県展

いよいよ今年も終わりますね。季節の巡りは早いもで、あっという間の一年でした。工房でも良いこと悪いこといろいろありましたが、良いことの一つに、わが工房の会員、川久保洋さんが千葉県展に初入選したことでした。去年からトライしていましたが、最初の作品は素焼きに時に破裂、二度目は本焼きでひびが大きく入り失敗。三度目の今年、本焼きの焼成温度を少し下げてどうにか完成にこぎつけました。

作品は高さ60センチ、重さ30キロもある大作です。この大きさになると作品その物の自重がかかり、非常に変形しやすくなる。その上これだけ多くの深い切込みをいれると、薄いところから裂けるので難しい。でも精密に計算された模様とデザイン構成は寸分のくるいも無く、淡い色の彩色とマッチして、完成度の高い作品に仕上がっています。

また私が一ヶ月前から書き始めたブログですが、陶芸に興味を持つ人だけでなく、どなたでも楽しめる内容になっています。世代をこえて幅広い皆様のご愛読、よろしくお願いします。多忙な日々の一服の涼となれば幸いです。

それでは良いお年をお迎えください。

 

 

マトン

「羊を描いて。羊を描いてよ!」とねだる王子様と作者との会話で始まるこのサン・ティグジュぺリの「星の王子様」という物語りは、余りにも有名なのでほとんどの方はご存知だと思う。この本は中学時代に友だちに借りて読んだのが最初だが、その後この本は大人の読む童話として、一時期ブームになったことがある。私は純な心を持つ王子の感受性を描いたその物語の内容よりも、挿絵に描かれた羊という家畜に深く引かれた。私は小学生時代に羊飼いという仕事にあこがれていてたことがある。勉強嫌いであったそのころ、羊の番をしているだけで楽に喰っていけそうなその職業が私には理想的に思えたのだ。

でもなぜか日本には牛はいるが羊がほとんどいない。不思議に思ったがその原因は分からなかった。国内で羊の姿を見られるのは北海道だけであろうか。高温多湿の日本の夏の季節が、分厚い衣を着た羊にはたぶん馴染まないのであろう。羊はなんと言ってもモンゴルなどの草原がお気に入りらしく、砂漠に近い乾燥地でもたくましく生きていく。モンゴル平原は小麦が育たないので、人々はマトンを主食に生活する。半世紀も前に一時北海道の羊肉をジンギスカン料理として焼いて食べることが流行ったが、結局は肉の匂いが嫌われ日本ではマトンは定着しなかった。私もマトンを食べた記憶は数度しかない。

日本の風土は温暖で雨が多く、植物は良く育つ。羊など飼わなくても田んぼで稲を植えれば、少ない土地でも飯が食える。でも除草や消毒、刈り取りと非常に苦労が多い。今は農機具の使用で多少楽になったが。日本人の勤勉さは、この稲作の歴史にあるのではないだろうか。そしてそれはすでにDNAにしっかり刻み込まれていて、怠けることは罪悪だと多くの人が無意識に感じている。一方で羊飼いという仕事は楽そうだ。羊は放しておけば自分で草を食べ勝手に成長する。昼間は木陰で好きな本などを読み、夜は星の観察などをしてればいい。狼の監視は犬の仕事。犬は従順で怠けたりしないし、口笛一つでどのようにでも動く。

今の若い人は大変だ。スマホなど通信手段の普及により、どこいても上司の指令が口笛のように飛ぶ。怠けてなどいられない。このストレス社会の現代、時には仕事を辞めて羊飼いになる夢でも見たらよいのでは。(勝田陶人舎・冨岡伸一)

 

 

 

パンプス

最近パンプスを履く女性が少なくなってきた。電車の中で座席に腰掛け足元を見ていると、殆どの女性がスニーカーやウオーキングシューズをはいている。ファションのカジュアル化に伴い、スーツを着なくなったからなのか?歩きにくいのが原因なのか?いろいろあるだろうが、時にはパンプスを履いて颯爽と歩く女性の姿を眺めるのも悪くない。

いま中高年女性の多くが、外反母趾に悩んでいる。男性には殆どないので、パンプスを履いてきたことが原因なのは明らかだ。特につま先の尖ったナロートウのパンプスは、締め付けるので外反母趾になりやすい。

かってはファッショナブルな女を演出するために、女性達は努力を重ねた。外反母趾はその勲章だとは言わないが、足はその人のおしゃれの、記録でもあると思う。でも今の若い女性は、流行にすぐ飛びつく意識は昔ほど強くない。

ところでトランプさんの奥さんのメラニヤ婦人はいつ見ても、ピンヒールでつま先の尖った高寸のパンプスを履いている。モデルだったので、これが良く似合う。イギリスのメイ首相も高寸のパンプスをいつも履いている。欧米の女性は合理的なのでパンプスなどもうとっくに履かなくなったと思っていたが、上流階級ではそうでもないらしい。

アメリカでは男が出世して金持ちになると、糟糠の妻とはたいてい離婚する。そして若く美人の女性と再婚し皆に誇るのだが、この若くて美人の妻をトロフィーワイフというそうだ。出世した証にもらう優勝カップにたとえて。トランプさん、あなたも大金持ちになり優勝カップも取ったのだから、もっと謙虚になり周りの人々をあまり中傷せず、頑張ってください。世界平和はあなたの肩に、かかっているのです。

