茶飲み話・英語
「イッツ スパイダー」と蜘蛛の巣を指差し外階段を上ってくる男の子に、大柄な白人男性が話しかけた。「こんな所にも英会話教室ができたのか!」工房から駅まで乗る住宅地バス停で待つ私はその光景を眺めていた。そういえば最近自宅の近くにも、アメリカ人が開く英会話教室がオープンした。そしてここに通うのはほとんどが児童なのだ。この狭い教室には勉強机などなく、先生と児童が鬼ごっこをしたりして遊びながら英語で叫んだりしている。
「これでなければ英語など身に付かないよなあ」と思い、過去読み書き主体の英語教育に疑問を感じた。日本人は通常大学まで10年間英語を学習するが、ほとんどの人が英語がまともに話せない。その反省で近年会話重視の英語教育に変わってきたらしいが、まだ英語の話せる教師不足など多くの課題が残っている。日本はアジア諸国の中でも英語があまり通じない国なのである。
太平洋戦争に負けると、戦後多くのアメリカ人が日本に進駐してきた。このときアメリカ政府は日本の公用語を英語に変える検討を始めたが、日本人のような勤勉な民族が英語を話すと将来自分たちの地位が脅かされる可能性があると考え、読み書きだけの英語教育に限定する政策を行なったという。あの時もし各学校に米国人が入り込み英語教育を強力に行なっていたら、日本もずいぶん変わっていたと思う。
私は自身でもまだ英語の壁にぶちあっている。高校生の時から英語の必要に目覚め努力を繰り返すも、ついにこの年まで克服できない。原因は英語のリスニングである。母音で終始する日本語を話す私には子音主体の言語、英語の微妙な音が聞き取れないのである。一方おなじ子音言語を話す中国人は英語の上達が早い。バイリンガルでもないのに彼らはあっという間に流暢な英語を話すようになる。
現在ネットを行きかう情報の60パーセントは英語である。日本語はたった5パーセントなので、ネットにアクセスしても日本語では情報がとりにくい。これは先端産業など、最近日本が世界から遅れる主たる要因となっている。もしロシアや中国が民主主義国家で国連が正常に機能すれば、日本語だけでゆったりと生きるのも悪くない。でも現状では経済力つけて国防費増やさないとやばいことになる・・・。(なんとなく生きてると激動の世界が見えない。勝田陶人舎・冨岡伸一)
笑点
茶飲み話・笑点」
先日おなじ団塊世代の三遊亭円楽さんが病気のため帰らぬ人となった。まだ享年72歳なので現代では早死にといえる。最近テレビをあまり見ない私も「笑点」だけは毎週日曜日の夕方、ビール杯片手に欠かさず視聴している。別に落語好きなわけではないが、関西系の吉本漫才などは心底馴染めないので、コジャレタ江戸のギャグには思わず笑みがこぼれる。特に円楽の政治風刺ねたは彼独特のアイロニーで表現され、頭の回転の速さは笑点メンバーの中でも群を抜いていた。
私がニュースと笑点以外のテレビ番組を見なくなった主因は、テレビ視聴に時間をさくと時代に遅れる!と感じるからである。NHKの大河ドラマなどもう数十年も見ていない。毎週日曜日の宵にじっくりとドラマの進捗を眺めているほど暇ではない。連続ドラマなど30分のダイジェスト版でそのあらすじが確認できればよい。それよりネットにアクセスすれば世界中で起きている様々な事象が、リアルに伝わってくる。
「巨人、大鵬、力道山!」戦後も昭和30年代に入ると、テレビが爆発的に普及し始める。プロレスの放映に始まったスポーツ中継は大人気になり、大相撲、プロ野球中継へと伝播する。戦争でアメリカに徹底的に打ちのめされ、多くの日本人は白人コンプレックスを抱いていた。なんとかアメリカ人にリベンジしたいの思いをくすぐり、登場したのが相撲取りからプロレスラーに転進した力道山である。かれが米国人プロレスラーを空手チョップで倒すと、日本中がわきあがった。私もプロレスが茶番劇とも知らず真顔で力道山を応援した。
