茶飲み話・徒然草

 

「徒然なるままに、日暮らし硯に向かいて、心に映りゆくよしなごとを、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ」手持無沙汰なのにまかせて、一日中硯に向かって心に映っていくつまらないことを、とりとめもなく書きつけると、妙に正気を失った気分になる・・・。これは誰でも知る徒然草の有名な序文であるが作者吉田兼好が生きた鎌倉時代には、暇を持て余す人は一部の貴族か僧侶くらいであった。

ところが現代はどうだろう?さしたる目的もなくいきる人々は定年退職者を始め多くの人がいると思う。「若い時に一生懸命働いたのだから、ゆっくるさせろや」と言われれば仰せの通りだと思う。ところが差し迫った近未来では先進国の人々は若い頃から、徒然なるままに生きるようになる。現在急速に発展しているAIによる自動化やロボット技術の進展は人々が知らぬ間に、静かに労働市場に入り込み始めている。

米国ではすでにコンピューターサイエンスの部門でもAIに仕事を奪われており、一流大学を卒業した若い人々の就職先がなくなってきているという。知識集約の先端産業こそ真っ先に、人間が必要なくなってきているのだ。つい先日まで高給が約束され、花形であった職業こそコンピューターが最も得意とする職種である。そしてその波は徐々に生産工場やタクシーなどの運転手の仕事を奪い、多くの人々の失業を生んでいく。

先日中国の電気自動車工場の映像を見て驚いたが、工場のラインはすべてロボットアームが働き、人っ子一人いない異様な光景が映る。そして大学を卒業しても一部の超エリート以外は仕事がなく、昼間から道路脇でタンピンしている。そして唯一残るフードデリバリーの仕事でさえ、奪い合いの状態なのだ。人口の多い中国こそ自動化を止め、雇用を増やさないと暴動がおこるのではと懸念している。

いま日本でも少子化が叫ばれているが実際には、もし出生率が上がると将来の雇用の確保が大問題になる可能性が高い。これからの人々はテクノロジーの進展により労働からは解放される。これを失業として嘆くか、徒然と楽しむかは個々人のとらえ方だが、会社に属さず気ままに生きてきた私には未来は明るく映る。(毎月10万円相当を国から支給され、徒然に生きる時代はすぐそこまできている。勝田陶人舎・冨岡伸一)

 

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