
茄子


器を作ってみませんか

(秋茄子は嫁に食わすな!)この言葉があるくらいなのでナスの旬は秋なのか?しかしこの意味には色々あり、単純に秋茄子は旨いので嫁には食わせない。またはナスは体を冷やすので嫁には食わせない。そしてナスは種が少なく子宝に恵まれないなどイロイロあるそうだ。我々の子供の頃はナスは夏場、ヌカ漬けや味噌汁の具として毎日のように食卓にあがっていた。そのころは殆んどの野菜が露地栽培で、各々の野菜は旬にしか市場には出回ってなかった。ナスはインドが原産国で奈良時代に中国を通して日本にやってきたという。でもその94パーセントは水分であるが、カリウムが多く含まれていて体の熱を逃がす効果があるという。子どもの頃は何処の家庭でもヌカドコがあり、主婦が木の樽に入ったヌカ味噌をかき回して、腐らないようにいつも管理していた。
「あの女(ひと)はヌカ味噌臭くない!」とは中年女性に対する褒め言葉で、それを言われたら、我々の世代以上の女性は悪い気はしなかったと思う。女が結婚し毎日ヌカ味噌をかき回していると、本当にその臭いが体に移るのかどうかは知らないが、日々の家事や子育てに追われていると、お洒落心も失われて外見をかまわなくなることは確かだ。でも最近では家庭にヌカドコなどもないので臭くなりようもない。それに現代は女性が結婚しても殆んどの人が働く時代!仕事が忙しく料理も惣菜を買って済ますかともあり、ヌカ味噌臭くなっている暇もないのが現状であろか?疲れたキャリヤウーマンの中には「わたしヌカ味噌臭くなってみたい!」などと冗談に言う人もいるのかもしれない。
最近高校時代の同級生とよく居酒屋に行くが、ビールと共にまず最初に頼むのが枝豆と茄子の漬物である。いま家庭ではヌカ漬けはほとんど食べないので、我々同世代はなんとなくヌカ漬けが恋しいようだ。しかしこの茄子の色、お袋が漬けていた昔のナスの色とはかなり違って綺麗だ。何か薬品を使って色止めしてるか、着色しているかだが少し気にはなる。またナスは油を吸うので油を使う料理にはとても合う。天ぷら、パスタ、それに近くの蕎麦屋のメニューにある茄子の冷やしタヌキ。これは半分に切った茄子に、なおかつ縦に細く切れ目を入れ、油て揚げた茄子がトッピングし、梅干一つが入るこの蕎麦屋のオリジナル。日本蕎麦との相性も良ろく結構美味い。
ナスは家庭菜園でも簡単にできるので、キュウリと共にプランタで栽培する人も多い。(千葉県八千代市勝田台、勝田陶人舎・冨岡伸一)

先日(ちび丸子ちゃん)の漫画家サクラ・モモコさんが乳ガンで亡くなった。私の次女も丸子ちゃんの漫画が大ファン!そこでアニメ放送が始まる日曜日の夕方には、娘に付き合って毎週見ていた。サザエさん、ドラえもん、ちび丸子、などこれらの人気漫画はごく一般的で平凡な家庭生活の日常をベースにしている。つい数十年前までは大半の人が、何の疑問も持たずに結婚をし、夫婦分業で家庭生活を営んでいた。サザエさんと丸子の家は三世代同居、のび太の家はとりあず核家族。でもこれらの人気漫画に共通しているのは、母親は専業主婦で家庭にいて、母親と主人公の子供が中心に物語が展開されるという点だ。
でも最近はこの様な家族形態を選ばない人たちが殆んどだ。先進国では家庭を持つということは今では選択肢の一部で、必ずしも一番に優先すべき課題でもなくなってきた。生涯の独身はもちろん、シングルマザー、フルタイムでの夫婦共働きと、家庭生活における母親のあり方も様々だ。そこで現代このような時代にホームドラマを漫画を描くとしたら、どのような家族形態の舞台が選択されるのであろうか?考えて見ると面白い。先日オーストラリアでは同姓婚が正式に認められた。男性同士が婚姻を喜んでキスなどのシーンを見ていると、気持ち悪いと感じるか、微笑ましいと感じるか?その人の主観によると思うのだが、我々世代では法律で認められても、必ずしも理解のある眼差しでは見られないと思う。
「だめー、突然幼児が我々の間に割って入った!」いぜん私が社交ダンススタジオでダンスを男の先生に習っていた時、先生が女役をして一緒に組んで踊っていると、それを見ていた先生の三歳の女児に制止されたことがある。私は苦笑いをして立ち止まったが、やはり三歳の子供でも男同士のダンスなど本能的に違和感があるのだろう。(その子が言うには、お母さんと女の生徒さんなら良いが、お父さんと男の生徒はだめだということだった)いま社交ダンスの映画で(レディ・トゥ・レディ)という女性同士で組んで踊る映画が製作中だという・・・。あの面白かったシャルウィーダンスの映画から20数年、一世代も経過するとダンス映画のスタイルもずいぶん違ってくる。
ちび丸子ちゃんの好物はハンバーグやプリン等たくさんあるが、エビフライも好物だという。(千葉県八千代市勝田台、勝田陶人舎・冨岡伸一)

