紅生姜

「まいったな・・・!少し目を離している隙に、こんなにいっぱいカイガラムシが枝に付いている」毎年春先に綺麗な白い花が咲く工房のハナミズキが、今年は元気が無いと思ったらこの有様だ。「とりあえず手で取るか」作業を始めるも全部取るのは大変で、それに白く大きくなったカイガラムシを枝から放すと、真っ赤な血の様な液が出てくる。「気持ち悪りー!勘弁してくれよもう」と思いながら作業を続けたが、だんだん馬鹿らしくなってきた[いっそ、枝ごと切り落とすか?」ノコギリを持ち出し枝を切り始めたら、結局は丸坊主になってしまった。そしてこのハナミズキ、そのあと幹から新芽を出さずに枯れた。

「はい、並盛お待ち」目の前に牛丼が運ばれてきた。めったに入ることのない吉野家に入ってみた。久しぶりに食べる牛丼か?でも食べる前にどうせ無料だと紅生姜をたっぷりとトッピングした。牛丼には確かに紅生姜があう。でも紅生姜って昔はもっと真っ赤だったよなあ?急に子供の頃の乾物屋の映像が浮かんだ。そういえば当時の食品は不自然に赤い色のものが多かった。紅生姜の他に鱈子、筋子、鯨のベーコンの淵、デンブ、ウインナーそれに子供の食べる駄菓子なども、多くの食品が赤く着色されていた。赤い色は人の食欲を誘うのか?私にはそうとも思えないのだがと思っていた。

でもこの赤い色の食紅・・・。実はあの気持ちの悪い南米産のカイガラムシの真っ赤な液から、抽出されていることを知らない人が意外に多い。食紅には何種類かあって、石油から取るタールと紅花やカイガラムシだ!タールは有害物質が含まれているといい嫌われる。ではやはり合成着色料でない食紅の代表はカイガラムシか?それでは食品の原材料表記に天然着色料と書かずに正直に(カイガラムシ液添加)と書いてほしい。そうすれば多分、買わない人が続出すると思う。だいたい健康志向の強い現代、食品に無意味な着色など必要ない。牛丼屋の紅生姜は最近は真っ赤ではなくピンク色、だが無着色ではない。別に着色しない、鮨屋のガリの色でも良いのではないかと思う。

紅生姜が赤くなくなると呼び名もかえることになる。とりあえず金色生姜とでもよんだらどうだろう。(千葉県八千代市勝田台、勝田陶人舎)

水芭蕉

今週の火曜日、高校時代の友人5人と一泊二日で尾瀬ヶ原を訪ねた。東京から新幹線に乗り上毛高原駅下車。迎えのツアーバスで天神平散策の後、関越トンネルを抜けた新潟県の中里のホテルで宿泊。温泉に浸かりくつろいだ翌日早朝、小型バスに分乗し尾瀬が原の入り口に到着し鳩待峠に向かった・・・。「これでは帰りが思いやられるなあ」鳩待峠からは沢に沿っての急勾配の下り坂が続く、不規則な敷石に足を取られる。暫く行くと今度はだらだらと下りの木道を歩く。足元が気になり周りの景色などほとんど注目してない。でも視界は左右、岩壁と新緑が美しい木々に遮られているので見透視はきかない。それでもなんとか頑張って沼のある下まで降りきった。

「あれー、水芭蕉ってこんなにデカイのか?」始めて見る巨大な水芭蕉にびっくりした[水芭蕉ってもっと可憐な花だと思っていたのに、イメージとは大分違う」と友達に告げると「いや、俺が以前きた時にはこんなデカイ水芭蕉はなかった!それに沼地の水芭蕉の数も少ないようだ」と答えた。私は始めて尾瀬を訪れたので過去との比較は出来ないが、原因は富栄養ではないかといううわさだ。すると「これは福島の原発事故が影響してるんじゃない?」と友人のK君が発言した。「そうか、放射能汚染による突然変異か?」。「それではこのデカイ水芭蕉は、南太平洋のフランスの核実験で被爆して、イグアナが巨大になったゴジラみたいだね!」口々に勝手にいって笑った。

