茶飲み話・土葬

 

同世代の友人がポツポツ消えていくと、いよいよ私の人生の終焉も身近に感じる昨今である。この世に生を受けたなら老いを迎え、やがて亡くなるは全ての生き物の摂理であるが、誰もがこの呪縛から逃れることが出来ないので、静かに目を閉じ身を任せるしかない。しかし死ねばすべてが終わりだと信じたくない人は仏教でいう輪廻転生を信じて、再生の道を探るのも悪くない。わが家の宗派である浄土宗には有難い阿弥陀さんがおいでになるので、身を委ねれば良いのだと達観している。

私は40代の後半に両親を送っているので、この時は人の死について深く考えたりもした。仏教本を買い込み熟読し、般若心経などいくつかのお経も覚えたがが、月日の経過とともにいつしか遠ざかっていった。その次に60歳の時に肺癌の疑いがあると告げられ、死を覚悟したが誤診であったため難を逃れた。でもこのあと仏様の幻影が頭から離れず、仏をテーマに陶芸作品を多く残している。

ところで最近我が国では土葬が問題になっている。日本でも昔は人が死ぬと土葬であったが明治以降火葬が主流となり、現在では土葬は禁止されている。国土が狭い日本では土葬にすると墓地が足りず墓だらけになるのだ。しかし今のようにイスラム教徒の移民が増えると、彼らは宗教的理由から火葬は出来ないので土葬墓地造成の要望があがっている。これに対し一部の行政では認可を検討する自治体もあるので反対する必要がある。

人手不足から異文化の民を大量に入れると価値観や慣習の違いから、様々な軋轢を招く。特にイスラム教徒は絶対に他宗教とは同化しないので神社の隣にモスクが立つかも。これを多様性と受け入れると子々孫々まで後悔することになる。現在でもすでに欧米諸国はイスラム教徒の増殖で治安の悪化や人種間の対立により多くの市民が自国から逃げ出している。

土葬など絶対に認めなければイスラム教徒などは、年をとれば墓がないので自国に帰っていく。表立って排斥すれば人種差別につながるので問題も起こるが、土葬の厳格化は異文化排除の踏み絵となる。中には火葬でもよいと思う人はすでにイスラム教徒でなく日本文化を受け入れているので、日本人として生きればよい。(日本人とは?基本肌の色は関係なく、皇室を尊び、日本文化を継承し、慣習や規則を遵守する人を言う!勝田陶人舎・冨岡伸一)

 

 

 

 

 

 

 

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