茶飲み話・コロン
私の青春時代、憧れの国ナンバーワンはフランスであった。当時のフランスは今と違って光り輝いていて、シャンソンなどの音楽、サルトルの実存哲学、シュール・レアリスムと呼ばれた超現実主義の絵画や思想、それにイブ・サンローラン、ディオール、シャネルのファッションやコロンからアランドロン主演映画まで、あらゆる文化的ジャンルで超絶な影響力を世界中に放っていた。
そして他には日本でも話題になっていたのが、超人気女優であったアメリカ人スーパースター、マリリンモンローの「何を身に着けて就寝するのですか?」と尋ねる記者に「シャネルの5番よ!」と答える名セリフだ。これにより御フランスのシャネルのコロン5番は爆発的にヒットし、裸でコロンをつけて寝ることがブームになった。
最近日本では香水をつけて外出する女性は少ない。コロンを付ける文化は風呂に入らない人達の習慣で、自らの体臭を隠すために発展した。外国人は体臭の強い人が多いが、日本人のように毎日風呂に浸かれば彼らとて体臭は和らぐ。また最近欧米でもジェンダーレスで、女性をアッピールする行為の一つでもあるコロンは嫌われる傾向にあると思う。
「あれ、勘弁してくれよ。今どきコロンかよ!」と電車に乗り気が付くと、必ず座っているのがフィリピン女性だ。別に差別をするわけではないが、彼女たちはキャバクラなどでホステスとして働いていることが多く、男性の気をひくためにコロンの匂いでさそう。でもこの武器は昔の三八銃と同じでもはや時代遅れ、現代では女性とて売りは知性と品格であり、無臭であることにこしたことはない。
最近都会の街路などを歩いていると騒音と異臭は極端減った。おかず横丁などもシャッター街になり、スーパーの店内に移動。それに好きなウナギ屋や焼き鳥屋なども、これ見よがしにウチワで煙をあおぎ出すことも少なくなった。そして清潔になったトイレや下水溝からも匂いが消えた・・・。(でもジジグサイとはよく言ったもので、年を重ねると加齢臭は増してくるので気を付けたい。勝田陶人舎・冨岡伸一)
器
茶飲み話・器
「あの人は器が大きい、この人は器が小さい」などと人間にも器があるらしい。簡単に言えば寛容な人が器が大きく、自身にこだわり他の意見を排除すれば器の小さな人ということになる。しかし寛容な人でも自分の意見を持たず、他者に迎合し続ければ器が大きいなどと言われることもない。ようは大所高所から物事を俯瞰し、適切に人の意見なども取り込めば器の大きな人ということになる。
最近隣国のリーダーを見ていると、皆さん実に臆病で器が小さい。少しでも彼らにモノ申せば即刻消される。そこで彼らを取り巻く子分達は揉み手スリスリのイエスマンしかいなくなる。するとリーダーも本音を言わない取り巻きに不信感を抱き、血縁関係しか信用しなくなる。近平ちゃんも先日奥さんを軍のトップに任命した。器の小さな近平ちゃんは粛清した軍人達のクーデターが怖いのです。
これで雑貨商中国商店は夫婦による個人商店に戻った。専務の奥さんのお眼鏡にかなわなければすぐに首を切る。首と言っても退職させられるわけでなく本当に首チョンパになるのでたまったものではない。そしてもっと家族経営が浸透すれば僻地のヨロズ屋、ジョンウン堂に成り下がる。ここには殆ど客が来ず、ただ働きの従業員は松の皮を喰って飢えをしのいでいる。
「大器晩成と言う言葉がある」。大きな器の人は大きな円を描くので丸になるまで時間がかかる。小さな円を描けば数年で丸が完成だ。その中で満足すればさしたる創意工夫も必要ない。毎日同じことを繰り返せば時間はただ過ぎていき、気が付けば白髪頭を鏡に映す。「大器晩成」とは父親によく言われた言葉だが、私自身は大きな円を描くつもりが、今も未完成の嚙み合わない歯車である。
仕方がないので最近では手の平に入る小さな丸い器を作り続けている。世間ではこれを抹茶碗と呼ぶらしい。でもただ瞑想の中でカリカリと粘土を削り続ける日々は至福の時でもある。ひびが入ろうが、変形しようが、釉薬が流れようがそんなこと全く関知しない。それらの全てが自然のなせる業だ!(人は無になって本当に自然と一体になれるのか?これが今の課題でもある。勝田陶人舎冨岡伸一)
TEMU
茶飲み話・TEMU
最近ネットなどでニュースを見ているとやたら目につくのが、通販の異常な安売り広告である。「このスニーカーが送料込みでたったの250円!あるわけないだろう」と私は無視していたが、どうやら本当の事らしい。アメリカでは一足先に大ブレイクしていて、多くの庶民がこのサイトで買い物しているらしい。そこで政府も警戒を強め規制に乗り出すという。
こんな通販が日常的に浸透し始めたら、アマゾンなどの大手通販ビジネスも単価の面でとても太刀打ちできない。そしてその品目はアパレルから靴やバックを始め、大工道具や小型の家電製品まで多岐に及ぶ。もしこのまま見過ごしていると、多くの小売店やスーパーなども打撃を受けることになり、市場が大混乱におちいる。
TEMU(テム)と呼ばれるこの通販サイトは2年前に中国の会社がアメリカで始めたビジネスで、今や世界50っか国で展開中という。日本でも最近若い人の間で浸透し始め、売り上げを伸ばしているらしい。この価格ではユニクロはもちろんJUやワークマンでさえ高級品に映る。まったく中国人のやることは本当にいつもえげつない。
