百寿

センテナリアン(百寿者)という言葉を最近よく耳にするようになった。我々団塊の世代があと30年生きる確立はどんどん高くなってきている。医療技術の劇的な進歩、運動や食べ物に対する留意など、時代が進むにつれて平均余命がどんどん伸ばされていく。私が生まれた戦争直後に、我々世代に与えられた平均余命などせいぜい5,60歳だったと思う。そのころの感覚では既にとっくに私も死んでいる歳になっている。長生きするのも悪くない、ただ人生は内容の濃さも問題だ。なんとなく長いが中身の薄い人生では昔よく食べたノシ烏賊のように、同じ密度のものがただ引き伸ばされた状態である。「細く長く」の素麺がよいのか、「太く短く」のホウトウが良いのかは人それぞれである。

このような時代になると、若いときに人生70年として立てた人生設計などは何の役にもたたない。むかしは55歳で退職し15年の年金暮らしで悠々自適であった。国の年金制度もせいぜいこの位の見積もりなので多くの人が百歳まで生きたら、常識的に考えて40年も年金を受け続けることは不可能であると思う。すると今後は80歳まで働くことが理想になるが、現状では70歳以上ではどこも使ってはくれない。個人事業主になって何かを起業してはどうか?でも肉体労働も頭脳労働も新規には出来ないとなると、職業の選択肢はかなり限られる。私は今は年金暮らしというより、努力してるが新しい仕事を探すが見つからず、しかたなく現在失業中というスタンスでいる。

また長く働くのも大切だが一箇所で仕事をすると、人はどしても自分のいる組織や会社にしがみつき事なかれ主義を通すか、または反対勢力を排除しているとそれがパワハラに繋がる。そしていつも若い人たちがその犠牲となり離職率が高まる。古参の年長者が権力の座に長く留まっている組織では、変化の激しい時代に素早く対応できない。社会の進みは日進月歩で、誰でも職種や組織を何度も大きく変える覚悟が必要だ。いよいよ個々人の柔軟な考えや適用力が問われる、サバイバルの時代になってきた!(強い者や、賢い者が生き残って来たわけではない。環境の変化に素早く対応出来た者だけが生き残ってきた。進化論のダーウィンの言葉である)

百歳になると行政から銀杯が送られたそうだが、最近は人数が増えて銀メッキに変わったという。我々の時代には当然この制度も廃止になってる。

(千葉県八千代市勝田台、勝田陶人舎・冨岡伸一)

茄子

(秋茄子は嫁に食わすな!)この言葉があるくらいなのでナスの旬は秋なのか?しかしこの意味には色々あり、単純に秋茄子は旨いので嫁には食わせない。またはナスは体を冷やすので嫁には食わせない。そしてナスは種が少なく子宝に恵まれないなどイロイロあるそうだ。我々の子供の頃はナスは夏場、ヌカ漬けや味噌汁の具として毎日のように食卓にあがっていた。そのころは殆んどの野菜が露地栽培で、各々の野菜は旬にしか市場には出回ってなかった。ナスはインドが原産国で奈良時代に中国を通して日本にやってきたという。でもその94パーセントは水分であるが、カリウムが多く含まれていて体の熱を逃がす効果があるという。子どもの頃は何処の家庭でもヌカドコがあり、主婦が木の樽に入ったヌカ味噌をかき回して、腐らないようにいつも管理していた。

「あの女(ひと)はヌカ味噌臭くない!」とは中年女性に対する褒め言葉で、それを言われたら、我々の世代以上の女性は悪い気はしなかったと思う。女が結婚し毎日ヌカ味噌をかき回していると、本当にその臭いが体に移るのかどうかは知らないが、日々の家事や子育てに追われていると、お洒落心も失われて外見をかまわなくなることは確かだ。でも最近では家庭にヌカドコなどもないので臭くなりようもない。それに現代は女性が結婚しても殆んどの人が働く時代!仕事が忙しく料理も惣菜を買って済ますかともあり、ヌカ味噌臭くなっている暇もないのが現状であろか?疲れたキャリヤウーマンの中には「わたしヌカ味噌臭くなってみたい!」などと冗談に言う人もいるのかもしれない。

最近高校時代の同級生とよく居酒屋に行くが、ビールと共にまず最初に頼むのが枝豆と茄子の漬物である。いま家庭ではヌカ漬けはほとんど食べないので、我々同世代はなんとなくヌカ漬けが恋しいようだ。しかしこの茄子の色、お袋が漬けていた昔のナスの色とはかなり違って綺麗だ。何か薬品を使って色止めしてるか、着色しているかだが少し気にはなる。またナスは油を吸うので油を使う料理にはとても合う。天ぷら、パスタ、それに近くの蕎麦屋のメニューにある茄子の冷やしタヌキ。これは半分に切った茄子に、なおかつ縦に細く切れ目を入れ、油て揚げた茄子がトッピングし、梅干一つが入るこの蕎麦屋のオリジナル。日本蕎麦との相性も良ろく結構美味い。

