お屠蘇

初めてお酒を呑んだのは、子供の頃のお屠蘇です。本みりんなので、お酒といえるか分かりませんが当時我が家では元旦の朝、家族全員が揃ったところで正月の挨拶をしたあと、父がついでくれたお屠蘇を飲む習慣がありました。朱塗りの銚子に入ったお屠蘇を、同じ朱塗りの杯に注がれ飲むのですが、甘く薬くさいその味はなんとも不思議な感じでした。

でもいつの頃からか、この習慣は我が家からは消えてしまい、その記憶さえ定かではないのです。とうぜん私の子供たちはお屠蘇は飲んだ事がないというので、私の代に廃止したのでしょう。理由は皆が喜ばないから。

暮れにふと思い出し、屠蘇を飲む習慣を復活させようとあの朱塗りの銚子と杯を探してみたのです。ところが家中どこを探してもみつからない。やはり邪魔だから処分したのか?残念だ。

お屠蘇は朱塗りの器でないとだめ。陶器の器では話にならない。唇に触れた時の感じが冷たいし、だいち雅でない。

それで今年はあきらめた。来年のためにまず朱塗りの器を買わなくては。

皆さんのご家庭では新年にお屠蘇を飲む習慣つづけてますか?(千葉県八千代市勝田台、勝田陶人舎)

手綱コンニャク

「こうやって、この穴に通すんだよ」とまだ小学生であった次女にやり方を教える。コンニャクを小袖くらいの大きさに切り、それを縦に等分し、その中央に切り込みをいれる。そしてその片側の辺を穴に通すと凄く小さな手綱コンニャクに変わる。小さいので数が多く一人では作業が大変、そこで娘にも手伝わせる。私はそのころ大晦日の前の二日間はキッチンに立ち、お節料理を自分で作っていた・・・。実は陶芸の器作りに役立つだろうと、当時赤坂の柳原料理教室に通っていて柳原一成さんから、近茶流江戸懐石料理の手ほどきを受けていた。そこで先生直伝の「お節料理」を自宅で練習のために、調味料量など記述されたノートを眺めながら料理作り励んだ。

そして元旦の朝に家族で食卓を囲むと「数の子は子宝に恵まれる、昆布巻きは喜コンブ、黄色は仏教では魔よけの色で、タイの僧侶の袈裟の色は黄色い。だから伊達巻や錦タマゴは魔よけの意味だ」と先生から聞いてきた通りに能書きを披露する。毎年必ず作ったのは昆布巻き、伊達巻、錦卵、手綱こんにゃく、田作り、くわい煮、栗きんとん、数の子などの10種類弱・・・。しかし最近では大変なので全く作らなくなった。それに20年ほど前から我が家でもそうだが、おせち料理は作るものから買うものへと変わってきた。有名な料理屋から町のすし屋まで、様々な所で販売するようになったので、事前にチラシを見て妻と検討するだけである。

中華風おせち、洋風おせちなどチラシもたくさん送られてくるので、今年はどこのおせちを頼むか迷うが、目安の基準は見た目で旨そうかどうかである。しかしこのお節料理もしょせんは飾り物で、家族も喜んで食べる分けではない。それに昨今のおせち料理は昔のようなゲンカツギの意味もないので、正月料理と名を変えたほうがよい。正月料理ならただ旨ければいい。和牛のローストビーフ、イベリコ豚、ホアグラ、キャビア、北京ダックにモッァレラチーズなど、世界中の高くて旨そうなものを集めてなんでも重箱に詰める。

旨ければいい正月料理、強ければ良い相撲、知らぬ間に少しずつ日本の伝統文化や精神が崩れていくのは残念だ。もう一度原点に戻り、それぞれの料理の意味や由来など、考え手作りしてみたい。(千葉県八千代市勝田台、勝田陶人舎)

 

 

 

元旦

あけましておめでとうございます。本年も宜しくお願いいたします。

我が家の正月は毎年父の描いた、この日本画の掛け軸を飾ることから始まります。この作品は父が半世紀前に描いたもので、夫婦の丹頂鶴が日の出に向かって飛ぶ姿を映したものです。丹頂鶴はいちど夫婦になると、一生おなじカップルで添い遂げるそうで夫婦円満、幸福招来の象徴です。