この頃はまさに白黒テレビの黄金時代で、夕方7時から9時までのゴールデンタイムは多くの日本人がテレビの前で釘付けとなる。テレビの見すぎで子供達も勉強がおろそかになり、「テレビ亡国論」まで飛び出し社会現象に・・・。それが時が変わり現代ではスマホの見すぎで頭がバカになると注意喚起されている。もうすでに若者はテレビなど見ていない。テレビは消え行く過去のメディアなのだ。
受信料を払ってまでNHKなど見る価値も無く、民放を牛耳っていた電通も神通力を失う。これからはピア・ツウ・ピアで、人々は直接情報のやり取りする・・・。時代のページはめくるためにある。テレビは数ページまえで、前のページはパソコン、今はスマホで次のページはいよいよヘッドマウントディスプレイのメタバース、そしてマトリックスのスマートグラスへと続く!(過去を懐かしみ、未来を思考する。勝田陶人舎・冨岡伸一)
金木犀
茶飲み話・金木犀
「あれ、なんだこの芳香は!」と感じ左右を仰ぐと、金木犀がオレンジ色の小さな花を結んでいる。「やはりこの季節はよいなあ」と思いを巡らし住宅地の小道を歩いた。でも以前この小道にはもっとあちこちで塀の上から金木犀が覗いていた。常緑樹の金木犀は普段は地味な姿で、その存在の気づくことなどあまり無い。唯一この時期だけが香りで、かれらの存在をアッピールしてくる。
庭木にも流行がある。戦後食糧難の頃には果樹が多く植えられた。その代表は柿木である。子供の頃の私は柿木に色々な思い出がある。柿の実が色付く秋になると、近所の家の塀からのぞく赤い実を、棒などで叩き落しおやつの足しにした。時々家主に見つかることもあり、どなられては逃げ帰る。しかし今では手に届く枝になる柿の実を採る子もほとんど無く、熟して放置され道路を汚す。
食料不足も過去の思い出となり戦後世代が所帯を持つようになると、庭木として流行したのがヒノキ科のカイズカイブキである。この頃になると住宅も引き戸の玄関を入る日本家屋から、ドアーを開く西洋風住宅に変わり、モダンな樹形のカイズカイブキが大流行する。でもこの木は若木のうちはよいが成長が早く、10年も経つと巨木になるので徐々に飽きられて、現在では見かけることも稀になった。
私が住む市川の旧市街も最近では昭和の古屋が取り壊され、その広めの跡地には何軒かの今風のボックス型ハウスの建て替えが進む。すると狭い庭はコンクリで固められ駐車場になり、庭木が植えられることなどほとんど無い。今の若い所帯は夫婦共稼ぎなので、めんどうな庭草の手入れなどしない。そこで街路はどこも一様に同じで、家の唯一の個性表現は置かれている各色の車ぐらいだ。
時代はドンドン変わり今や大工などもなり手がいない。すると当然熟練の技もいらない無味乾燥な箱型の家になる。車が電気自動車に代わるように家も積み木工法のツーバイフォーからより変化して、ロボットが自動で作る立体コピー作りが検討されている。これだと土台からチューブでセメントを積んでいき、2,3日で原型が完成する・・・。(写真・7年前に製作した茶碗。そろそろ雁が戻ってくる季節だが。勝田陶人舎・冨岡伸一)
白樺
茶飲み話・白樺
「将来自分が家を建てたら庭には芝生を敷き詰め、白樺の木を植えたい」などとわれわれ戦後世代なら、一度は思い描いたことがあると思う。関東地方の平野部に住んでいると寒冷地を好む白樺の木など、ほとんど拝む機会がない。そこで白樺の白い肌に北欧のロマンを感じ、自宅の庭に植えたいと望む人が多くいた。縁あって私が20代に借りていた新興住宅地に建つ姉さんの自宅の庭も、まさにそんな作りになっていた。
しかし白樺の木は熱さには弱いようで、新興住宅地のそこかしこに植えられた白樺は時の経過とともに枯れ、姿を消していった。芝生の庭も同様に芝刈り機を押す手が面倒に感じると、剥がされて手入れの不要なコンクリで固められる。前回も書いたが最近の新築住宅には樹木が植えられないので、将来剪定をする植木職人の仕事もなくなる。実際に夫婦共働きならば、草木に心を寄せる暇も惜しい。
