今では殆ど見なくなった懐かしい戦後昭和を思い出させる憩いの場のひとつが、どこの駅前にもあった純喫茶である。子供の頃は遠巻きに眺めていたが、高校生にもなると時々ここに入店するようになる。赤い絨毯がひかれ、アールデコ調のランプが気だるく光る店内は薄暗く、どこか怪しげな雰囲気を放っていた。当然学校ではこのような純喫茶への入店は禁止で、時々見回りに来る先生に見つかるとまづいことになる。でもブルーやエンジのビロードが張られた柔らかいソファーに腰をおろすと、何か大人になった気分がして学校帰りにも時々たちよった。店内には当時流行っていた、モダンジャズやクラッシック曲などの音楽が流れ非常に心地よい。
「おまえこの曲知っているか?」と同席のタバコをくわえた友達から聞かれた。「この曲はなあ、アメリカのジャズバンド、ブリューベックのテイクファイブだ。今アメリカでは人気なんだぞ」という。当時モダンジャズはダンモと呼び一部のカッコ付けの高校生の間でもファンがいた。ダンモは私が好きだったベンチャーズからするとマニアックなので、この曲以外には殆んど印象がない・・・。「俺は、ブルマン!」とやって来た若い女給さんに友達がオーダーする。「じゃあ俺も」とはいってみたが、「ちきしょう!ブルマンってなんだ?」ブルマンとはご存知のようにブルーマウンテンのストレートコーヒーのことで、当時コーヒーを飲みつけない高校生に分かるはずがない。なにかこの友達には非常に差をつけられた感じがした。
そしてコーヒーが運ばれてくると、友達は何も入れずにいわゆるブラックでコーヒーを啜っていたが、私はミルクと砂糖を多めに入れる。「お前そんなに入れると、せっかくのブルマンの味が分からなくなるぞ」と咎められた・・・。でもそれから十数年も経過すると、その純喫茶にもインベーダーゲーム機が店内に入り込み始める。ビロードで張られたソファーの角はすっかり擦り切れ、音楽はほとんど聞こえずゲーム機のガチャガチャ音だけが響くようになり、落ち着いて話も出来ない空間に変わった。もちろん若い女性のウエイトレスの姿は消え、白髪の店主自らがぶっきらぼうにコーヒーを運ぶ。そしてお城のような外見の純喫茶もセルフサービスカフェに建てかえられていく。
当時はスタイリッシュな女性がコーヒーを運ぶ美人喫茶もあった。水道橋の学校近くの美人喫茶にはコーヒーの値段は少々高いが、授業の合い間に花を眺めに時々は出かけた。(勝田陶人舎・冨岡伸一)