オレンジジュース

小学生の頃、スーパーマーケット開業と時期を同じくして、新しく登場してきたのが一部のインスタント食品である。チキンラーメンやお茶付け海苔、そしてオレンジジュースの素などだ。オレンジジュースの素はパウダー状で一人前ずつ小分けの袋に入っていた。封を切り氷と水を入れた冷たいグラスにあけて、これをかき回すとオレンジジュースが簡単に出来きあがる。一袋が10円で安いので夏場喉が渇くといつもこれを飲んだ。当時ビン入りのバヤリースオレンジや、プラッシーなどもあったが値段が高く毎日では手が届かない。それにこれらのジュースも本物の果汁は何割かで、ほとんどが合成だった。オレンジジュースが天然果汁に変わったのは日本ではわりと最近の事である。

「こんなオレンジジュース始めて飲んだ!」と感激する。半世紀も前に洋上大学で憧れのアメリカに行った時に、真夏の乾燥する喉を潤すためにビン入りのオレンジジュースを自販機で買ってみた。ところがこれが安いのに大そう旨い。本物の果汁でオレンジの味と香りがする。当時日本の合成着色料入りのジュースとは全く別物であった。そこで喉が渇くとオレンジジュースばかり飲んでいた。日本で100パーセント果汁のミカンジュースが出てきたのは1970年代頃で、ポンジュースが最初だと記憶する。主に新幹線のワゴンサービスで売られていて静岡産のミカンが使用されていた。果物好きな私は勤め始めた頃仕事で関西に行く時には、必ずこの紙パックのポンジュースを片手に、ぼんやりと車窓から眺め景色を楽しんた。

「あれー、ディズニーランドって広々とした公園なのか?」このときのツアーで、初めてロスのディズニーランドに入園した時の印象である。シンデレラ城の他には目立った建物が無い。色々なアトラクションがあると聞いていたが、いったいどうなっているんだ!しかし良く見ると所々に小さい建物があり人々が列を作る。「ええ、まさか・・・!」ほとんどのアトラクションは地下に作られていて、地上からは見えない構造になっていた。バスツアーなので滞在時間が3時間、とりあえず並んでみた所が「カリブの海賊」である。船に乗り薄暗い穴の中へ落ちていくのは日本と全く同じ。しかし当時はディズニーランドの情報も全く日本には無い、いきなりだとただ驚くばかり。谷津遊園や後楽園遊園地しか知らない私には、アメリカ恐るべし!であった

当時の日本とアメリカでは道路、建物、車、食べ物など全てに格段の差があった。まだ日本は中進国で自動車輸出も始まったばかり、高速道路で故障して止まっている車は日本車ばかりと揶揄されていた。

(千葉県八千代市勝田台、勝田陶人舎・冨岡伸一)

 

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