「どこまでも続く白樺林、もう三日目だ!」50年以上も前、私がシベリヤ経由でヨーロッパに旅行した時、モスクワからウィーンまでは三泊四日で鉄道を利用した。ところがモスクワを出発してしばらくすると、白樺が一面群生する森に進入して行った。ちょうど五月の新緑のシーズンで緑の葉の芽吹きと白い幹のコントラストは美しく、しばらくは車窓の景色を楽しんでいた。ところがどこまで続くおなじ光景に、時間も場所の感覚も完全に麻痺する。
ロシアは国土が本当に広い!日本ではおなじ景色が数時間続くことさえないのに、あちらは数日単位で続く。そのとき私がたどったルートはモスクワからベラルーシを通り、ワルシャワに至る路線である。今戦火を交えるウクライナ穀倉地帯より北側なので、広大な穀倉地帯を直接目にしたわけではない。しかしその広さは理解できる。あんなに手付かずの広大な領土を持ちながらまだ他国の土地を強奪するプーチン・ロシアにはあきれるしかない。
「いよいよロシアの核使用も現実味をおびてきた!」2月からはじまったウクライナ戦争も最近ではロシアには不利な戦況である。追い詰められたプーチンが核のボタンを押せばヨーロッパは悲惨なことになる。なんとなく遠い国の出来事とたかをくくる日本人も、ロシアとは国境を接する・・・。ロシア人は本当に土地に対して強欲な人達だ。あの白樺林開墾して畑にしろよ!(写真・7年前の作品です。勝田陶人舎・冨岡伸一)
力瘤
茶飲み話・力瘤
人として生まれ70数年も経過すると、世の中の様々な価値観の変化に戸惑う。その中の一つに「仕事」がある。戦後しばらくはまだ多くの仕事が農作業を始め肉体労働なので、健康で身体能力のまさる男性が圧倒的に有利であった・・・。「俺も大人になったらあんな逞しい身体になれるのか?」と自身の将来を描いた。そのころ夏になると屈強な男達は上半身裸で道路工事などをしていて、その陽に焼け盛り上がった筋肉からは汗が流れ出てキラキラと輝いた。
しかしそれから時が経つとあちこちの田んぼで耕運機を見かけるようになる。この耕運機のおかげで、農民は腰をかがめて行なう田植えや草取りなどから開放された。同時に土木作業などもブルトウザーや穴掘りユンボなどが登場し、ツルハシなどを振り下ろす半裸の男達も見かけなくなる。筋肉を鍛えるのは肉体労働からスポーツジムなどでのエクササイズに置き換わっていく。
近年では重機械を動かすのはオペレーターの仕事となり、ハンドル操作だけで力こぶは無用となる。でも現代ではもっと進んで大規模な鉱山などでは重機やトラックなど全てが無人で自動化され、作業員はコンピューターの監視だけでハンドル操作さえも行なわない。このように人類は徐々に力仕事から解放され、早晩肉体労働などの仕事はなくなる。日本でもコロナの流行はリモートワークなどオンライ化を進める。
「まだ余生は長い。年金も怪しいので何か楽しんで稼げる仕事はないものか?」と最近スマホなどの若い人向けアプリを覗いている。すると前にも書いたがバーチャルスニーカーを買って歩けば金になるスッテップン、エイプムーブ、そして先日見つけたのがヒビキランという好きな音楽を聴きながら散歩すればチャリン、チャリンと小銭が稼げるアプリを見つけた。でもアカウントを開設する手続きが煩雑なのであきらめた。
今の仕事に力こぶは必要ないので男女のジェンダーギャップは消えた。その代わり情報処理能力などの知的優劣が問われる時代になった。これからは人並みの能力ではコンピューターに負けるので多くの人の仕事が無くなる。先日テスラのイーロンマスクが新しい人型ロボットをお披露目した。価格は230万円で軽作業をこなす。五年後には単純労働なくなるかも!労働は神聖、汗水たらして働く!これらの言葉はすでに懐かしい響きしかない。(写真・十年前に作った茶碗。当時ほうが雰囲気あったかもね?勝田陶人舎・冨岡伸一)