尾瀬湿原の木道を歩いていると心地よい。まだ雪の残る至仏山を初め美しい山々が沼地を囲み、遠くの山裾には芽吹いたばかりの白樺などの林が続く。時々聞こえるカッコウやカエルの鳴き声、なんとも穏やかでいい。しかし二本の木道は人の列が絶え間ない「こんにちは、こんにちは」と挨拶を交わすのも煩わしいぐらい人が通る。でも道行く人のほとんどが60才以上の女性である。最近の若い女性は仕事をしているので当然ウイークデーなど時間が取れないのであろうか?なにしろ最近若い人を観光地ではあまり見かけない、しかし若い中国人は別格で何処にでもいる。時代のスピードと変化はすさまじい。ぼんやりとたたずんでいる時間など、今の日本の働き盛りにはないのが気の毒だ。

働き方改革の法案は国会を通過したが、労働時間の短縮など本当に出来るのであろうか?たまには食器から離れ、以前の尾瀬の面影が残るという美しい場所の写真を掲載する。(千葉県八千代市勝田台、勝田陶人舎)

豆腐

「コンコン!」と勝手口のドアをノックする音がする。「たぶんまた豆腐屋だ、めんどくせえなあ」テレビを見ている居間の椅子から立ち上がり、渋々ドアを開けるとやっぱりいつも来る豆腐屋が立っている。「今日は女房が外出していないので、私には分かりません」と不機嫌そうに断る。それにしても週三回も御用聞きに来なくてもいいのではないか?と思うが相手も商売なので買えば売りに来る。でもおかげで私はいつも、納豆や豆腐を食べさせられている。「いいでしょう、納豆も豆腐も健康に良いのだから」と女房はいうが冷蔵庫には数日たった、豆腐や納豆がいつも残っている。順番に食べると作りたてを買うのに、結果古いものから食べる事になる。たまに自分のいる時ぐらい断らないと溜まる一方だ。

「なんていつも不機嫌なおやじだ!」事情をしらない豆腐屋はたぶんそう思っているに相違ない。母親や女房は御用聞きに来るといつも笑顔で必ず買っていた。それを見ていて私はなぜかよけいに腹がたった。「たまには断ればいいのになあ」と思うが「せっかく来るのに可哀そうだからと」これは我が家の昔から続いてきた伝統なのだとあきらめた。最近そういえば夕方に街で豆腐屋の姿をほとんど見かけない。家に来る豆腐屋でなくても、以前は街でよくラッパを吹く姿に出会った。個人商店がスーパーやコンビニに押され次々に廃業していくなか、最後まで残った砦であった豆腐屋も時代の波には勝てないのか?

我が家に来ていたその豆腐屋も10年くらい前に突然廃業した。おかげで最近では奴豆腐が食卓にあかる事が少なくなった。でもたまにスーパーに行って豆腐のコーナーを見ると、実に様々な種類の豆腐が並んでいる。これだけ揃っていれば、より取り見取りだ!なにも個人商店の豆腐など買うこともない。豆腐屋は(御用聞き)という訪問販売をしていたから、最近まで生き残ったのかもしれない。でも豆腐も大手が衛生管理を徹底し、機械化を推進して一箇所で大量に豆腐を作るようになっている。でもこうなると昔の手作り豆腐のヤッコが妙に恋しくなる。「味はどうだったけ」と真に勝手なもんだ!

炊き立てのご飯に冷たい手作り奴豆腐で一膳飯、これも悪くない。

(千葉県八千代市勝田台、勝田陶人舎)

海軍カレー

いよいよ待ちに待った外環道が近日中に開通する!市川市の中央をほぼ南北に貫く、この道路は計画されてから半世紀近く経過する。日本が高度成長期に入ると車の台数が急激に増え、先に開通していた環七通りは渋滞による排気ガス公害と騒音が大問題となる。この状況を見た市川市民の多くが外環道の建設に大反対の声を上げた。これを受けて市長初め行政も反対に回り、この道路建設は事実上凍結されてしまう。しかし市川市の道路計画は外環道を中心に立案されており、他の道路計画も全く進まず、長い間市民は交通渋滞に悩ませられることになる。

