茶飲み話・金の茶室

 

日々抹茶碗を作るうえで当然考えるのは千利休の侘茶の概念、「詫び寂び」である。あのイーロンマスクも詫び寂びの考えに心酔する一人で、訪日のおりには京都の寺で座禅を組み瞑想にふけるという。詫び寂びの概念は我々日本人にとっても難しく、詫びとは質素や不完全さ、寂とは時間の流れによる閑寂な古びた物を愛でる心などとある。当然私自身も利休を意識し茶碗をひねるが「詫び寂び」を完璧に理解しているわけではない。

いっぽうで豊臣秀吉はワビサビなど小難しい概念など無視をし、黄金の茶碗などに真の価値を見い出す。そして黄金の茶室などを作り、最終的にはワビサビを否定し、利休を消し去ることになる。物質的な価値を比べれば希少な黄金と、粘土から作られる陶器とではその価値は比べ物にならない。しかし当時は茶碗一個に多くの黄金が支払われた歴史がある。私が茶陶に興味を抱くのは利休と秀吉を通して物の価値とは何か?を考える題材になるからである。

「あなたは利休と秀吉のどちらがすきですか?」と聞かれれば迷わず、当然利休だと答えたいところだ。しかしもしここに利休好みの古びた黒楽茶碗と黄金の茶碗が置かれたら、迷わず黄金の茶碗を選ぶだろう。闇夜のような鈍く光る黒楽よりも、ピカピカ妖艶に光る黄金の方が良いに決まってる。でもこれを言ったら茶陶作家失格なので、言及しなかったことにする。

殆どの日本人はまだ気づいていないが、いま世界中で黄金の奪い合いが起こっています。特にこれから貧困が予想される中国人が多く買いあさっている。中国元が安くなるので、今のうちに黄金に代えておこうというと思っているのです。これにインド人も参戦しているので、黄金は高くなる一方です。それに米国も国家の債務危機でドルを黄金に代える動きも出てきました。

最近証券会社でゴールドの投信を薦める動きも活発化しています。元来株を売る証券会社がゴールドを推奨するなど、通常はありえないことです。私と一緒にワビサビを念頭に清貧に生きるのも結構ですが、貧困の上に文化は存在しないので心してください。粘土とゴールド、紙とゴールド、乱世にはどちらが選ばれるのか?(ワビサビとゴールド、この対比が面白く晩年のテーマにしています。勝田陶人舎・冨岡伸一)

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