
カマキリ

器を作ってみませんか
先日、トルコのイスタンブールのサウジアラビア領事館で同国の反体制ジャーナリスト、カショギ氏が生きたまま体を切断され殺害された。最近高齢のサルマン国王の変わりに政権を掌握し始めたムハンムド皇太子は、非常に野心家で彼の政敵になりそうな人物をことごとく追放し始めている。そのような行動を批判したためにカショギ氏もまた消された。サウジアラビアはイスラム原理主義の国家でイスラム法により厳格に国家が運営され、女性差別や言論弾圧が続いている。しかしこの国は世界二位の産油国で日本を初め多くの国々では、この国の原油供給に頼っているため、声を大にして批判も出来ない状態である。民主主義国家で言論の自由を標榜するアメリカのトランプ政権もなんとなく及び腰であるが、彼自身もまた独裁者の資質を持っている。
今世界を見渡すと言論が弾圧されている独裁国家が実に多い。中国、ロシア、北朝鮮、シリア、サウジアラビアなで多くの国々で政権の批判などは出来ない。しかし民衆の間ではスマホなどネットによるコミニュケーションは活発に行われている。でもこれが政権批判などに向くとすかさず弾圧の対象となる。どうもこれからのネット社会は民主主義の進展でなく、独裁主義管理体制の維持に都合のよいシステムであるということが、徐々に明らかになりつつあるようだ。その試金石は中国の周金平政権で、AIやネット社会をうまくコントロールすると逆にその言論統制を強めることが出来るらしい。
中国の目覚しい経済発展は周主席の世界制覇野望の基、国民が一丸となって突き進むエネルギーがその原動力になっている。誰にも批判できないので素案の決定が早く、いちいち議論などする必要も無いので効率が良い。人の良い安部首相がつまらないカケイ問題など、些細なことをいちいち答弁してるうちに、中国はどんどん海外の技術を盗み取り国力を高めている。なんでも話し合って決める民主主義ははなはだ効率が悪く、優秀な独裁者にはしょせん勝てないかも・・・。尖閣を差し出し昔の様にまた距離的に近い中国に遣唐使を送り、アジア人同士中国の子分になってに生きるほうが日本人にとっては平和かも?またはアメリカと組んで民主主義を守り抜き、今までどうり米軍基地を残しアメリカに頼って生きるか?近い将来本当の意味でその決断を迫られる日が来る。
人類の歴史の中で民主主義などフランス革命以降300年、日本ではたった70年である。高速で変化するこれからの時代、治世にとって本当に民主主義が効率的で理想なのか疑問も残る?気がついたらカマキリがもうそこにいるのだ!(千葉県八千代市勝田台、勝田陶人舎・冨岡伸一)
我々が小学生のころ習った社会科の授業では日本の人口密度はオランダ、韓国についで世界三位!このまま人口が増え続けつると、食糧不足になり大変だと先生の説明があったのを憶えている。それにより戦後は避妊教育や産児制限、優生保護法の施行など人口抑制が奨励された。江戸時代は日本の人口増減は余り無く、三千万人ほどで安定的に推移している。貿易もせず鎖国状態で生活するにはこの数の人口が適切であったのだろうか?明治以降は欧米の列強に追いつけ追い越せという富国強兵論で(生めよ育てよの号令のもと)子沢山が奨励されて人口はどんどん増える。そして日本の領土ではこの人口を賄えないので、満州など大陸に進出し大戦の引き金を引くことになった。
「うちの子結婚しないのよね。誰か良い人いないかしら!」今の時代同世代の何人か寄れば必ずこの話が出る。国の政策通り事が進んで半世紀以上経ったころやっと人口が減り始まると、今度は人口減少にどう歯止めをかけるのか?議論され妊活や不妊手術という変な現象まで生まれてきている。(真に勝手なもんだ、物事そんな計算通りには行かない)実際にもし若い人がどんどん子供を作り人口が増えたら、その方がずっと将来困るはず。私は歓迎すべき現象であると思うのだが、国は右肩上がりでないと国力が衰えるという。人口が減って土地が安くなり、一人当たりの使用面積が増えて広く住みやすい環境になれば、どこかで反転して人口はまた増える。
今の若い女性は結婚願望が薄い。自分の欲求を優先すると女性にとっては家庭を持つことは負担増でしかなく、一時的に自己実現の可能性が殆ど削がれる。そのため目的意識の強い人は家庭を持つことにメリットを感じない。最近の若い男性は子育てにも積極的に参加しているが、女性も働かないと家計のやりくりが難しく、結果的には女性の負担軽減には繋がっていないのが現状だ!昔ヨーロッパで出会った日本人の青年で、イスラエルのキブツ(集団農場)で数年生活した経験を聞いたことがある。そこでは基本子供が生まれると施設で育だて、親とは頻繁に面会するが一緒に住まないといっていた。子供は社会が育てるという考えもあり、これなら女性も楽そうだ!
