茶飲み話・引きこもりⅡ

「あなたお願いだから、外に出て働いてちょうだい」と年老いた母親が懇願するも50歳になる息子は、「うるせいババア!」と一蹴した。引きこもったこの男と母親の関係はもうこうして30年近くも続くと言う。80歳になる年金暮らしの母親は自分が逝った後、息子のことが心配で夜も眠れないという。そこで解決手段としてテレビ局に協力依頼したらしい。

でもよく考えてみると引きこもり男が今さら外に出て、仕事につく必要性があるかどうかの判断は難しい。なぜなら世の中のトレンドの一部は、すでに自室の6畳間に引きこもる時代へと逆戻りしている。今日では6畳一間あればすべてが完結するのだ。金が稼ぎたければモニターを覗き込んで株式のデイトレすればよいし、得体の知れないビットコインのような仮想通貨を取引して稼ぐこともできる。

またユーチューブで引きこもり生活を日々面白く配信すれば、共感を得てフォロワーも増え広告費稼げるかも?何しろ今は引きこもり男が増殖しているのだ。スポーツしたければEスポーツがあるではないか。グランツーリスモは凄いぞ!自分がレーサーになって250キロで鈴鹿サーキットを爆走する。クラッシュしても自分も車もまったく無傷。大会に出て優勝すればかなりの賞金だってゲットできる。爺ちゃんの大会があれば私だってトライするよ。

恋愛したければ好きなタイプのバーチャル彼女をネットでチョイス。腹が減ればウーバーで好きなレストランの料理が自室で食える。こんなにも素敵な6畳間の引きこもり、今さら外に出て行っても「病原菌」の他には何もありはしない。とは何事も極端で冗談を好む冨岡に人生相談すればこのような見解になる。

でも若年層の引きこもりにはオンラインゲームにはまり、殆んど寝ずにゲームに熱中するヤングも多いらしい。なかには「ネトゲ廃人」と呼ばれ完全な中毒者もいるという。プロのゲーマーとなってそれで稼げるなら良いが、殆んどがただの依存症ではバーチャル六畳間での生活も難しいか?

自転車に乗り、汗水たらし料理を届けて250円。無愛想にそれを受け取る引きこもり男が、デイトレのパソコンタップで25万瞬時にゲット。世の中、何かおかしくないか?(少し変わった抹茶碗。勝田陶人舎・冨岡伸一)

茶飲み話・キミプチ

「おい、おい、それってマジかよ。知らなかったなあ!」突然驚きの書き出しですいません。もうご存知の方も多いのかもしれませんが、無知な私には初耳でした。「でも、何か変だと思っていたんだよね、以前から」。「だって電子レンジでチンしても全く固まらなで、トロッとしたままだ」ここまで書くと感の良い人はピンとくるのでは?

そうなんです。コンビニで買う牛丼やパスタの上にのる、あの美しい色の半熟卵の黄身ですよ。「あれって、実は擬似食品で本物ではないという」キューピーが業務用に独自開発した、油などでブレンドした黄身ソースだそうです。商品名を「キミプチ」といい一般には販売していないらしい。

それに弁当にのる半切りのユデ卵。あれも同じく擬似食品というのだ。外側の白身は硬く、内の黄身は絶妙の半熟「こんなこと絶対に出来るわけ無い」料理好きの人なら誰でも疑問をもつと思う。それによく買う卵サンドの卵までも合成だと聞くと、卵好きの人にはもう開いた口がふさがらない。

「どうせ私をだますなら、だまし続けてほしかった」バーブ佐竹・女心の唄。そういえばむかし唇が厚く、決してハンサムとはいえないが、どこか色気のあるバーブ佐竹という歌手がいた。この曲は昭和39年ヒットだというので、かなり古いナツメロである。でも彼はこの唄一曲でテレビから消えたので、ご存知の方は少ないと思う。

私の人生を振り返ってみると、騙したことも、騙されたことも殆んど記憶にないのは幸いである。日本人は相対的に真面目な人が多く、嘘を嫌う文化を持つ。ところが近隣諸国の人々は「嘘も百回言えば真実になる」とか「騙す方より、騙されるほうが悪い」が常識である。日本は島国でよかった!強いて言えば太平洋のど真ん中ハワイあたりにあれば、もっと良かったと思うこの頃である。

(今朝は卵の殻が割れたような、この茶碗を使った.。食べ物までが知らぬ間にバーチャルになる。勝田陶人舎・冨岡伸一)

 

 

 

茶飲み話・閑居

「小人閑居(ショウジン・カンキョ)して不善をなす」というこの中国故事は、「凡人が暇でいると、ろくなことをしない」という意味だと高校で習った記憶がある。先生に「だから若いお前らは雀荘などによらずに、もっと受験勉強せい!」と言われていた。しかし本当は閑居は間居(独居)で一人住まいをすると、ろくなことをしないという意味らしい。

若い頃は遊びや仕事と活発に行動するので、時間を持て余す実感は殆んどなかった。しかし仕事から解放された年金暮らしの日々は、言葉を変えて「老人間居して不善をなす」ではどうか?「好々爺が一人縁側のロッキングチェアーで日向ぼっこ」では生きている意味がうすれる。そこで「もう一度不良したい」と夢想するが、財力と体力が枯渇では、それもまた苦笑いの中で消える。

一軒おいた隣には私より3歳年上の先輩が、離婚して一人住まいをしている。時々道ですれ違うが、背を丸めどこか寂しそう。会釈はすれども、立ち止まって会話すると長くなるので、なるたけ避けている。どうも話し相手があまりいないようだ。彼がネットを利用して友達10人作っているかどうかを私は知らない。しかしパソコンやスマホを駆使すれは、オンラインで話し相手に不自由することはない。

最近私は時代に乗れないデジタル難民の老人を自分を含め「デジタル認知症」と呼んでいる。いわゆる一般に言う認知症ではないが、まったくデジタル社会に対する知識と認識が欠落している状態である。近頃行政が小学生にパソコンを無料で支給すると言う話はよく聞く。でも高齢者にも、オンラインゲームやネットアプリにつながるパソコンの支給と指導が必要なのでないかと強く思う。そうすれば少しは認知症も減らせ、行政の負担も軽くなる・・・?

