昨年コロナ禍ではあったが、本八幡駅の南東に位置するニッケコルトンプラザという、ショッピングセンターに出かけてみた。ここにある東宝シネマズでは時々映画鑑賞をする。映画を見る前、ちょうど昼時であったので併設されているフードコートに行ってみた。するといくつかの飲食店の中に「丸亀製麺所」という名のウドン屋の前に人の列が出来ている。「そんなに旨いのか?」ためしにここを選ぶことにした。通常せっかちな私は列に並ぶことなどしないが、この日は違った。そして順番が来たので釜揚げウドンをたのんでみると、なんと最近ではほとんど見かけない、木桶の器で差し出された。「木の桶か?なんとなくレトロでいいじゃん」。と思いながらテーブルにつき箸を取ると、麺ごしもあり味も悪くなかった。
食事の後、ぼんやりとヒノキ桶を見ていると、昔の映像が脳裏に浮かんだ。プラスチックがまだ普及してない子どもの頃は、様々な木の容器が使われてた。大きい物では家庭の風呂の浴槽、そして銭湯の洗い桶、ご飯のオヒツ、洗濯桶など様々な家庭用品がまだ木製であった。「風が吹くと桶屋が儲かる!」などという言葉もよく使った。この意味は空っ風が強めに吹くと湿った桶が乾燥し、縮んでバラバラになる。その結果壊れた桶を修理する仕事が増え、桶屋が繁盛する。当時はまだ実際に桶屋という商売が存在していた。小学校へ通う道に面したクラスメートの女子の家は桶屋であった。帰宅時に庭先で桶を作るおじさんの姿は、今だに記憶から消えることはない。
あの天才絵師・北斎の浮世絵の一つに、巨大な桶を職人が作る風景を描いた有名な版画がある。何を貯蔵するためにあのような大桶が使われたかは知らないが、現代でも味噌や醤油などの老舗工場では、今だに木の大樽を使っている所もある。木の樽には発酵菌などが棲んでいて、熟成には都合が良いらしい。自宅の風呂桶も昔はヒノキであった。新しいヒノキの浴槽は木の香りがして浸かっていると、とてもリラックス出来た。しかし数年使うと淵の部分から痛んできたり、ヌメリが出たりで不衛生になる。ヒノキ風呂の頃は風呂焚きにはまだ石炭が使われていて、数分おきに火の状態を監視した。そのご石炭がガスに代わると浴槽も丈夫なステンレス製になる。いまでは給湯器の普及でスイッチオンですべてが完了!時代の推移を感じる。
「お風呂が沸きました」などと優しく女性の声で知らせてくれる今の給湯器!未来は体まで洗ってくれる洗濯機のような浴槽の出現もあるかも?
(勝田陶人舎・冨岡伸一)