「ご自由にお取り下さい!」先日いつも通る近所の家の塀の上に、この張り紙と共にゴウヤが3,4本置かれていた。塀越しに見ると、大きな西側のガラス窓の日よけに植えたゴウヤの蔓が高く伸びている。もうシーズンは越えてきたがまだ所々にゴウヤが何本かぶら下がり、一部黄色くなった物も!最初は喜んで食べていた家族も頻繁に食べると飽きてくるのか、処理に困っているようだ。近ごろ暑い夏の日よけにゴウヤを植えることが、電力会社からも推奨されているようである。かつては軒先の日よけにはゴウヤでなくヒョウタンやヘチマが植えられていたが、近年では余り見かけなくなっている。
「ヘチマでは体を洗わらない方が良いらしい!」我が家では、父親がヘチマで体を洗うことを好んでいたために、風呂場にはいつもヘチマが供えられていたが、私の代になって使わなくなった。ヘチマでゴシゴシ体を洗うと、余分なお肌の表皮まで落とし美肌によくない。また天然繊維のヘチマはニキビを引き起こし悪化させる、ブドウ球菌やB群連鎖球菌などという怖い菌が沢山増殖しているという。そこで今では小さいタオルで体を洗っている。確かにヘチマを暫く使っていると、ヌメリが出てきていかにも不衛生と感じることもあった。
そう言えば最近ニキビ面の中高生が本当に少なくなっている。朝電車の中で通学する多くの生徒を眺めているが、昔のようなニキビ面の子を殆ど見かけない。何か皆で特別な対策(プロアクティブなどを使っているとか)をしているわけでは無いと思うので、まさかヘチマで体を洗わなくなったことが、原因だったとも思えない。でも一様に皆さん昔の子よりは数段美肌でスッキリとしている。ニキビの主な原因は食べ物やストレスなどということだが、現代っ子が食べ物に気をつけていたり、以前よりストレスが無いとも考えにくい。詰襟の学ランに坊主頭でニキビ面、近寄ると脂臭い体臭がする。我々の世代ではこれが男子生徒の一般であったのだが。
ところでヘチマは沖縄ではゴウヤと同じで食用にすると言う。あの筋の強いヘチマが食用になるとは考えにくいが、小さいうちは筋がないらしい。
(千葉県八千代市勝田台、勝田陶人舎・冨岡伸一)

