ホットケーキ

私が高校生になると当時夏休みに流行のアイビールックでキメテ、銀座のみゆき通りをガールフレンドと歩くことが流行ったことがあった。(これらの若者は「みゆき族」と呼ばれていた)オシャレをすることは好きだったが、私には姉が3人もいたので女性にはあまり興味もない。でもその日クラスの友だちが「俺が知り合った彼女と銀座に行くが、その彼女がもう一人おんな友達を連れてくるという。だからお前も一緒に来いよ」と誘われた。その日は本八幡駅で待ち合わせて電車に乗り、有楽町で降りると真直ぐにみゆき通りに向かった。通りの両側には流行のマドラスチェックのシャツ、白のコットンパンツに、ビーチサンダルを履いた殆んど同じような格好の男の子が、おおぜいタムロしていた・・・。銀座をブラついたあと不二家に入って、このころ新しく出てきたホットケーキをはじめて食べた記憶が残る。

「ねえ疲れたから、タクシーで帰りましょうよ」雑談をしてなんとなく時間を過ごすと、連れの彼女の意外な提案に驚く!銀座から市川までタクシーで帰るというが、いったい幾らかかるのか知っているのか?「俺そんなに金持ってない」と困惑していると「大丈夫よ、お金は私が払うから」と大胆に言い放った。まだ中学三年生だという女子がそんなに小遣いを持っているのか?いくら私立のお嬢さん学校に通うという彼女でも、この提案にはショックであった。結局4人でタクシーに乗り、遠路市川まで帰ったが料金は全額中学生の彼女が払ってくれた。しかしそれから成人して銀座で飲んでも、私は二度とタクシーで本八幡まで帰宅することはない。タクシー料金を払うくらいならもう一度飲みにいけた。

当時デートの約束は面倒だ「すいません、アイコさんいますか?」などと知り合った女子の自宅に電話する・・・。実はこれが大変な作業であった。事前にもしお母さんが電話に出たら、何と言おうかと対応を考える。そのころはまだ中高校生の男女の付き合いなどは厳しかったので、簡単に女子の親も取り次いではくれない。必ず用件をお母さんに聞かれ、対応が悪ければ「そんな女子、家にはいません!」と電話を切られてしまう。事前にいろいろ思考を巡らすも、本番にしどろもどろだとお手上げだ。それに特に夜はだめだった!もしお父さんが電話に出たら最悪で、即切らないと怒鳴られる。などとハラハラドキドキの作業であった。

写真の帽子は陶器で製作しました。乾くと切れ易い粘土のヒモをグルグルと繋いで悪戦苦闘の末どうにか完成。こんな帽子をかぶった女性と夏の日差しの中で銀ブラでも・・・。(勝田陶人舎・冨岡伸一)

 

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