ナスは家庭菜園でも簡単にできるので、キュウリと共にプランタで栽培する人も多い。(千葉県八千代市勝田台、勝田陶人舎・冨岡伸一)

エビフライ

先日(ちび丸子ちゃん)の漫画家サクラ・モモコさんが乳ガンで亡くなった。私の次女も丸子ちゃんの漫画が大ファン!そこでアニメ放送が始まる日曜日の夕方には、娘に付き合って毎週見ていた。サザエさん、ドラえもん、ちび丸子、などこれらの人気漫画はごく一般的で平凡な家庭生活の日常をベースにしている。つい数十年前までは大半の人が、何の疑問も持たずに結婚をし、夫婦分業で家庭生活を営んでいた。サザエさんと丸子の家は三世代同居、のび太の家はとりあず核家族。でもこれらの人気漫画に共通しているのは、母親は専業主婦で家庭にいて、母親と主人公の子供が中心に物語が展開されるという点だ。

でも最近はこの様な家族形態を選ばない人たちが殆んどだ。先進国では家庭を持つということは今では選択肢の一部で、必ずしも一番に優先すべき課題でもなくなってきた。生涯の独身はもちろん、シングルマザー、フルタイムでの夫婦共働きと、家庭生活における母親のあり方も様々だ。そこで現代このような時代にホームドラマを漫画を描くとしたら、どのような家族形態の舞台が選択されるのであろうか?考えて見ると面白い。先日オーストラリアでは同姓婚が正式に認められた。男性同士が婚姻を喜んでキスなどのシーンを見ていると、気持ち悪いと感じるか、微笑ましいと感じるか?その人の主観によると思うのだが、我々世代では法律で認められても、必ずしも理解のある眼差しでは見られないと思う。

「だめー、突然幼児が我々の間に割って入った!」いぜん私が社交ダンススタジオでダンスを男の先生に習っていた時、先生が女役をして一緒に組んで踊っていると、それを見ていた先生の三歳の女児に制止されたことがある。私は苦笑いをして立ち止まったが、やはり三歳の子供でも男同士のダンスなど本能的に違和感があるのだろう。(その子が言うには、お母さんと女の生徒さんなら良いが、お父さんと男の生徒はだめだということだった)いま社交ダンスの映画で(レディ・トゥ・レディ)という女性同士で組んで踊る映画が製作中だという・・・。あの面白かったシャルウィーダンスの映画から20数年、一世代も経過するとダンス映画のスタイルもずいぶん違ってくる。

ちび丸子ちゃんの好物はハンバーグやプリン等たくさんあるが、エビフライも好物だという。(千葉県八千代市勝田台、勝田陶人舎・冨岡伸一)

ヘチマ

「ご自由にお取り下さい!」先日いつも通る近所の家の塀の上に、この張り紙と共にゴウヤが3,4本置かれていた。塀越しに見ると、大きな西側のガラス窓の日よけに植えたゴウヤの蔓が高く伸びている。もうシーズンは越えてきたがまだ所々にゴウヤが何本かぶら下がり、一部黄色くなった物も!最初は喜んで食べていた家族も頻繁に食べると飽きてくるのか、処理に困っているようだ。近ごろ暑い夏の日よけにゴウヤを植えることが、電力会社からも推奨されているようである。かつては軒先の日よけにはゴウヤでなくヒョウタンやヘチマが植えられていたが、近年では余り見かけなくなっている。

「ヘチマでは体を洗わらない方が良いらしい!」我が家では、父親がヘチマで体を洗うことを好んでいたために、風呂場にはいつもヘチマが供えられていたが、私の代になって使わなくなった。ヘチマでゴシゴシ体を洗うと、余分なお肌の表皮まで落とし美肌によくない。また天然繊維のヘチマはニキビを引き起こし悪化させる、ブドウ球菌やB群連鎖球菌などという怖い菌が沢山増殖しているという。そこで今では小さいタオルで体を洗っている。確かにヘチマを暫く使っていると、ヌメリが出てきていかにも不衛生と感じることもあった。

そう言えば最近ニキビ面の中高生が本当に少なくなっている。朝電車の中で通学する多くの生徒を眺めているが、昔のようなニキビ面の子を殆ど見かけない。何か皆で特別な対策(プロアクティブなどを使っているとか)をしているわけでは無いと思うので、まさかヘチマで体を洗わなくなったことが、原因だったとも思えない。でも一様に皆さん昔の子よりは数段美肌でスッキリとしている。ニキビの主な原因は食べ物やストレスなどということだが、現代っ子が食べ物に気をつけていたり、以前よりストレスが無いとも考えにくい。詰襟の学ランに坊主頭でニキビ面、近寄ると脂臭い体臭がする。我々の世代ではこれが男子生徒の一般であったのだが。

ところでヘチマは沖縄ではゴウヤと同じで食用にすると言う。あの筋の強いヘチマが食用になるとは考えにくいが、小さいうちは筋がないらしい。

(千葉県八千代市勝田台、勝田陶人舎・冨岡伸一)

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