今年の夏は本当に暑い!もう九月だというのにまだ工房の前の森からは蝉の声もうるく聞こえる。いよいよ温暖化現象にも拍車がかかり、二酸化炭素の削減問題など待ったなしの状況でもある。それなのにトランプ大統領は自身の支持基盤である石炭堀の労働者雇用拡大などを叫んでいて、逆に石炭火力による発電の推進などと、いっこうにこの問題と真剣に向き合うそぶりさえ見せない。でも温暖化がどんどん進めばアメリカの穀倉地帯なども砂漠化し、農作物の収穫にも多大な影響が出てくる可能性もあると思う。すでにアフリカでは旱魃が進み多くの食料難民があふれる。人類は雑食でいろいろな物を食料にしてきたので、寒い氷河期も何とか生き延びてきた。
「蝉の幼虫を食用のために捕獲しないでください!」先日スマホを見ていたら埼玉県のある公園で、管轄の行政がこんな奇妙な張り紙を出したと言う。どうも誰かが羽化する寸前の幼虫を大量に採取しているという。目的は食料にしているらしい!行政の言い分は子供の昆虫採集ならまだ分かるが、食料として大量に捕獲するのは禁止するという。しかし来るべき食糧不足の未来を予測し、今から蝉の幼虫を旨く食べる料理法などを研究しているとしたら、あえて禁止にも出来ないのではないか?でも蝉は7,8年土の中にいるので飢きん時に食料にするには非常に効率が悪く、人類の救世食とはなりにくいのではないか。
私は戦後食糧難の時代に幼児期を過ごしているので、食べ物には敏感だ!よく見るテレビ、アメリカのディスカバリーチャンネルでは無人島に人を裸で置き去りにして数週間、何を食料にして生き延びるか試す番組がある。また米軍の海兵隊では、上陸した地点での食糧確保が難しくなった場合に備えて事前に、何をどうしたら食料になるかの研修も行われていると聞く。日本人も先の大戦でインドネシアなど南方の島々に送られた兵隊さんは、アメリカの進軍で補給路が絶たれると、野生の生き物や植物など通常では考えられないような物まで食べたと言う。食性が狭まると生き物は絶滅する可能性が高くなる。この先好きなステーキやトンカツが永遠に喰える保証は無い。
現代人は食料はスーパーやコンビニに行けば簡単に手に入ると思っているが、こんな事つい最近の話で先祖は昆虫も食料にしてきた。蝉の幼虫でも唐揚げにすれば多分喰える。(千葉県八千代市勝田台、勝田陶人舎・冨岡伸一)

キヌカツギと聞いても、最近の若い人は知らない人も多いと思う。それはサトイモの小芋で、蒸して皮を剥き醤油や塩を付けて食べる。子供のころ母親が秋になると時々オヤツに出してくれたが、今では殆ど見かけなくなった。市川市の中山には法華経寺という日蓮宗の大きな寺がある。京成中山駅を降りて緩らかな傾斜の参道を上り、正面にある山門をくぐると石畳の道の両側には歴史ある寺が並び、今でも昔懐かしい風景を留めている。その境内の入り口近くには一軒の茶店があるが、ここはキヌカツギを名物にしていた。シーズンになると店頭のセイロでキヌカツギをいつも蒸かしていたが、今でもあるのかどうかは分からない。
「あんた何やってんの、可哀そうだから早く逃がしなさい!」遠くで見ていたおばさんが近づいてきて怒鳴る!「せっかく捕まえたのに!」渋々放すと鳩は天空に舞い上がった。「残念!」鳩が飛ぶ軌跡をずっと目で追う。子供のころ鳩を飼うことが非常に流行ったことがある。どうしても鳩を飼いたかった私は友達と相談し、中山の法華経寺に自転車に乗り鳩の捕獲に向かった。境内に着くと、さっそく用意してきた餌を撒き鳩をおびき寄せる。でも捕まえようとすると鳩は身を翻して逃げる。何度も試すが全然だめだ!あきらめかけたその時、飛び立った寸前の一羽を空中で捕まえた。暴れる鳩を両手で押さえ込んだその時だ「やばい!」おばさんが小走りに近づいて来た。
仕方ないので他の調達方法を考えていた時に朗報が届いた。「釣り鳩が小屋に入ったから取りに来い」という。いぜん近所の中学生の仲のよい先輩に「こんど俺の友だちの鳩小屋に釣り鳩が入ったら、俺が貰う約束をしたのでそれをお前にあげるよ!」といってくれたのだ。「ほんと?嬉しくて飛び上がった!」(釣り鳩とは運動のために鳩を一日数回飛ばすが、その時に自分の鳩が飛んでいる群れに加わる迷い鳩)次の日に先輩と一緒にその友だちの家を訪ねると、大きな鳩小屋には伝書鳩が20数羽もいた。「こいつだけど・・・。」手渡された鳩を大事に抱えて帰り、リンゴ箱二つで簡単に作った鳩小屋に入れてずっと眺めていた。しかしそれはじきに悪夢へとかわる・・・。(この続きは何時かまた)
今が旬なので、先日女房に頼んでおいたキヌカツギが今夜食卓に。子供の頃よく食べたキヌカツギと違い小ぶりで品が良い。
(千葉県八千代市勝田台、勝田陶人舎・冨岡伸一)