茶飲み話・花火

 

「ドドン、バリバリ!」けたたましい轟音を響かせそれは始まった。四年ぶりに開催された市川市江戸川花火大会である。今年は6月に前もって有料チケットを手配し、土手の斜面で寝転んで観賞した。コロナも落ち着き久しぶりの開催なので多くの人出があったが、仕切られた空間の中でビール片手にユッタリと夜空に咲く光の演出に酔いしれた。

身近でみる最近の花火はなにしろ色がきれい。カラフルなビビットカラーはもちろん、淡いパステルカラーも各色登場し花火でも時代を感じる。これは化学の進歩で新しい火薬の開発によるためだ。それに点火方法も昔は一つ一つ手作業で行っていたが、現在ではすべての花火をコードで連結し、コンピューター管理のスウィッチオンでプログラムどうり、順番に上がっていく。

「あれ、どうした!」突然頭上から何かが落ちてきて頭に当たる。見ると新聞紙などを何層にも張り固めた花火のクズだ。私が小学生の頃は運動会など何かイベントがあると、必ず花火を打ち上げ住民に知らせる。音を聞き「そうか、今日は八幡小の運動会だったな、それでは出かけてみるか」となる。

私は花火師のオジサンが花火を打ち上げる作業を覗くのが好きだった。「危ないから近づくな!」のオジサンの声がけに従い、10メートルくらい離れた所でよく見物した。長さ1メートル、直径12センチ位の上に向け固定された鉄製の筒の中に、丸いソフトボール位の花火を導火線に火をつけ投入する。すると「シュッポン!」10秒もすると花火が上空に勢いよく向かい破裂音。「気持ちいい」

日本の花火は今では芸術の域に達し、海外でも高く評価されている。他国のイベントでも引っ張りダコだ。ここにも他国の追随を許さない、日本人の緻密な職人芸が光る。何事も手を抜かず真摯に取り組む日本人!「私の父親もそうだった・・・」(でも残念なことに飽きっぽい私には、そのDNAが継承されてないようである。勝田陶人舎・冨岡伸一)

 

 

 

茶飲み話・ハリウッド

 

いまハリウッドで大変な事が起こっている。俳優たちのストライキで6月からすでに2ケ月間、いっさいの映画製作が止まったままだ。原因はスタッフ達の賃上げ要求である。ハリウッド映画もネットの普及で以前ほど収益が上がらず、製作費削減が大きな課題になっている。すると当然俳優にもその影響がおよぶことになる。

「もう過去の栄光の夢など捨て、職業変えた方がよいよ!」と私は思うのだ。映画製作もコンピューター・グラフィックッスやAI技術の爆速進歩により、ほとんどのシーンが合成可能となっている。すると当然俳優は最初に自分の全身映像をスキャンし、それを入力すれば仕事は完結する。これでは高いギャランティーなど請求できるわけがない。

映画など映像はバーチャルなのでAIの得意分野である。いま大人気のショウヘイ・オオタニの主演映画も彼が認めればバーチャルで出来てしまう世の中である。それなのに皆でプラカードを掲げ、ハリウッドの街角でデモをしても時計は過去に戻らない。さっさと人手不足の大工になるか、AI技術者になればよい。これからコンピュターやロボットに代替される職業はどんどんなくなる。

最近いままで安い労働力を求め、中国やアジアに進出していた日本の製造業が続々日本回帰を始めている。原因はアジアの賃金上昇や地政学リスク、それにロボットAI技術の進歩である。今後は巨大な工場も完全自動化で人手が殆どいらなくなる。すると人口減少の日本でも数人オペレーターで工場が回せる。政府も工場建設の資金援助を始めたので、どんどん中国から帰って来るべきだ。

先日、中国で新たなスパイ防止法が成立した。これにより些細な事でもスパイとみなされ逮捕される。すると中国の劣悪な刑務所が待っているのだ。もし私が駐在員なら即刻会社を辞め日本に帰国するけどね・・・。いずれにしてもロボットAI技術の進歩は少子化日本が再び輝くチャンスかも?(熟年でも時代を見ながら生きないとね。勝田陶人舎・冨岡伸一)

 

 

 

茶飲み話・粉もん

 

最近、「粉もん」と関西で呼ばれる、お好み焼きやたこ焼きが外国人に大人気だ。わざわざお好み焼きを喰いに欧米から大阪にやって来る人もいるという。粉もんとは小麦粉で作られる料理の総評で麺類やパン類をもふくむが、特にいま注目されているのがお好み焼きとたこ焼きである。ワンコインで食べられるのでその安さも魅力の一つだ。

粉もんなどのB級グルメ聖地と言えばもちろん大阪の道頓堀界隈である。道頓堀界隈には私も市場調査でたびたび訪れたが、仕事関係の方と同伴なので本場の粉もんを立食する機会が無かった。まさか「お昼、何にしましょう」の問いに「俺、たこ焼きでよい」などとは言えないものねえ。そこで自宅近所のフードコートで食べる「銀だこ」しか食べたことがない。

まさかあのフランス人までがお好み焼きに食らいつく!とは世の価値観がずいぶん変わった、青春時代に憧れのフランスに行って、初めて食ったバッケトやクロワッサンの旨さに感動した逆の現象が起きている。そしてイタリアの粉もんと言えばピザだが、街角のピザ屋で売るピザは四角い大きな鉄板で焼き、等分するので20センチン位の四角形である。これをかじりながら歩いた。同じ感覚で日本に来るイタリア人も、お好み焼きは好きらしい。