世の中の価値観は時代と共に常に変わる。男女や家庭のあり方も例外ではないらしい・・・。わが家の庭で好きなススキをプランタに植え育てている。ススキの穂が微風でたなびく様子をボーっと眺めていると心が和む。(千葉県八千代市勝田台、勝田陶人舎。冨岡伸一)
走っていた電車が減速し、スーとホームに滑り込む。ゆっくりと電車が停止すると、直ぐに待機していた駅員がホームと車両の間に板で橋をかけ、車椅子に乗った中年男性が電動式の車椅子で降りてきた。作業は数秒で完了し電車は定刻通り出発していく。そのあと車椅子に乗った人は駅員のエスコートで、ホームに設置されたエレベーターの中へ消えていった・・・。この様なサービスはいま都市近郊の鉄道会社ではごく当たり前の光景になってきてる。改札が自動になり駅員は昔のように切符の販売、回収業務から全く開放された。その結果身障者や乗客のホローなどより細かい対応が可能となった。
「まずい、検察が来た!」まだ改札が自動になる前。通勤電車の中にも時々切符の不正乗車を調べに、検察が乗り込んできて乗客の切符を調べる。定期券を持っている人などは遠くに出かけた場合には、帰りの乗車駅で安い切符を買って途中金を払わず、定期で降りてきたりするいわゆるキセル乗車が横行していたのだ。このキセル乗車は私も何回かやったことがあるが、発覚すると大変な額の違反金が請求される。そのため乗務員と乗客の間は常に監視する側とされる側で、ある種の緊張感があって鉄道会社がサービス業などという認識は、お互いにほとんどなかった。
「駅のホームから絶対に降りないで下さい!」このよな注意書きを駅で目にすることは多いが、これは今では何か物を落とした時の注意書き!ホームから飛び降り無賃で改札を通らず逃げる。こんなこと昔よく目にしたが、今では絶対に出来ない。監視カメラで見られてるうえ、ほとんどパスモなので乗車記録が残る。実によく考えられたシステムだ!ゆとりのできた駅員は親切で乗客との関係も和やか、オモテナシの雰囲気すらある・・・。自動改札を最初に考えた時には乗客が信用できずに、通る前はゲートを閉めておく方法で考えたという。するとゲートの開閉の頻度が増し多くの乗客を裁けない。乗客をもっと信用しようという発想に切り替え、開けっ放しにして問題がある時だけ閉鎖する方式にしたら、上手くいったという。
先日スーパーで買ってきた水耕栽培の豆苗を切って使い、根を再び容器に入れ水を与えたら、芽が伸びてきて御覧のような状態に!(千葉県八千代市勝田台、勝田陶人舎・冨岡伸一)
この夏二年後の真夏の東京オリンピックに向けて、国会でサマータイムの導入が議論されていた。ところが先にサマータイムを導入しているイギリスを始めヨーロッパ諸国では、逆にサマータイムの廃止を訴える人々が80パーセントもいるらしい。日照時間の長い夏場だけ時計の針を一時間長くすることは、確かに節電効果など一部メリットもあると思う。しかしこれは頭で効率だけを考えるほど簡単なことではない!我々のように歳を重ねるとだんだん朝型になり、早く起きるので一時間時計の針を早めることなどなんの支障も無い。ところが若い人たちにとっては大変なことだと思う。日本でも戦後一時期サマータイムが導入されたが3年で廃止になった。
「ああ、いけねえ今日からサマータイムだったよなあ!」と気づいたがもう手遅れだ。イタリアで語学学校に通っていた時に、いつものように朝7時に目覚まし時計の鳴る音で起こされた。ところがその日は4月X日からのサマータイム導入の日だった。だが1時間早く目覚まし時計をセットし忘れたので、もうすでに実際には8時!今から起きて学校に行ってもどうせ遅刻だからと、その日は休むことにした。ところが翌日に目覚ましを一時間早くするが、どうしても起きられない。結局それがきっかけで学校は休みがちになり、慣れるまで10日ほどかかった経験がある。何しろ若い時は長く寝ていられる。今考えてみるとなぜあんなに長時間続けて寝ることが出来たのか不思議なくらいだ。
