数年前のある日、妻が長く使ってきた「土鍋のふたが壊れたからどうにか出来ないか」と見せにきた。さっそくサイズをはかり作ってみることにしたが、「どうして土鍋のふたって、どれもこれもセンスがないのか?」変な柄物や彩色ふただけ見てると、まるで食欲を感じない。
鍋のふたはこれから始まるマジックショーの机を覆う黒いベール。「さあ、何が出てくるか」。皆の視線が集まる。
そして、そのふたを開けた時の感動。立ち上がる湯気の中に、かすんで見えてくる食材の姿。「うん、旨そうだ」つい声に出る。
鍋は恋人、夫婦、あるいは親しい友人と食べるのがよい。お互いにお好みのものを取ってあげたり、もらったり。ふとした気づかいに、その人の心を感じるものだ。
最近、若い人の間では一人鍋がはやっているらしい。でも一人鍋では感動の共有がない。やはり「美味しいね」と言いながら顔を見合ってにっこりすれば、酒も進みますよね。
今夜は鍋でも作りますか?