「どんどん焼きはドンドンと太鼓をたたきながら屋台を引いてやって来た」。明治37年生まれで浅草育ちであった父親は昔語りをよくしてくれた。父親によるとお好み焼きのルーツはドンドン焼きにあり、小麦粉を溶いて焼いたものだった。そのご色々な具材を入れて焼くようになり、お好み焼きと呼ばれるようになったという。わが家では子供の頃、お好み焼きと言わずにどんどん焼きと呼んでいた。

また東京下町の粉もんであるモンジャ焼きのルーツは文字焼きといい、駄菓子屋で就学前後の子供達に緩く溶いた小麦粉で、平仮名を書かせて焼いたのが始まりだと同じく父親が語った・・・。これはわが家の口伝なのでその正否は定かでない。(見た目があまり美しくないモンジャ焼きが欧米人に支持される日も来るのか?勝田陶人舎・冨岡伸一)

 

茶飲み話・イタリア

 

「10秒位なら、大目に見てあげなさい!」という裁判所の判決が先日イタリアで出た。なんでもイタリアのある高校で用務員の男が女子生徒に抱きつき体を触るが、その間わずか10秒であったという。でもその判決にはさすがにボディタッチの大好きなイタリア人も女性蔑視と怒り心頭で、マスコミも大きく取り上げていた。

ヨーロッパでも地中海沿岸のフランスやイタリアなどラテン系の人々は恋愛に人生の重きを置く人たちが多い。日常でも挨拶代わりにハグやチークキスをすれば、当然お互いに身体に触れることになる。そのため男性は気軽に女性の肩や腰に手を添える。そこで日本女性のように、いちいち反応していたらこれらの国には住めない。

女性の身体に触れることはとても難しい。触れられて和むこともあれば、不快にも感じる。あくまでも受け取る側の主観なのだ。好意を持つ人なら良く、嫌いな場合はセクハラにもなるなど、同じ行為でも全く逆な結果をもたらす。そこで大半の日本人は他人には触れないほうが無難と、握手を始め一切のボディタッチを排除し、お辞儀だけで過ごす。

「あ、順番を変えた、ずるい!」私が長く楽しんでいた社交ダンスのパーティーにはミキシングタイムというものがある。その日会場に来た全員が、それぞれ男女別に列を作り、順番に組んで踊っていく。すると当然女性はあの人とは絶対に踊りたくない!という人もいる。理由は単純にダンスが下手、汗っかき、臭いがする、ルックスが嫌いなどだ。そこで列の順番をあらかじめ数え、後方に下がる。避けられたのが自分だったりすると落ち込む。

でもこの行為をするのは殆どが女性である。女性は生理的にこの人は絶対嫌いという人がいるようで、手も触りたくないらしい。「だったら社交ダンスなどやるなよ!」と言いたいが、このタイプに限ってダンスのうまいイケメンにはすっ飛んでいく。笑笑(セクハラであるか無いかは女性の気持ち次第なので、男は女性の心理を読む洞察力が大切だ。勝田陶人舎・冨岡伸一)

 

茶飲み話・町中華

 

最近、町中華が脚光を浴びているという。でもあれだけどこの街にもあった赤ノレンの中華料理屋が一つまた一つと消え、今では殆ど見かけなくなった。昔の赤ノレンの中華料理屋の特徴は、麺類をはじめ焼飯などの御飯もの、餃子やシュウマイとその品数の多いことにある。個々人の雑多な注文を聞き、短時間に料理を裁くその技を、カウンター越しに眺めるのが好きであった。

「何でいまさら町中華!」と思うが、無いとなると探し求めるのが世の常である。私は特にチャーハンにこだわりがある。子供の頃の町中華のチャーハンはちゃんと型にとり、色添えにグリーンピースが何粒かトッピングされていた。きれいに型どられたチャーハンの山をレンゲで崩しながらいただく幸せは、今でも忘れない。

強い火力と重い鉄鍋を振る中華料理は体力勝負である。そのため65歳の壁を超えるとパワーがなくなり、手早さが落ちる。するとそれは味に反映され、客足は遠のきやがて閉店する。町中華はスピードと腕力が命なのだ。失礼な言い方だが女性店主の町中華で美味いと思った店は殆どない。また今どき煩雑で体力勝負な町中華を継ぐ若い人などもいないだろう。

「新潟の田舎から、東京の中華料理屋に15歳で弟子入りした」と自慢げに話していた浅草今戸の「高来」という町中華の店主が50代で過労死してから、もう25年になる。彼は冷房もない小さな店舗で所帯も持たず、働きづめで生涯を閉じた。「おい、冷房ぐらい入れろよ」の問いに、この店で冷房など入れても全く効果なしとの返答であった。でも真夏は汗が滴り、ドンブリに落ちるのを見ると食欲も失せる。

いっぽう最近では町中華の代わりに流行っているのはラーメン店だ。ラーメンは町中華と違い殆ど単品なので、管理がたやすい。また色々料理を覚える必要もなく、短時間で出店できるのも魅力だ。そこで脱サラした若者が一攫千金で出店するが、競争が激しく栄枯盛衰で次々に店が入れ替わる・・・。(確かに昭和の時代を髣髴とさせる町中華が懐かしい。勝田陶人舎・冨岡伸一)

 

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