「はい、おみやげ!」出かけていた女房がカレー好きの私に、海軍カレーのレトルトパックを手渡した。「横須賀に行ったのか?」私の問いかけに、「いや外環道の開通に先立って新しく開通した、道の駅で買った」という。なんで市川市の産物を紹介する道の駅に、横須賀の海軍カレーが売られているのか?良く分からないがカレー好きなので理屈抜き喜んで受け取る。いま道の駅はどこも大人気で、主な幹線道路沿いにはあちこちに道の駅が新設されている。トイレや休憩場もあり、ドライブインとして重宝されている。千葉県の道路事情はむかしは劣悪だった。主な幹線道路でも住宅地を離れるとどこも砂利道でボコボコ。ガラスや釘なども落ちていた。

「お姉さん!どうしたの?」トラックが止まり運転手が車から降りてくる。[パンクかあ、どれどれ貸してみな!」と工具を取り出し車の下を覗き込む、ジャッキを充て車輪を上げると、すばやくタイヤを交換してくれた。姉が礼を言うと、汚れた手をテヌグイで拭きながら笑顔で立ち去った。昭和35年頃まだ女性のドライバーは非常に珍しかった。女性でいち早く免許を取った長女は小さなスバルを運転していたが、道路はほとんどがまだ未舗装でよくパンクする。同乗者の私は子供なので車の事は分からない。でも姉は「パンクは直しは男の仕事でしょう!」と平然としていたのだ。

今の時代でも女性が幹線道路でパンクした車の横に立ったら、男が車を止め直してくれるのか?それ以前に今の車のタイヤはチューブレスで、パンクしてもある程度走れます。

(千葉県八千代市勝田台、勝田陶人舎)

枝豆

アメリカ人も近頃の日本食ブームと共に、枝豆を食べる人が多くなってきたそうだ。アメリカの広大な穀倉地帯では大豆を大量に栽培している。でも実って枯れた状態で収穫し油をとるためや、家畜の飼料として主に利用しているので、食料としての大豆の意識は希薄だという。しかし来日して枝豆を食べた人が枝豆の旨さを知り、自国に帰って徐々に広めたらしい。最近ではアメリカのスパーでも枝豆を売っているのだと聞く。塩茹でにした枝豆はビールのつまみには最適であるが、日本では今では一年中冷凍の枝豆をスーパーやコンビニで、販売するようになったので枝豆はいつでも食べることが出来る。

「ええ、もう枝豆の季節か」先日、我が家の食卓に早くも採れたての枝豆が登場した。むかし枝豆はホタルが舞うころ現れ、ヒグラシが鳴くころ静かに消えていく、二ヶ月弱のはかない夏のオツマミであった。そしてちょうどこの時期盛り上がるのがプロ野球のナイター中継である。王、長島がいた巨人軍がとても人気があり、誰もが野球の放映を見ていた。読売テレビの7時からのゴールデンタイムには必ず巨人の野球中継をする。「昨日の王の逆転ホームラン良かったよね」などと翌日には挨拶を交わすので、見ないと話題に困る。そこで中継を見ながらの夕飯になるが、まずはその前にビールと枝豆だ!枝豆は箸を使わないので、テレビに注目していても落とす心配が無い。また落としてもただ転がるだけで、床が汚れないので助かった。

「もし枝豆のサヤに豆が一個しかなかったら?考えただけでもこれは問題だ!」めんどくさいので、野球中継のオツマミには向かなかったのではないか?サヤに2,3個豆が付いているので、南京豆より器に手を伸ばす頻度が減ってよい。私の感覚では枝豆のひとサヤの理想は豆3個、三個だと食べやすいしサヤの形も非常にバランスよい。「この紙に枝豆を書いてください」とお願いしたら、ほとんどの方が三個の枝豆の絵を描くのではないか?一個では枝豆に見えない、二個では寂しい、四個ではうるさい。ビールと枝豆のセットこれは日本だけでなく、いつか世界中に広まっているのかもしれない!海外に住んで夏場バールで日本人友だちとビールを飲んでいると、「ここに枝豆があったら最高だな」と彼は呟いた。

夕方ツマミの枝豆にジョッキでビール一杯。エンジェルス大谷選手の試合を、この時間に見られたら最高なのだが!

(千葉県八千代市勝田台、勝田陶人舎)

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