羽の一枚一枚細部まで良く観察し描いています。その技術と根気はとうてい私には、真似できるレベルではありません。画面を拡大して見たくだされば、ディテールへの執着とこだわりが分かります。

北海道の道東に生息する丹頂鶴は一時期その数が激減して絶滅の危機にあったが、手厚い保護のもとで、どうにかその生息数が回復してきているそうです。かって旅行で釧路湿原に行った時はまだ数も少なく遠くから眺めていたが、最近では群れで飛ぶ姿などが見られるのでしょうか。

今後は朱鷺と共に生息数を増やし、もっと身近に観察できるとよいですね。(千葉県八千代市勝田台、勝田陶人舎)

 

 

県展

いよいよ今年も終わりますね。季節の巡りは早いもで、あっという間の一年でした。工房でも良いこと悪いこといろいろありましたが、良いことの一つに、わが工房の会員、川久保洋さんが千葉県展に初入選したことでした。去年からトライしていましたが、最初の作品は素焼きに時に破裂、二度目は本焼きでひびが大きく入り失敗。三度目の今年、本焼きの焼成温度を少し下げてどうにか完成にこぎつけました。

作品は高さ60センチ、重さ30キロもある大作です。この大きさになると作品その物の自重がかかり、非常に変形しやすくなる。その上これだけ多くの深い切込みをいれると、薄いところから裂けるので難しい。でも精密に計算された模様とデザイン構成は寸分のくるいも無く、淡い色の彩色とマッチして、完成度の高い作品に仕上がっています。

また私が一ヶ月前から書き始めたブログですが、陶芸に興味を持つ人だけでなく、どなたでも楽しめる内容になっています。世代をこえて幅広い皆様のご愛読、よろしくお願いします。多忙な日々の一服の涼となれば幸いです。

それでは良いお年をお迎えください。

 

 

マトン

「羊を描いて。羊を描いてよ!」とねだる王子様と作者との会話で始まるこのサン・ティグジュぺリの「星の王子様」という物語りは、余りにも有名なのでほとんどの方はご存知だと思う。この本は中学時代に友だちに借りて読んだのが最初だが、その後この本は大人の読む童話として、一時期ブームになったことがある。私は純な心を持つ王子の感受性を描いたその物語の内容よりも、挿絵に描かれた羊という家畜に深く引かれた。私は小学生時代に羊飼いという仕事にあこがれていてたことがある。勉強嫌いであったそのころ、羊の番をしているだけで楽に喰っていけそうなその職業が私には理想的に思えたのだ。

でもなぜか日本には牛はいるが羊がほとんどいない。不思議に思ったがその原因は分からなかった。国内で羊の姿を見られるのは北海道だけであろうか。高温多湿の日本の夏の季節が、分厚い衣を着た羊にはたぶん馴染まないのであろう。羊はなんと言ってもモンゴルなどの草原がお気に入りらしく、砂漠に近い乾燥地でもたくましく生きていく。モンゴル平原は小麦が育たないので、人々はマトンを主食に生活する。半世紀も前に一時北海道の羊肉をジンギスカン料理として焼いて食べることが流行ったが、結局は肉の匂いが嫌われ日本ではマトンは定着しなかった。私もマトンを食べた記憶は数度しかない。

日本の風土は温暖で雨が多く、植物は良く育つ。羊など飼わなくても田んぼで稲を植えれば、少ない土地でも飯が食える。でも除草や消毒、刈り取りと非常に苦労が多い。今は農機具の使用で多少楽になったが。日本人の勤勉さは、この稲作の歴史にあるのではないだろうか。そしてそれはすでにDNAにしっかり刻み込まれていて、怠けることは罪悪だと多くの人が無意識に感じている。一方で羊飼いという仕事は楽そうだ。羊は放しておけば自分で草を食べ勝手に成長する。昼間は木陰で好きな本などを読み、夜は星の観察などをしてればいい。狼の監視は犬の仕事。犬は従順で怠けたりしないし、口笛一つでどのようにでも動く。

今の若い人は大変だ。スマホなど通信手段の普及により、どこいても上司の指令が口笛のように飛ぶ。怠けてなどいられない。このストレス社会の現代、時には仕事を辞めて羊飼いになる夢でも見たらよいのでは。(勝田陶人舎・冨岡伸一)

 

 

 

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