「もう俺、学校にいきたくねえ!」私もそうだったが、全ての子どもや若い人が学校や会社が好きなわけではない。中途半端で上手く適用できない子もたくさんいると思う。イヤイヤ学校に通っている子供たちもいるなか、サマータイムの導入をきっかけに、登校拒否のきっかけになるのではと憂慮する。日本の7月の暑い盛り、まだ涼しい早朝や陽の長い夕方に競技を行い、選手に負担をかけずに東京オリンピックをつつがなく成功させたいという、主催者の気持ちも分かる。でもすごく微妙な立場で学校に通っている子供たちもいるのだ。早起きが苦にならない熟年達の議論だけで勝手に決めると、それに対応できない子供が多く出る可能性もある。
サマータイムも終わり冬時間になった。目覚めの悪い朝はこの湯飲みで、濃い目の粉茶を飲む!(千葉県八千代市勝田台、勝田陶人舎・冨岡伸一)
最近器を作っていて、自分自身の思考や手が邪魔になると感じる事が度々ある。理想の形にしようと思考しながら手を動かしていると、ある所からどうしても通常のバランスへと、無意識に整形されていくのである。「こんな物AIロボットでも作れるよなあ!」と思いロクロの回転を止めた。人間が頭で計算し考えて作ったような物ではだめだ!「自らの思考の及ばない無作為な器が出来ないものかなあ」たとえば風が吹いて砂塵が舞い後に残る風紋、雨にたたかれ削られる岩肌、波が寄せては返す海辺に転がる石。いやもっと激しく火口から噴出すマグマが固まった溶岩でもよい。しかし課題なのは自然の営みが作り出す造形を、作品になかなか投影出来ないということである。
すると自らの意識と結びついた手は邪魔になる。上手く作りたいと思う気持ちもいらない。理想的には自分の手は天界のインスピレーションや偶発性とリンクされるべきで、それによって出来上がる作品は、当然自らの意識さえ及ばない世界から出てきたという感触である。それは自分で作ったが私の作品ではない。これからAI時代の到来では、潜在意識からの幻想が作りだす作品ならプロムラミング出来ないので、AIロボットにも勝てる!などと冗談に思いながら、一度仕上がった作品を壊したり、落としたり、叩いたり、乱暴に削ってみたりと出来るだけ、自己意思の管理から離れる器作りに思いをめぐらす。当然釉薬のかけ方も偶発的なバランスなどを狙う。
「ええ、こんな物まで正確に作れるのか?」数年前に立体コピー機が登場すると、私は手仕事の将来に不安を抱くようになった。各分野での職人達の知らぬ間にどんどんロボテクの技術は進んでいる。綺麗に正確に物を作ることなど今やロボットの方が早くて上手である。次第に手仕事もなくなるというが、中には手仕事の好きな人もいる。産業革命以降、内燃機関の進歩により人は肉体労働から徐々に解放されてくると、ただエネルギーを消費するスポーツが盛んになった。そして第4次産業革命と言われる人工知能とロボテクにより、多くの手仕事からも開放されるらしい。仕事は優秀な一部の人間とAIやロボットがやるから、一般人は邪魔だからただ遊んでれば良いというのだが?
未来を夢想しながら日々生活するのは楽しい。70年でこれだけ世の中が変わったのだから、加速度的に進む30年後が見てみたい!このブログも書き始めて早や1年、大分書き溜めたので今後は週2,3回のペースにします。(千葉県八千代市勝田台、勝田陶人舎・冨岡伸一)