリーはもとから人気があったが、先日老舗の寿司屋の前を通ると「出前始めました」との張り紙が!なんとなく時代を感じた。そして最近宅配といえば何と言ってもアマゾンである。GAFA(ガーファ)と呼ばれ世界を牽引してきた、グーグル、アマゾン、フェースブック、アップルのなかでも、特にアマゾンの宅配ビジネスは世界を席巻している。スマホで何でも注文できるこのサービスは、店舗の存在を著しく否定し続ける。そしていま店を借り家賃と人件費を払ってまで成り立つ商売など飲食くらいだ。時節がら人との濃厚接触の少ない宅配サービスはアマゾンにとってますます追い風となっている。
工房のある勝田台の駅前商店街の靴屋が先日店を閉めた。次に店舗を借りる人も無く、また一軒シャッターの開かない店が増える。(勝田陶人舎・冨岡伸一)
ポッキー
ポッキー
最近朝起きてテレビをつけるのが気が重い、コロナや株価暴落など明るい話題が全くないのだ。そこでなんとなく30年以上も前、日本がまだバブル景気で沸いていた頃のことを思い出してみた・・・。「こんな駄菓子で、金取るのかよ!」と目の前のテーブルに置かれたチョコポッキーを眺めて苦笑い。チョコポッキーが出始めて暫くすると、スナックバーや安めのクラブのお通しには、このポッキーがよく使われた。店に入りテーブルにつくとキープボトルのウイスキーと共に、まず登場するのがタンブラーのブッカキ氷に刺された、2,30本のチョコポッキーであった。見た目にはなんとなくお洒落で感じも悪くない。でも100円のポッキーをタンブラーに刺すと何十倍にも跳ね上がるのには閉口だった。
確かにウイスキーにはチョコレートがあう、だが余りにも簡単なツマミで馬鹿にされた気にもなる。氷に刺した冷たいポッキーはチョコレートが硬くなって常温よりも旨い。でもカラオケなどに夢中になると食べる頃には氷が解けてくる。水に浸かったポッキーはべチャべチャで大半は廃棄される。どうせこの手のクラブには最初からツマミなど期待してないのだが、このポッキーと籠に入ったポテトチップでは、いくらこの商売でも安易すぎる。しかしケチをつけると「それではフルーツでも切りましょうか?」と言われたらヤバイ!それこそフルーツの値段はママの気分次第で全くの時価、いくら請求されるか分からなかった。
「おはようございます!」仕事帰りのОLホステスバイトの文ちゃんが午後7時頃にご出勤。バブル当時どのクラブにもアルバイト女性が多くいた。隣に座った文ちゃんに小声で「時給いくら貰っているの?」と聞いてみた。「ううん、と間をおいて3700円かな」とのこと。三時間席に着き軽く酒飲んでオジサン達の話相手をすれば1万円か!これでは確かに飲み屋の料金は高いわけだ・・・。(その後じきに浮かれて札束が飛び交っていたバブルは突然崩壊する)そして倒産の嵐がやってきて、就職氷河期へと時代は進んでいく。今の働き盛りのおじさん達は気の毒だ。接待交際費なども余りなく会社の金で飲み歩くこともない。
インバウンド、人手不足と多少盛り上がった景気も、今年に入るとまたしてもコロナウイルスに端を発した株価など、資産バブルの崩壊が始まった。チョコポッキーが数千円に化けた時代など、遠ざかるばかりである。
(勝田陶人舎・冨岡伸一)
花屋
花屋
駅まで通う道に面した「花のワルツ」という名の花屋が近年店を閉めた。原因は分からないが、たぶん経営不振によるものであろうか?毎日店の前を通るが別に客足が減った感じもなかった。でも周りの人に聞くと何処の街でも花屋の閉店が多いらしい。花は生き物なので切花にすればじきに枯れる。コンスタントに売れなければ当然廃棄する量も多くなり採算が取れない。そこで通常花屋は仕入れ値よりもかなり高値で花を売るので、完売できれば花屋は儲かる商売だ。しかし暮らしに余裕がなくなってきた昨今、生花を飾る風習も希薄になってきた。我が家の仏壇も以前は生花を切らさなかったが、知らぬ間に造花になっている。私も還暦の頃までは趣味のダンスなど祝いの席に花束を抱えて出席したが、ジジイが花屋で花束の見立てなど洒落にもならないと思っていた。
「冨岡さん、明日お願いね!」大学生の頃、姉が習ってた池の坊華道の先生と知り合った縁で、私も華道を習い始めことがある。たがこの世界は男性が非常に少ない。まして車を運転していたので荷物運びには最適だった。そこで先生の華展にたびたび駆り出された。当時華道教師の免状は女子の嫁入り支度の一つで習う女性が大勢いた。ところがそのご伝統的な日本家屋の新築減少で、床の間などを作らない洋式の住宅が増える。すると次に華道に代わってフラワーアレンジメントの一大ブームがやってきた。生花は狭い床の間から皆の視線をあびるテーブルの中央へとその活躍の舞台を移した。「でも花の命は短い!」気がつくとそのフラワーアレンジも今では殆んど話題にも上らない。
最近彼岸の時期にはコンビ二でも生花を見かける!昨日霊園の近くのコンビニに立ち寄ったら、お墓に供える花が一対で販売していた。「あなたもこんな所まで下りてきたのか」花好きの私は心の中で花に問いかけた。いよいよ生花の需要も盆、正月と彼岸の時期物となってしまうのか?これでは確かに花屋の店舗は必要ない。ところが最近葬儀に出席すると、以前には余り見られなかった、全面生花で飾られた祭壇がやたらと多い。これってひょっとすると、花業界の生き残り策かもしれないと思う。また近年花の栽培農家では食用の花の開発も盛んらしい。花のサラダなど需要が少しづつ増えてきているという。花を散らしたサラダは確かに綺麗であるが、愛でる花から食べるへと時代は進んでいくとも思えない?
今コロナの影響で歓送迎会、卒入学式の自粛で花の需要が全く途絶えたという。そのため大量の花が廃棄されている。これでは花業界も死活問題で廃業倒産も多そうだ。(勝田陶人舎・冨岡伸一)