写真は婦人靴の作り方で、粘土で自作した陶の靴です。

肝焼き

先週、高校時代の親友4人と勝田台の大利根という鰻屋で忘年会を行った。ここの鰻は価格も手ごろで、焼き加減も程よく年に数回は通う。入り口を入り天井の高い玄関から座敷に通されると「あれ!椅子になってる」と友人の声。見ると確かに畳の上に椅子席が置かれている。「これならいいや」と一同の笑顔。最近よく見かける四足の下の前後に、ソリのように板が付いた畳専用の椅子だ。以前この店は畳に座卓で、股関節が硬くアグラもかけない私にはけっこう辛かった。足を伸ばすと対面の人に失礼なので、中途半端に足を組むがなんとなく落ち着かない・・・。この日は鰻重の他に肝焼きも一本ずつ頼んだ。でも私は好きな肝焼きの串を手に取り口に含むと、いつも一つの疑問が頭をよぎる。

「どう考えても数が合わない気がする!」通常鰻重を頼むと必ずウナギの肝が1個はいった「肝吸い」のお吸物が付いてくる。鰻重には松竹梅の価格差のグレードがあり、梅にはこの肝吸いが付かない。でも殆んどの人は松か竹を頼む。1匹のウナギに肝は1個だけだ。すると肝焼きにするほど、ウナギの肝が余らないのではないかと勘ぐるわけだ。そこでネットで調べてみたら、「こんなくだらないこと私以外に感じる人がいました」それによると常時肝焼きがあるのは、身だけを売るスーパーや魚屋で肝を仕入れてくるのではないか?ということであった。やはりそうだよなあ!ぜったいにどう考えても数が合う分けない。

4年前、我が家では8畳の和室をフローリングに改装した。壁の色もベージュから弁柄色に変えたら京都の町屋風に変身したので、時々ここで客を招いて飲み会をする。50年以上前も父がこだわって宮大工に建てさせた家だが、総ヒノキなので今だにしっかりとしている。近所の住宅地を歩いていると、建て替えのため家を取り壊す光景を目にするが、もったいない気がもする。「日本人は古いものを大切にしない」と外国人からよく言われる。いちど失った技術や建物などは、再構築するのが難しい。これからは海外から多くの人が日本を訪れる。自宅に招く機会もあるだろう。その時に新しいが無国籍の家では感動も少ないのではないかと思う?

肝焼きの謎が解けたので、これからは何処から仕入れたのか分からない肝焼きは食べないことにする。(勝田陶人舎・冨岡伸一)

小鳥

鳥篭に小鳥を入れ飼っている人を最近あまり見かけない。以前は美しい声で鳴くカナリヤや、ジュウシマツ、ブンチョウ、インコなどの小鳥を飼う家庭が多かったが、なぜか飼う人が減少した。私の工房がある勝田台のバス通りにも一軒の小鳥屋があったが、15年以上も前に廃業した。そういえば近年ペットショップに行っても小鳥はあまり見かけない。その代わり一時期犬を飼う家庭が増えたが、毎日の散歩が大変なのか?犬を連れ歩く姿に以前ほど出会わなくなった。昨今ネコカフェと呼ばれる喫茶店があるらしい。お茶を飲みながら自由に猫を抱いたりできるそうだが、私は猫のいる飲食店などは衛生的な面で抵抗を感じる。

「あれ、目の錯覚かな?」大き目のトレイの表面がゆっくりと波打っている。すると「はっと思い、突然一歩引いた!」目でフォーカスするとなんとそれは全て蛆虫のような茶色いワームで満たされていた。もう25年ほど前になるが香港の靴の展示会に参加したことがある。仕事の合い間に一人香港島の対岸にある九龍地区のを散策していると、近くにペットの鳥専門に商うマーケットがあると聞いたので訪れてみた。ゴミゴミとした小さな店舗が並ぶその中に進入すると、アレルギーなのか?やたらにクシャミがでる。ハンカチで口を抑え、なおも進んでいくと鳥篭を吊るす下でその妙な虫と出合った。

聞くところによると、その蛆虫は葦の茎に巣くう虫で鳥の餌だという。しかしよくもまあ、こんな沢山の数を集めたものだ。茎から取り出すのも大変だろうと感心した。住宅事情の脆弱な香港の一般庶民は、犬猫などは飼えないのでお年寄りは小鳥をペットに飼う人が多いという。いつも穀物などの餌では小鳥の健康にも良くないらしく、たまにはこのワームを餌として与える。我が家でも数年前まで犬を飼っていたが朝晩の犬の散歩の役目はいつからか、犬嫌いの私の担当になっていた。私の子供の頃は家庭の飼い犬の大半は放し飼いにされていた。そこでよく犬に追いかけられたり噛まれたりする・・・。そのご犬の放し飼いが徐々に禁止になり、野良犬も犬殺しと呼ばれた保健所の捕獲員に一掃された。

今では子供が犬に追いかけられることもない安全な街となる。われわれの世代以上に犬嫌いが多い理由は、子供のころの経験にあると思う。

(勝田陶人舎・冨岡伸一)