しかしこの現象の背後には中国の未曽有の景気後退にある。いま中国では不景気で物が売れず困った業者がただ同然でも製品を作るらしい。そのため発癌物質や重金属などに汚染された材料なども使われるので、アクセサリーなども身に着けるとアレルギー反応を起こすので注意が必要だという。それに支払いはすべてクレカなど電子決済なので、個人情報を抜かれることもあり、一回口座登録すると抹消するのが困難だという。
まさか我々年金世代でTEMUの通販使っているという人はいないと思うが、今後日本でも注目されることもあるので気をつけて欲しい。商品は直接中国から送られてくるので、明けてビックリ玉手箱!安物買いの銭失いと思いきや、なかにはまともな物もあるらしい・・・。(TEMUは現在は赤字だが世界制覇をもくろんでいるので、そのうちガッポリ頂くと豪語。勝田陶人舎・冨岡伸一)
哲学
茶飲み話・哲学
「哲学と聞くと大半の人は何か小難しい学問であり、自分にはあまり係わりが無い」という認識が強いと思う。特に最近のようにスマホを常に携帯し、多くの情報の中に身を置く日常において、立ち止まって自らの存在意義などを検証する時間など殆ど持ち合わせていない。それどころか洪水のように押し寄せる新たな情報の渦の中で、おぼれないよう自らを保つのが精一杯である。
「君たちニーチェを知っているか?」と授業中、唐突に訪ねてきたのが高校二年担任の岡垣先生である。英語教師であった彼は当時上智大学の大学院でシェークスピア文学を研究していて、西洋哲学についての造詣が深かった。それで彼は生徒たちに反復だけの日常に流されるなと言いニーチェの著書「この人を見よ」の一読を薦めたのだ。しかしこれをきっかけに私は徐々に思考の迷路へと入り込んでいくことになる。
西洋哲学を簡単に言えばキリスト教により縛られ失った自己を取り戻し、自由を手に入れる考え方の系譜といえる。デカルトから始まり、カント、ヘーゲル、ハイデッカー、サルトルにいたる神を否定し自分自身を取り戻す思考回路である。特にニーチェは「神は死んだ」と言い、人間は神に従属することなく自由であるべきだと強調した。ニーチェに心酔した岡垣先生は思春期の我々にも自我に目覚めるよう問うていた。
大学生になると自由時間は殆ど読書に費やし、人との付き合いを極力避け「人が生きる意義」などを考えていたが、結局は堂々巡りで出口の分からぬまま全く楽しくない青春時代を過ごしていた。しかしその頃、フランスで話題になっていたのがレビ・シュトロースの著書「野生の思考」である。彼はアマゾンの原野に入り込み、現地人と暮らすことにより論理から離れ、人本来の根源的生き方を「構造主義」として提唱した。
「そうだよな、やっぱりこれか!人は宗教の教義や哲学などの論理にとらわれず自由に好きな事をして生きればそれで良い!」と自分なりに胆略的に納得。そして好きな事しかしないその後の人生が始まった・・・。ネットやAIなど高度情報化社会の進展により、自身を見失う人が続出!(いったんスマホを置き、ニーチェなどを読んでみるのも良いかもね。勝田陶人舎冨岡伸一)
コイン
茶飲み話・コイン
最近のように訪日外国人が激増するとオーバーツーリズムで京都や奈良を始め、日本各地の観光都市では様々な問題が起こり地域住民を悩ませている。もう半世紀近くも前の話だが、当時のイタリアでもオーバーツーリズムの問題が起こっていて、その一つがコイン不足である。多くの観光客が空港での出国の際にコインは両替せず記念に持ち帰る。するとその数が膨大でたちまちスモールコインが消えていった。
「コインが無いの、飴で良い?」と小銭の代わりに飴玉三個を手渡された。買い物の後、どこの店でも500リラ(日本円で40円)以下の小銭はコインでなく、都市銀行が独自に発行する小さな紙のお札か飴玉である。当時のイタリアもコインの製造には刻印金額以上のコストかかり、作れば作るほど赤字になるので政府は新規のコイン製造を半ばあきらめていた。
でも最近は日本でも大量に外国人がやって来るが、コイン不足の問題はまだ起こってない。それは外国人の多くはアリペイなどのスマホやカード決済なのでスモールコインのニーズが低い。これは国にとっても良いことで、もし昔のように現金決済ならたちまち小銭不足に悩まされていたと思う。そして日本人もスーパーの買い物でも、殆どカード決済なので財布が小銭でふくらむこともないようだ。
もう数年もすると神社仏閣の賽銭箱もなくなり、電子決済になる可能性がある。でも好きな神社にお参りに行って、賽銭を投げずにスマホタッチでは何となく味気ない。二拍手とチャリンの音で願掛けも叶う気になる。でも賽銭泥棒も時々に出没するので、盗難防止には良いのかも・・・。
昭和も20年代中頃は殆どの通貨が紙幣であった。5円玉だけは比較的流通していたが、1円、10円、50円、100円、それ以上も全部紙幣である。戦争で兵器に使う金属が不足し、コイン製造に回す金属さえ足りなかった。そして戦後世の中が落ち着くと、最初に登場したのが昭和24年穴あき5円玉、26年10円玉、29年1円玉、50円玉と続き、百円玉の発行が31年となる。(インフレが進行すると紙幣の価値は下がるが、金属の値上がりでコインの価値は上がる。勝田陶人舎・冨岡伸一)