なにしろ人類史上未曾有の大変革の時代がやってくる。時代の大波にどう対処するか?私も含め年配者でも他人事ではない。戸惑いながらも、何とか時代を受け入れるすべを収得しないと、無人店舗で買い物もできずに街を徘徊することになる・・・。ワクチン接種の申し込みはスマホでどうぞだって!

(今回から表題を・茶飲み話・とする。コンセプトは茶碗の紹介とシニア世代の日常的な浮世話。書き込みなど御自由にどうぞ。勝田陶人舎・冨岡伸一)

 

 

乙女

「命短し、恋せよ乙女」という歌いだしの「ゴンドラの歌」という歌謡曲が大正時代に流行ったと聞く。吉井勇作詞だというこの曲であるが、私の青春時代の思いで曲のひとつでもある。ビートルズ世代と言われた私には直接関係が無いが、当時友達であった7才年上の先輩が、このゴンドラの曲が好きでよく口ずさんでいた。そして「冨岡君、彼女いるの?今の時間を大切にしろよ、青春はすぐに過ぎるぞ!」が彼の口癖だったからだ。

二十歳の頃に結核を病い何年か療養していた彼は、若くして命のはかなさを実感してしまったらしい。しかし結核が完治した後も、彼自身は恋愛して所帯を持つわけでなく、独身のすえ50歳前に他界した。

「楽天。モバイル!」という叫び声が突然イヤホンする耳に刺さる。「なんだここのガナリ声は」ビックリすると同時にショッキングピンクの映像が目に焼きつく。刺激強すぎ!「ちょっと、やめてくれないかな、こんなのありかよ」いくらコマーシャルでもマナー違反だよ楽天さん・・・。でも乙女といえば20年以上も前には上品で可憐なイメージだったこの宣伝の米倉涼子さんも年取ると、ただのヒステリックなオバサンに成り下った。可憐だった自分のイメージを崩す宣伝など受けないほうが良いと思う。

いっぽう私が気にいっているコマーシャルは、見知らぬ乙女が絨毯の上で寝転び、回転するだけの「クリモト・クリニック」の宣伝である。広告代理店で働いていた女房はこの宣伝くだらな過ぎて腹が立つというが、私はそうは思わない。ほとんど経費をかけない宣伝のわりには単純で、かえってインパクトがあるのは笑える。

3社の寡占状態では携帯の料金もあまり下がらない。ここに楽天が新規に参入すれば金額が安くなるかも?でも視聴者無視のごり押し宣伝はかえって逆効果ですよ。(勝田陶人舎・冨岡伸一)

アリス

「不思議の国のアリス」。幼い少女アリスが白いウサギを追いかけて不思議の国に迷い込み、しゃべる動物や動くトランプなどと出会いながら冒険する・・・。今から150年ほど前にイギリス人のルイス・キャロルによって書かれた児童本の夢物語である。でも私が子供の頃には全く架空の物語だと思っていたが、最近では「いや、そうでもないらしい・・・」

皆さんご存知の般若心経のなかで「色即是空・空即是色」すなわち我々が生きている現実世界は実際には仮想で、仮想だと思っていた幻想の世界が実は現実であるという、凡人にはなんだかよく分からない仏教観が記述されている。しかし近年では仏陀が説いたこの概念が、真実として実感できる時代となって来たような気がする。テクノロジーの急速な進歩は、現実と幻想の境界をますます曖昧にしている。

「あんた、なに見てるのよ!」と覗き込む。先日我が家に遊びに来た、寝転ぶ孫の手元に注目。子供達も小学生になるともう年寄りなど相手にしない。各自が勝手に画像の中に入り込み、各々がモンスターと格闘するのだ。こちらも遊び相手などをせずにすむので楽でよい。そういう私も近頃は自宅にいるときは自室にこもり、殆んどの時間はパソコンやスマホを眺めている。外に出ると感染症の危険があるというので、ますます映像が友となる。

もう飛行機で物騒な海外などに出かける必要もない。スイッチオンのアイコンタップで何処にでも行けるのだ。先ほども懐かしいイタリアのベニスでゴンドラに乗る映像を見た。テレビ画面はますます巨大になり映像は鮮明になるばかりだ。子供の頃に小さな白黒テレビで見た「カネタカ・カオル世界の旅」ではリアリティなど全く感じなかった。でもその番組を見て海外に出かけることを夢見た。

もうすぐ5Gの時代がやって来る。するとより鮮明でクリアーなスクリーンを前にすると、身近な日常生活などまるでつまらない。リモコンタップで何処にでもいけるし「不思議の国のアリス」にもなれる。ますます広がるスクリーンの中の仮想空間。私にとってこの世界こそリアルという錯覚に陥る・・・。

(これもグイノミです。勝田陶人舎・冨岡伸一)

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